世間のこともロクに知らない二十代の中頃。一人前になったようなつもりで会社勤めをしていた。
日本の戦後の復興もどうやら軌道に乗り始めたものの、既にその頃、東京は日常的にスモッグが空を覆いはじめ問題になりつつあった六十年代のはじめである。
安サラリーマンで、ロクに小遣いもないのに、どうヤリクリしたのか、その頃よく寄席に通って落語をきいた。
仕事を終って、腹ごしらえのラーメンなどを啜って夜の寄席に駆けつける。昼間の「青二才が追い廻されるような仕事」を離れて寄席の座ブトンに腰をおろすと、そこは別世界に感じられた。

いろんな落語家の話に時を忘れたが、中でもお目当ては名人と云われた五代目、古今亭志ん生だった。
特にこの落語家の江戸時代に題材を求めた古典落語の中の人情ばなしに、のめり込むように耳を傾けた。
それは昼間、ポッと出のコキ使われた若僧が、その反動として求めた心のオアシスだったのかも知れない。

落語は笑うだけのものでは無いことを知ったのもその頃だった。当時、世の中は既に経済最優先の風潮に傾きつつあったから、世知がらい世間の風と一時とはいえ縁を切って聴く江戸時代の人情ばなしが骨身に浸みる。

私が一番好きだった人情ばなしは志ん生の「文七元結」だった。記憶をたどりながら思い出すこの噺は何十年も過ぎた今でも当時、胸を熱くした感動がよみがえる。

筑波おろしが吹きまくる、暮れの二十八日。左官の長兵衛が本所、吾妻橋にさしかかった時、一人の若い男が橋のランカンをまたいで今にも川に飛び込もうとしている。
「オットットッ何だ何だ何だい!」
「イエお離しなすって下さい!生きていられないから死ぬんですから!」
「チョット待ちない、ヨセヤイこの寒いのに、こんなとこへ飛び込んだらカゼひいちゃうぞ!よしなョ、よしなってんだョよしなョ!!」
長兵衛は何とか止めようとして若い男の頭をポカリと殴る。

――オオ、イテエ…アー、イテエ何でぶつの?ケガしたらどうすんの!
「ケガしたらどうすんのったっておメエは今、ここへ飛び込もうってんじゃネエか…どうしたんだい!?」
――ヘエ、生きてられませんから死ぬんですから、どうか助けると思って殺して下さい。
「…両方できねえョおらあ!どうして死ぬようなことになったんだョ。訳を云いねえな」

――ヘエ、私は日本橋にあります鼈甲問屋の若い者で名前を文七と申しますんでございます。今日、水戸様のお屋敷へお勘定をとりに伺いまして…。

長兵衛に若い二十才前後の店者が話すには…。
今日、小梅の水戸様でお勘定を頂いて御門を出て、まくら橋に差しかかった時、風体の怪しい奴が来て私に突き当りました。駆け出したので「おや!?」と思うと、もうフトコロにあるものがありません。
金を盗られたと云って主人のところへ帰る訳にはいきません。それが為に主人にお詫びの為に死ぬんですから止めないで下さい…。涙乍らに話す文七。

ようやく事の次第がわかった長兵衛も考え込んでしまった。
「ううん、だけどもオメエ何だぜ、人間て奴は寿命があるのを縮めるってェのは神に済まネエ…。オレはオメエが、ここから飛び込もうったって飛び込ませねェ!親も兄弟もあるんだろう、良く相談して見ネエ!。何を?親も兄弟もねェのかい?
ううん、そらあ何だなあ…。だけど、オメエがここから飛び込むって、そうかって俺は通り過ぎることは出来ねェ…。俺はここから動けネエ…」

――そうですか…それでは死ぬのをやめます…と文七。

「やめるか?その方がイイぜ!又何とか考えのつくもんだ、どうにかなるもんだ、なんとかなるもんだ、命は大事だ。なあ考え直して良かったなあ、オメエが、いきなり飛び込もうとするからオラァ驚いたヨ…。
ウァーイ!又飛び上りやがるこの野郎、今死なねえって云ったじゃねェかヨ!!降りなヨ!」

――ヘエ私はどうしても生きていられないんでございます…。

「じゃあ何か?その金がなければ生きていられねえって云うのか…。…盗られた金ってェのはいくらだい…」
――五十金でございます…。
「エッ五十金?五十両か!?そうか五十両かあ…五十両じゃあなあ…うーん、だけど何か助かる方法はネエかおめえ、エッ?」
――だめなんでございます。

「そうか…じゃ五十両ありゃあ死なずに済むんだな!じゃあ俺がおめえに五十両……。何か他に考えはねえかオメエ!
ネエ?………。とんでもねエとこへ出っくわしちゃったなあ…。そいじゃ……俺がおめえに五十両の金やろうじゃねえか!!」
長兵衛が血を吐くように云った。
――イエ、とんでもない、知らないお方から!
「当りメエだい!とんでもネエのは承知だ!」志ん生の名演は続く。


 

2010年11月11日号(#46)にて掲載

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