2017年8月31日 第35号

 プリンス・エドワード・アイランド州の中心部、州都シャーロットタウンに隣接する人口8500 人ほどの町ストラトフォード。ここにある大手スーパーマーケット、ソービーズの駐車場には、妊婦や新生児を伴った母親を優先する駐車スペースがあった。

 しかし、そのことを示す看板が平等ではないという、地元の新生児をもつ父親ジャスティン・シマードさんからの指摘を受け、『妊婦や新生児を伴う利用者』に書き改められた。ところが、この件が新聞で紹介されると、新たな論議がインターネット上で巻き起こった。

 ある女性は、実際に出産をすることで足がむくんだり体が痛んだり、また体の一部を縫合しなければならない状況は、女性にしか起こらずそもそも平等でありえないと主張。また10 カ月に及ぶ妊娠と出産後の期間、女性は一時的に身体障害者になったも同然で、そんな時にこうした駐車スペースにどれだけ助けられたことかと書き込む女性もいた。  男性が性差別に苦言を呈するのは愚かなことだと認めるシマードさんだが、それでは例えば男性夫婦の家族の場合はどうなるのかと、疑問を投げかける。こうした『父親にも優しい』駐車スペースの主張に対し、ソーシャルメディアでは賛同する意見と『性差別に反対する性差別主義』だと反論する意見が巻き起こっている。

 プリンス・エドワード・アイランド大学で多様性と社会的正義について研究しているアン・ブライスワイト教授は、この状況を『抑圧のオリンピック(Oppression Olympics)』だと形容している。全てを平等に包括しようとする試みは、かえって個々のグループがお互いを監視する状況に陥らせると指摘。人はえてして正義が特定のグループにだけ、特定の仕方でなされるよう争っており、またそうした平等は他のグループの犠牲によって実現されると考えられていると説明している。

 この一件の発端となったソービーズの駐車場の最前列には、それほど多くのスペースがあるわけではない。平等であろうとして、新生児の父親であるとか、妊娠の可能性もある性転換者の男性のためであるとか、優先対象を網羅しようとする試みはかえって残しを生みだし、また女性の領域を侵害するような意味合いとなりうる。そうではなく、単に子供の親という意味を持たせるべきだと、ブライスワイト教授。

 今日の社会で人々は、より平等で包括的であるということを、何かを失うことだと感じていると説明する彼女は、そうではない本来の意味での平等で包括的な世界に作り変えていくべきだと取材に語っていた。

 

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。