(前回より続く) 
2005年の春、野菜ハウスを造った。近くの大工に頼んで造った俄か造りのハウスは、6坪程のスペースを囲うように8本の柱をたて、屋根の部分を傾斜させ、半透明のビニールで全体を覆ったものである。荒法師のような大男の大工は、この掘立小屋を3時間で造ってしまった。実に粗雑な仕上りで、あちこちスキマだらけ。小さなドアがあるもののドアの廻りは、周囲が3センチも開いている。通風孔だと思えばアキラメもついた。体当たりすれば倒れそうな造りだが幸い周囲が塀で囲まれた裏庭である。強風にも何とか耐えている。

俄か百姓は新たな希望を胸にショベルを手にした。前年から野菜クズを大量に溜めておいた肥料を土にスキ込む。まだ完全に肥料として熟成していないので、その匂いは強烈で、昔、日本で豚小屋をのぞいた時そのまま。頭がクラクラするような絶望的な芳香である。この国では、日本にあるような鍬にお目にかかったことがない。先が爪のようになっていて、ふりおろすタイプの鍬。どこかにあるのかも知れないが、やむなくショベルで土を掘りおこしながら肥料をスキ込み、畝を作る。ビニールで囲まれた中での作業は、肥料の匂いが身体に浸み込むようである。有機肥料の臭気との戦い。しかし、畝を作って3日もするとこの強烈な匂いが、土に吸収されるのか次第にうすらぎ5日目あたりには完全になくなってしまう。

日本で買ってきた野菜の種を前に重要な順に選ぶ。 やはり青菜の筆頭は小松菜である。ネギも薬味にかかせない。ビールを飲みながら枝豆も食べたいし、おでんにはどうしても大根が欲しい。キュウリの漬物もトライしたいし、日本のおいしいトマトも食べたい。サヤエンドウも煮物に・・・などと種を選んでいるとたちどころに畑がうまってしまった。シソも夏になればぜひ欲しい香りである。野菜の芽が出たあとほとんど毎日水をやらなければならないことに気がついた。屋根があるから、雨水に頼れないのである。

昨年は、大根で失敗した。土を深く掘らなかった為に大根の根が下に伸びるに従って、固い土や石に触れて二又になってしまう。まるで朝鮮ニンジンのようだが、見ようによっては色っぽい女体を思わせ見とれた程だったが、今回はそんな失敗を避けるため、思い切り土を深く掘った。

5月になると撒いた種が一勢に芽を出した。しかし、昨年のように鳥についばまれたり、夜の寒さで芽が消滅すると云うことがない。こんなイイ加減なビニールハウスなのに保温の機能は充分に思えた。7月になるとサヤエンドウは伸び過ぎて、遂に天井を這いだした。中でも小松菜の成長はめざましく、7月の終り頃になると信州の野沢菜のように大きく育った。ネギは昨年猫のヒゲのままでなくなってしまったのに、今回は背丈が80センチにもなって、筒も太く、スキ焼きの準備OKである。二十日大根は 日で実り、繰り返して何度も種を撒く。シソは大葉を無数につけその繁殖ぶりは目を見はるようである。

家族はたいした人数ではないので、今年の夏はこんな畑でとれる日本野菜で充分だった。野菜を買った憶えは先ず無い。庭のスミに根を埋めたフキやミョウガも見事に育った。フキは昔子供の頃「どうしてこんなものがうまいんだろう・・・」と感じたものだが、今となってはそのうまさがわかる。幼ない頃の夏、母がキュウリ、ミョウガ、シソ、ゴマ、油揚げを使って冷水で味噌仕立てにする「冷や汁」なるものを作ってくれた。蝉が鳴くような暑い夏の夕暮れ、冷たい井戸水を使ったこの冷や汁はご馳走で、ご飯を何杯もおかわりした。擂り鉢を使って記憶の中にある母の手さばきを思い出しながら「冷や汁」を作った。日本程暑い夏ではないので、その感慨も80 %と云ったところではあるものの連想ゲームのように日本の風物が目に浮かぶ。蚊帳、線香花火、うちわ、蚊とり線香、縁台将棋・・・。

土を深く掘ったおかげで大根も見事に実った、辛味のある「時なし大根」は漬物におでんに大活躍してくれた。どうやらこれで、日本野菜造りの目途が立った。次期の収穫を目論んで、オクラ、インゲン、ゴボウ、ミツバ、ホウレン草、白菜等の種が出番を待っている。11月になってまだ健在なのは大根、それにブロッコリー。ブロッコリーは葉が驚く程大きくなったが、肝心の花の部分が仲々大きく育たない。待ち切れないので、この葉を漬物にして食べてしまうことに衆議が一決した。11月10日最後のキュウリ3本がモロキュウとなって胃袋に収まった。サンシャインコーストに木枯らしが吹き薪割りがいそがしくなった。

 

2007年4月5日号(#14)にて掲載

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