オリンピック後も、パラリンピックの中心地として多くの競技が行われたウィスラー。オリンピック時と同様に、無料コンサートやファイアー&アイスショーなどのエンターテイメントもビレッジ広場やスキーヤーズプラザで行われていた。
さらにメダルプラザでは毎日の競技のメダル授与式が行われ、無料で見に行くことができたので、オリンピックよりむしろパラリンピックの方を身近に感じた地元住民が多かったのではないだろうか?
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ウィスラーをパレードする日本パラリンピック選手団 |
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| インタビューに答える長田弘幸選手 |
カナダ人の金メダル第一号はオリンピック選手でもあったブライアン・マッキーバー選手。本人はアルバータ出身の選手だが、ウィスラーの人々はまるで地元の選手かのようにブライアン選手を応援していた。ブライアン選手もオリンピックからずっとウィスラーにいたわけだから地元民みたいなものかもしれない。メダル授与式では沢山の人が会場に集まってオーカナダを一緒に歌っていた。
日本人では3月18日以降がメダルラッシュとなった。まず3月18日クルスカントリークラシック10kmで新田佳浩選手が金メダル。同日アルペンの滑降で森井大輝選手が銀メダル、狩野亮選手が銅メダルを獲得。3月19日のスーパー大回転では狩野亮選手が金メダル、森井大輝選手が銅メダルを獲得した。
狩野選手の所属する会社では社長を含む応援団がウィスラーに滞在しており、「3月20日のスーパーコンビで銀を取れば、金銀銅と揃うので会社に飾ろう」と言っていたらしい。応援団は某レストランで祝杯を挙げて大盤振る舞いをしていたらしいので、その場に行って狩野選手おめでとうって一緒に祝杯を挙げられたかもしれない。そうしたい気持ちも記者にはあった。
3月20日はバンクーバーでアイススレッジホッケーで日本チームが歴史的な銀メダル。3月21日はクロスカントリースプリントで新田佳浩選手が二つ目の金メダル、大田渉子選手が銀メダルを獲得した。
今回のパラリンピックで競技生活に一段落をつける予定のノルディックの長田弘幸選手は本紙記者の「今後リック・ハンセンさんみたいな冒険的なことには興味ありますか?」という質問に「そういうことにもちょっと興味はあります」。「僕がけがをして間もない頃にリック・ハンセン選手が北海道の岩見沢にも来たんです、それを僕も見ていたんです。今回リック・ハンセン選手がウィスラー選手村の村長さんで、また会うことができたっていうのも、なんかすごいことだなって」と感慨深そうに語った。
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IPC旗を振るフィリップ・クレーブンIPC会長。旗はウィスラー市長からバンクーバー市長へ、最後にソチの市長に渡った |
一人ひとりの勇気が世界を変え、そして人々は何かの糸(意図)で結びつきあっている。そんなことを感じさせたパラリンピックだった。
With Glowing Hearts(燃え上がる心で)はオリンピックもパラリンピックも通して一貫したテーマだった。
人間という世界で一番素晴らしい奇跡を、世界で最も素晴らしい場所で見させてもらっていなんだなあって競技を観戦する中で感じていた。この素晴らしい体験が、ずっとソチに向けても続けられることを祈りたい。
(取材 野口英雄)
この記事掲載は2010年3月25日第13号です
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