2018年4月5日 第14号

 サスカチワン州サスカツーン市の東100キロメートルほどにある、人口6千人弱の町フンボルトのジュニア・ホッケーチームのメンバーが乗ったバスがセミ・トレーラーと衝突、乗っていた15人が死亡、14人がけがを負う事故が発生した。

 事故が起きたのは6日午後5時ごろで、場所はフンボルトから100キロメートルほど北東の町、ティスデールから北上する一級州道35号線が、東西に走る二級州道335号線と交わる交差点。

 フンボルトから州道35号線を北上して、プレーオフの準決勝会場であるニパウィンに向かっていたのは、同町のジュニア・ホッケーのチーム、フンボルト・ブロンコスのメンバー。選手の年齢は16歳から21歳で、バスにはヘッド・コーチのダルシー・ホーガンさんや地元ラジオ局の実況担当アナウンサー、運転手を含め29人が乗っていた。

 警察によると、北上していたバスと、州道335号線を西向きに走っていたセミ・トレーラーが交差点で衝突した。この交差点は一角(南東角)のみ高い木が立ち並んでおり、ちょうどこの二台のお互いの視角を遮るかたちになっていた。

 事故現場の画像には、交差点の北西側にバスとセミ・トレーラーが並んで横倒しになっている様子が写っている。周りにはセミ・トレーラーの積み荷が散乱し、衝突時の衝撃の大きさを物語っている。またバスの前輪から前の部分は完全に本体から分離し、10メートル以上離れたセミ・トレーラーの運転台そばに、前輪以外は原型をとどめない形で残されていた。なおセミ・トレーラーの運転手は無傷で、一時警察に身柄を拘束されていたが、その後釈放された。

 15人もの犠牲者を出したフンボルトでは8日夜、ブロンコスの本拠地である同町エルガー・パターソン・アリーナでサスカチワン州政府と地元教会の主催による追悼集会が行われた。会場にはスコット・モー州首相のほか、ジャスティン・トルドー首相も参列した。弔いの言葉を述べたチーム牧師のショーン・ブランダウさんは事故当日、バスより遅れて試合会場を目指していたところで現場に遭遇、冷たくなった犠牲者の手を握っていた。彼は15人の遺影を前に、「私たちが癒される日はいつか来る。しかし傷跡は残る」と語っていた。

 実はこの交差点で死亡事故が発生したのは、今回が初めてではない。1997年6月、ピックアップトラックに乗っていた大人3人と子供3人が死亡する事故が起きている。

 通称アームリー・コーナーと呼ばれている交差点を直進していたピックアップトラックがセミ・トレーラーに激突、道路わきの側溝に落ち炎上した。セミ・トレーラーの運転手は軽傷を負った。

 この事故で母親と親族5人を失った、当時6歳でサスカツーン市に住んでいたディラン・フィドラーさんはその後、この交差点から40キロメートルほど北にある町キャロット・リバーに住む叔父夫婦に育てられてきた。

 フィドラーさんの母親は、ブリティッシュ・コロンビア州の町ドーソン・クリークから訪ねてきた叔父夫妻とその子供3人をピックアップトラックに乗せ、キャロット・リバーに住む別の叔父夫妻宅を目指していた。母親はフィドラーさんほか自分の子供たちを、サスカツーン市の自宅に残してきたため、彼らは事故を免れた。

 この事故の犠牲者を弔う6つの木製の十字架が、今でも交差点の北東側に残っている。今回のバスとセミ・トレーラーの残骸とは、ちょうど交差点の対角線上になる。

 フィドラーさんは、今回の犠牲者の家族や関係者のために、多くの人からの厚く、息の長い支援が必要だと取材に語っていた。

 

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。