多分、昔は鍛冶職人が多く住んだ町だと思われる東京都千代田区神田鍛冶町。
この町に私が仕事場を持ったのは、それまでのデザイン事務所が手狭になって二度目の引っ越しによるものだった。
東京の国電山ノ手線、神田駅を環状線の外側に降りて五分程歩いた場所で山ノ手線のガードが目と鼻の先。どこへ行くにも便利この上もない場所だった。
今あるかどうか解らないこのFビルの五階の一室を探す時、神田駅近くの不動産屋に、神田駅まで徒歩五分、這っても十分、広くて安いオフィス…という条件を出した。
さすがに東京、神田の不動産屋の反応は早くて、事務所探しを頼んで二日目に返事が来た。土曜日だった。
聞けば、これ以上の物件は神田中探しても先ず無いと云う。駅まで歩いて五分ピッタリ、オフィスの広さは条件以上だし、家賃は条件以下。
来週のはじめに早速見にゆきたいと云ったら、不動産屋が明日の日曜日の方が都合がイイと云う。
それにビルのテナントが皆休みだから落ち着いてよく見られる…と云うのでそれもそうだなと思って翌日の日曜日に見にゆくことにした。
今思えば、この日曜日の下見…と云うのが不動産屋の巧妙な作戦だった。
翌日曜日、不動産屋のスッポンのような顔をした営業マンに連れられて、目指す物件を見に行った。
場所柄、飲食店が多いものの午前中だった事もあって、その割には人も少なく鉄筋コンクリートの六階建てのFビルは、そんな中で一段と重々しく見えた。
一階の外装は白い大理石貼りで、唯、ビルの一階全部を使っているらしいテナントはシャッターが降りていて職種が解らなかったが、特別聴きもしないで紹介された五階の物件に案内された。
それまで狭いオフィスでやり繰りしていた私の目に、その空室は夢の様な広さにみえた。
デザイン・オフィスとしての大切な採光も充分で、家賃は予算をはるかに下廻っている。
鉄筋コンクリートの建物だから窓を閉めれば静かそのもので、断る理由が無くなった私は、その場で即決してしまった。
その日のうちに契約書を完成させて、必要なお金を全て支払って契約は完了した。
二週間後の引っ越しも同じ神田エリアからの移動だった為に誠にスムーズに終わった。やはり日曜日の引っ越しだった。
一九七〇年代のはじめ、日本は「列島改造論」をひっさげた田中角栄内閣が発足。ガロの唄う「学生街の喫茶店」や、よしだたくろうの「結婚しようよ」と云う曲がTVから流れ、世の中の景気は上向き加減。
わがデザイン事務所も新しい広い仕事場を得て、スタッフの面々も心なしか水を得た魚のように見えた。この引っ越しは大成功だと思った。
さて、オフィスの引っ越しが終わって翌日の月曜日。爽やかな秋日和だった。
自分のデスクの廻りの整理も一通り終わったので、私は気分上々で仕事先との打ち合わせにでかける。
午後の秋の陽射しが柔らかく降りそそぎ、神田鍛冶町一帯は活気があって、次第にこのFビル周辺の町並みに身体がなじんでくる。
午後六時頃、山ノ手線を神田駅で降りて社に戻った。確かに不動産屋の云った通り徒歩五分だ。
四分歩いて我がFビルに近づいた時、急に軍艦マーチが耳に飛び込んできた。
♪ズンズンズンタカラッタ・ラッタッタッタッタッ!!

ゲゲッと思ったら、その軍艦マーチは我がFビルの一階から響いてくる。大音響だ。
ビルの一階には提灯がズラリと下がって幟まで立って蝶ネクタイをした店員が、揉み手をしながら客を引いている。
下見の時もきのうもシャッターが降りていて全くわからなかったが、一階は何と、キャバクラと称するピンクキャバレーだったのである。ネオンが光る。落下傘のようなスカートをはいたホステスが通行人を引っぱる。
呆然とFビルの前に立ちつくす私にホステスが小走りに寄ってきて、アーラお兄さんステキ!
「ちょっと待ってくれ…俺はこの五階に事務所を借りているんだヨ!!」客引きの彼女を振り切ってホウホウの態で仕事場に戻った。もうアトの祭り。道理で家賃も安い筈だ。
完全に不動産屋の作戦勝ちだった。もうイイや、潔く負けを認めよう。それが男だ?!
陽が沈むにつれて、Fビルの周辺の店がひらいて、無数の提灯がゆれだした。
歓楽街のド真中。これから毎日袖を引かれる事を覚悟した。
この町、この環境に自分が馴染むしかない。トホホホ・・・。
(次回に続く)

 

2010年9月23日号(#39)にて掲載

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