私は麺好きである。別に細く長く生きようと決めた訳ではないけれど麺が口を通ってノドに移動し食道に落下してゆくあの感触がたまらない。ラーメンは勿論だが、うどん、スパゲッテイー、日本そば、やきそば、ビーフンと毎日必ず一食か二食は麺料理を食べる。

中でもラーメンは「好き」と云うのを通り越して「愛している」と云っても云い過ぎではない。男女の仲だったらもうアトには引けない段階だ。以前カラオケ屋さんで下手な歌をご披露することになって、歌謡曲の本を見ていたら、フランスのシャンソン「ラメール」と云う曲がでてきた。一瞬「ドキッ」とした。ラーメンの歌ができたのかと思った。いつだったかバンクーバーの教会で讃美歌を唄わされた後の短いお祈りがあって、最後に「アーメン」と云う段になったら赤い中華そば屋の暖簾が目の前にチラチラした。全く不謹慎な話である。

ラーメンは日本独自の食べ物だそうだ。とは云うもののやっぱりその大元は中国らしい。中国の麺料理から日本人の口に合うように少しずつ変化しながら広まりはじめたのは浅草や横浜、それも明治、大正の頃だそうだ。今や北海道から九州まで味自慢のご当地ラーメンが競っているものの、私が愛してやまないラーメンは関東スタイルの醤油味ラーメン。昔はたしか「支那そば」と云った。支那そばとラーメンの違いはいろんな説があってよくわからないものの関東で育った私が子供の頃、夜の街角の屋台ですすり込んだ支那そばは、今のラーメンよりも麺が細かったような記憶がある。具はシナチク、ほうれん草のお浸し、海苔、焼豚、半分に切ったゆで卵、それにナルトだった。それに細かくきざんだ青ネギが散っている。それ以外に余計なものは何も入っていないまことにシンプルなものだ。これにコショウをたっぷり振りかける。鶏ガラからとったスープの表面に小さな鶏の油がキラキラやさしく光っている。丼から立ちのぼる湯気の香りには一種独特の懐かしいような芳香があって、その香りを吸い込むと目尻が自然に下ってしまうような安心感に浸れた。

物の本によればラーメンについて、ヤレ「脂肪が多すぎるから注意」ヤレ「栄養面から考えると野菜不足」ヤレ「塩分が多いのでスープを全部飲むな」など注意書きが誠に多い。しかし、朝昼晩それも毎日ラーメンを食べている訳でもないし、ましてうまいラーメンは、やっぱり程良い油っこさであり、キリッとしたうまみが濃縮された味であり、余分な飾りの具が排除されたシンプルなものだと思う。栄養が足りないと思う人はラーメンを食べたあと、食堂の「定食」でも食べればよい。

日本では勿論、カナダ、バンクーバーに移り住んでから 年間、日本のラーメンと温泉のことは頭から離れたことがない。しかし、温泉を日本から、かついでくる訳にはゆかないので、日本情緒としてのラーメンにしがみつく。バンクーバーには、この頃ラーメンの専門店も沢山できたし、自分でインスタントではない「自分の嗜好に合ったラーメン」を作るための素材も充分手に入るので私のようなラーメン党には有難い。しかし数年前にカナダ西海岸サンシャインコーストに移り住んだ。サンシャインコーストには和食のレストランは一軒だけ。それも私が住むペンダーハーバーに至っては西洋レストランでさえ、片手で数える程しかなく、まして本物のラーメンを食べたいと思っても、とても無理な相談である。

バンクーバーにいた頃はなかば趣味のように自分なりの関東ラーメンを作っては悦に入っていた。しかし、今度ばかりは切実な問題としてラーメンのことを考えるようになった。私にとってラーメンは不思議な力をもっている。かなりひどい二日酔でも朝、手作りの極めて本物に近い関東ラーメンを食べると治ってしまう。食欲がなくてふさぎ込んでいても、ラーメンなら文句なく食べられる。ラーメンをすすりながら段々元気になってくるのがわかる。ラーメン様々なのだ。手製の焼豚が舌の上でとろけ、シナチクが口の中でコリコリと反発する。固めにゆでた麺が「そうは簡単に負けないよ」とばかり、歯から逃れようとする。確かに栄養も完全ではなく脂肪分も少なくはない。どうしても体の脂肪分が多くなったら役所に「脂肪届」でも出すつもりだ。

足らないラーメンの素材はバンクーバーに出た折に調達する。シナチクは調理済で既に冷凍庫で出番待ち。ほうれん草をゆで、焼豚を時間をかけて焼き、ゆで卵を作り、焼いた海苔をパリッと長方形に切って、さあ今朝も大盛りラーメンの準備が完了した。

〈次回に続く〉

 

2007年1月11日号(#2)にて掲載

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