世の中に奇人、変人と云われる人がいて、私も過去、何人かのその類の人を見て来た。それらの人に共通して云えることは、理由はともかく人に「右へならえ」をしないで平然と我が道を往くこと。
そんな人が、ある日突然とんでもない偉業をなしとげたりする例は沢山ある。

物や生き物の中にも、時々変ったのがいて、これは云い方を変えれば「残党」とも云える。こちらは特別「偉業」をなしとげる訳ではないが頑固なところは共通しているし意外に身近にいる。

私は、そばの類、日本蕎麦とか、ラーメンが大好きで、よく台所に立って麺をゆでる。
ラーメンなどは好きが昴じて製麺機まで買い込んでしまった。
日本蕎麦やラーメンをゆでる時、ゆで加減に神経を使う。自分の好みの固さがあって、それが″うまさ″に大いに関係がある。
グズグズしていると麺がやわらかくなり過ぎて口当たりが悪くなるから一番大事な作業である。
鍋でゆでた麺をサッと笊にあける。その時、必ずといってよい程、鍋の底に一本の麺がへばりついて離れようとしない。
早くしないと麺が伸びてしまうから、そんなのは無視すればよさそうなものだが性分でそれができない。
菜箸でかき落とそうとするけれど中々これがとれなくて、イライラする。変った性分だと思うけれど、この一本の麺が次第に仇の残党のように思えて意地になって、ひっぺがそうとするから結果的に時間がかかって麺がまずくなる。
実にイマイマしい。

納豆にも必ず一粒、変った奴がいて小鉢に納豆をあけようとする時、セロファンにしがみついて離れない奴がいる。
一粒くらい無視すれば良いのだけれど性分でそれができない。この野郎!と思って箸でかき落とそうとすると、セロファンが手にくっついたりする。たった一粒の残党のために手を洗いに行かなければならないのが実にくやしい。

しかし何がくやしいと云って蚊の残党くらい癪な奴はいない。
秋が終わりに近づいて、そろそろ寒くなろうという頃、布団に入って、ウツラウツラしかけた時に毎年のように一匹の蚊の生き残りが現れる。

暗闇の中で、何故か耳のあたりであのプーンという蚊の羽音を聴いた時は、少し大ゲサに云えば、これから始まる戦いを想定して気分が絶望的になるのは否めない。

昔は、日本のどの家庭にも蚊帳があった。
これは蚊の攻撃から身を守るためには絶対的な砦のようなものだった。
どんなに頑丈な家を建てても、夏の蚊は必ずどこかから家に入ってくる。
窓に網戸をつけたって、玄関の戸を開けたり締めたりすれば奴等は「スイマセンネ…」と一緒に家に入ってくる。
だから夜、寝る時の蚊帳は必需品だったし「日本の夏」を象徴するような一種の風物でもあった。

しかし、この蚊帳も完全な物ではなくて、蚊帳に出入りする時、余程気をつけないとすばしこい蚊が人と一緒に入ってしまう。そんな時カッカとして蚊帳をはずして、足で蚊帳を踏んづけたこともあった。懐かしい思い出である。

さて話は元に戻って蚊帳のない現代の生活。それもカナダの秋の終りの蚊の話。
寝床で寝込む寸前に登場したこの残党には、全くお手上げである。
まして暗闇だから、見えない敵との闘いが始まるのだ。「来たな!!」と身構える。
顔の半分位まで布団をずり上げて、防御の体勢をとる。
目はとっくに覚めて、一ヶ所だけ肌が露出しているオデコに蚊がとまるのを待つ。
蚊がオデコにとまったら、すかさず手で叩き潰す作戦であり、兵法で云えば「肉を切らせて骨を断つ」最も果敢な戦法である。

敵は、それを察してか簡単にはその手には乗らない。しかしアルコールの甘い匂いに我慢出来なくて、いつか近づいてくる。
プーーンと羽音がきこえてくる。耳朶などに着地された時は始末が悪い。必殺の手が耳を叩く。ガーン!とんでもないショックで、叩いた本人は一気に目が覚めてジッと第一撃の結果を確かめようと、聴覚をとぎすませる。
もう大丈夫!やったやったと思っていると、しばらくして又プーーンと羽音がする。戦いはアッと云う間に乱戦となる。何としてでも叩き潰そうと思うが敵も何とかして血を吸おうと攻撃を仕かけてくる。
その内あろうことか、敵は瞼にとまったりする。手が目を叩く。闇の中で目に青い火花が飛ぶ。その痛いこと!
遂に疲れて寝込む。翌朝、鏡を見れば目は腫れ、カナダのお岩さん!?一瞬たじろいだ。


2013年1月24日号(#4)にて掲載

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