2019年1月1日 第1号

 先住民のアンガス・アンダーセンさんはニューファンド・ラブラドール州の北端に近い、現在はトーンガット・マウンテン国立公園の中で、1960年代に生まれた。学校に上がるまではここで暮らし、その後学校に通うため、そこから約4百キロメートル南に下った町ネーンに移った。ネーンは同州の中で通年で人が暮らす最北端の町で、人口は千人余り。

 そんなアンダーセンさんが現在暮らす、同州セントジョンズの自宅にインターネットはない。彼は毎日ショッピングモールやお気に入りのコーヒーショップ、ティムホートンズなどWi-Fiが使えるところへ出向き、ツイッターにログインする。

 そして彼がツイッターで発信するのは、彼の先住民言語イヌクティトゥット語の、一日一語講座だ。「今日の言葉は『タシウヤク(tassiujak)』、塩水の池のことだ」と書き込むアンダーセンさん。「塩水の池がどこにあるかを知っていれば、魚や小さな獲物がどこで獲れるかを知っていることになる」

 彼の父親、そして両方の祖父母は漁で生計を立てていた。そのことが自分にとって幸運だったと語るアンダーセンさん。どうやって狩りをしたり罠を仕掛けたりするか、またどうやって自然の中で生きていくかを学ぶことができたからだ。

 そんな彼だが、かつて学校に通っていた頃にはイヌクティトゥット語を忘れかけていた。もし彼の祖母が彼に対し、イヌクティトゥット語で話しかけなければ、一切口をきかないと言わなかったなら、彼は永遠にこの言葉を忘れ去っていたかもしれない。

 卒業後、カナダ南部で仕事に就いたアンダーセンさんは、約20年前にセントジョンズに落ち着いた。以来、第二の故郷ともいえるネーンには帰っていない。彼によるとネーンには飛行機でしか行けないが、料金が2千ドル近くするという。しかしなつかしい当時の記憶は鮮明に残っており、それが今日の彼の活動の原動力となっている。

 彼はツイッターで発信する以外にも、フェイスブックや個人レッスンでイヌクティトゥット語を教えている。さらにソープストーン彫刻、ラブラドール先住民の歴史講義なども行っている。「植民地以前から現在に至るまでの、約8千年の歴史を1時間の授業で教える」と、彼は笑って答えている。

 ソーシャルメディアを使って先住民の知識を伝えることについてアンダーセンさんは、その時代に合った方法で先住民たちがやるべきことをやっているつもりで、きっと祖父母たちも認めてくれるだろうと話している。

 彼が一日一語講座を始めたころ、そのフォロワー数は137人だったが、今では3千人を超えている。オタワのカレッジで教壇に立って2年になるラシェル・ビロンジェさんは、アンダーセンさんのツイッターを知った瞬間からフォロワーになり、さらに彼の一日一語講座を、彼女の教えている授業に組み込みたいと申し出た。

 アンダーセンさんは、自分と同じようなことを多くの先住民などがやり始めていることに触れ、まわりの人が先住民のことを学んでくれることの手助けができたらという思いだと、語っていた。

 

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