私は上戸だから酒のツマミには滅法、興味がある。
その日飲む酒が、うまく感じるか、それ程でもないか…は一重に肴にかかっていると云っても云い過ぎではない。
むしろ、うまい肴を口にしたくて酒を飲んでいるような気もする。

そうかと云って特別吟味された肴が欲しい訳ではない。うまい酒のツマミに共通して云えることは私の場合は甘ったるくないもの。これに尽きる。少し脂肪分があると尚、結構。
今は日本料理店など皆無の土地に住んでいるから好きな酒のツマミは自分で造る習慣がついてしまった。

いろいろなツマミ作りにトライしてきたものの行きついたところは結局マグロ。
しかし唯、マグロを切ってワサビ醤油で食べるだけ…と云うのも今一つ能がないような気がしていた昔、友人から一工夫したマグロの刺身の食べ方を教わった。
日本には昔から漁師料理としての「イカの沖漬け」なるものがあって、これはイカ漁の漁師が漁が終った船の上で獲れたばかりの、キュウキュウ鳴いているイカを醤油だれの桶に放り込んで、それをブツ切りにして丼メシで食べると云う豪快なもの。友人の話はそれをマグロに応用したものだった。

先ず新鮮なマグロが必要で私が住むペンダーハーバーの港で漁から帰ったばかりの漁師から二、三本の小ぶりなマグロを買って冷凍保存。
このマグロを一口大のサイコロ状に切る。ニンニク、生姜を細かくきざむ。ネギを細かい輪切りにして沢山用意する。白胡麻を炒って摺り鉢で大量に摺る。
これらをボウルに入れて醤油と酒をそそぎ入れ、少量の調味料を足して静かにかきまぜるだけ。わずか二十分少々の手間である。
一番大事なのは醤油と酒の量。これは何度かやっている内に見当がつく。酒は甘口が良い。
こんな単純なものなのに酒の肴にピッタリ。酒のツマミとしてウマイと云うことは、ご飯のおかずとしても絶品である。
少し多目に造っても密閉した容器に入れて冷蔵すれば余程暑い時でない限り四日は保つ。食が進む。いつも進むけど…。

ついでに、もう一つこれ以上簡単なものは無いと云う酒のツマミをご紹介します。(何だか料理番組みたいになってきた)
先ずネギを六センチの長さに切り、更に四ミリ巾位にタテに細く切る。底が平らな小皿に並べて醤油を振りかけ、なじませる。三、四分するとネギがシンナリしてくる。
そこに調味料を適量ふりかけてから、胡麻油をタラタラと垂らし入れて、箸であえる。
これで終り。どうモタついても五、六分で完成する。名づけて「中華風ネギ胡麻油あえ」出来上がったら、酒のアテにつまんでみて下さい。次に簡単なナメクジの…イヤ、これは又、次の機会に…。

さて今を去ること三十五年の昔、たった一人の弟と新宿の俗称ハモニカ横町の焼き鳥屋に入った。弟がうまい店だからと私を誘った。
焼き鳥の串を一通り食べたが特別ウマイ店とも思えなかったので、小さい声で弟に唯の普通の焼き鳥屋じゃないか…と云ったら彼が責任を感じたらしく店の主人に「何か、こう変わったツマミは無い?」と聴いた。
そうしたらオヤジがニタッとして云った。
「あるヨ今日は、シャモキンがあるヨ。滅多に喰えないヨ!」
聴けば軍鶏の雄の睾丸だと云う。引っ込みがつかなくなった弟が、それを注文した。私は遠慮した。
考えてみたら、シャモが一物をぶら下げて歩いているのを今迄見たことがないので私はどんな料理が出てくるのか興味があったが「ヘイお待ち!」と出て来たのは小皿に乗った生卵の黄身のようなもので、それも黄身の廻りに血管が無数にまとわりついている代物だ。
弟が平静を装って「ヘエーこれがシャモの…ネエ。どうやって食べるの?」と聴く。
オヤジは平然と「そのまま醤油をかけて飲むんだヨ。ウマイヨ」とのたまう。

弟は意を決して飲んだ。少し真顔になって目を白黒させて…。どうだウマイか?と聴けば、「ウーン、まあネ…」オヤジの手前もある。
その後、弟はその店主と昵懇になり何度か、その店に通ったらしい。
そして人が良すぎる程の性格だった彼はそのたびに「元気になるから…」と云うオヤジのススメを断り切れずシャモキンを飲んだそうだ。

その後しばらくして弟と会って例のシャモキンの効果をきいてみたら、さしたる変化もないとのことだったが一つ気になることがあると云う。
「なんだか、この頃妙にイライラして電車に並んで乗り込む時とか雑踏を歩いている時に前にいる人に飛び蹴りをしたくなったり喧嘩を売りたくなる時がある。血圧が高いからか…」
アブネエな、もしかして、あのシャモの…と思った。
人が良過ぎるのも考えものである。
優し過ぎる程、人を気遣った弟は蝉の声がうるさい程の或る夏の日に先を急ぐように逝ってしまって、もうかれこれ十年。

 

2010年8月19日号(#34)にて掲載

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。