はじめに

この夏、ニューヨークで開かれた、「Dr. Brian Weiss の前世療法」のワークショップに参加してきました。そのワークショップは、私個人の深い内面のドアーを大きく開くものでしたし、さらに、これを私の仕事としての心理療法に生かす可能性のヒントも掴むことができ、私にとっては、2011年夏の大きな旅となりました。
「私たちの魂の前世」は、いまだ多くの未知の領域を含んでいて、私自身もまだ学んでいる途上にあり、私の理解もいまだ充分とは言えませんが、私の個人的な体験と、Dr. Weissの前世療法のワークショップ、そしてそれにつながる前世退行の心理療法の方法について、これから数回に亘り、述べていこうと考えています。

Ⅰ 科学を超える共時性のヴィジョン

Dr. Brian Weiss の前世療法は、1988年、"Many Lives, Many Masters"1)という著書によって紹介され、世界中に大きな反響を呼び、また日本では「前世療法−米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘」2)という邦題で出版されました。この本も、また山川紘矢、山川亜希子夫妻による適訳を得、1990年代の日本に、いわゆるスピリテイアルブームを巻き起こしました。
その当時、私は大学の精神医学の研究室で、「科学的」な医学研究に日夜明け暮れていましたが、ブームになっていたDr. Weissの著書に無関心ではいられず、それを読み、非常に興味をひかれました。ただ、その当時は、いつか自分がそうした分野に足を踏み入れるなどということは、全く想像もしていないことでした。
ところが、2000年のお正月、実家に帰っていたときのことです。ちょうどお正月の松が明けるある明け方、まどろんでいるのか、目を醒ましていたのかよくわからない状態のとき、不思議な夢ともイメージともつかぬ、ヴィジョンを観たのです。それは、氷と雪に閉ざされたヒマラヤ(とすぐわかったのは、また不思議なのですが)を、僧衣を着た少年と数人のやはり僧侶が、冬の装備も全くないまま裸足で歩いて越えている情景でした。その足は凍傷に侵され、見ていて本当に心の痛むシーンでした。目覚めてから、一体あれは何だったのだろうと頬をつねりたいような気持ちでしたが、とりあえず居間に下りてゆき、テーブルで父が開いていた朝刊にふと目をとめ、愕然としました。それは、「チベットの14歳のカルマパ17世、ヒマラヤを越え、インドに決死の亡命」という記事だったのです。その記事は、私の見たヴィジョンとほとんど変わらぬもので、徒歩や馬、列車、バスを乗り継いでの過酷な8日間に及ぶ逃亡によって、カルマパの足は凍傷し、顔の皮膚もひび割れていたとありました3)4)。私はチベットに行ったこともありませんし、またその当時はチベット仏教に関心を持ったこともなく、一体この事実をどのように考えてよいのか、衝撃と混乱で、その場にいた父にそのことを知らせることさえできませんでしたし、このことは長く誰にも話したことはありませんでした。
その後、カナダに来てから、友人に誘われ、リーデイングをする人に会ってみる気になり、出かけたのです。そして、その時の体験を別に話したわけではないのに、その人からいとも簡単に、さら〜っと確信を持って、「あなたは昔、チベットにいましたね」、そして私が驚いて2000年の時の体験を話すと、「高い僧位の方に仕えていたようですネ。だから、向こうからお知らせがあったのでしょう。」と言われたとき、自分でも思いがけず、すっと素直に「あ〜、そうだったんだ」と納得したのです。
しかし、この体験が私自身の「前世」の記憶に関係したものなのか、それとも意味のある偶然の一致と言われる共時性ということなのか、ここでは結論を急ぐ必要はないと思いました。ただ、こういうことが起こったのは事実だった訳で、それを受け止め、いつかそれが自分の中で醗酵して行くのを少し待とう…と、心のどこかで考えでいたのです。

引用文献
1)Brian L. Weiss, M.D.,  "Many Lives, Many Masters", Fireside, 1988
2)「前世療法−米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘」ブライアン・ L.・ワイス〔山川 紘矢、山川 亜希子訳〕1991
3)朝日新聞2000年1月7日、 「中国公認『生き仏』亡命か?」
4)毎日新聞2000年1月7日、「中国政府承認の『活仏』が亡命か?」

2011年10月20日号(#43)にて掲載

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