海なし県に生まれ育った私は子供の頃から海にあこがれる気持ちが強かった。
中学生の頃、神奈川県の片瀬に学校の旅行でゆき、深閑としたお寺の本堂に寝泊りして海とお寺の間を行き来した夏休みがなつかしい。
成人して生家を出てからはなるべく海に近い家に住んだ。今は満潮の時一本の橋で繋がる島に住んで潮の満ち引きを体で感じたり、海鳴りを聴いたりの毎日。どうもこれから山奥に住むような気がしない。
東京で仕事をしていた頃、神奈川県の真鶴に小さな一間の家を借りて、週末にはそこへ行った。
近くの港で釣り糸をたらし、魚が釣れても釣れなくてもおいしい潮の香りを胸一杯吸って東京に戻った。
東京・神田にオフィスを持った頃、取引先の銀行員Mさんが、暑い中サービス品の石鹸や洗剤、スポンジのタワシなどを沢山かゝえて訪ねてきた。
その頃の銀行は家庭雑貨をやたらに取引先に配ったので外廻りの銀行員の自転車のカゴは、そんなもので一杯だった。
Mさんは汗をふきふき水を一杯飲んで、やおら「たまには一緒に海へ行きませんか…」と云う。私が海好きなのを知っているのである。
「鎌倉へ海水浴に行きましょう。実はダイビング用のウェット・スーツを買ったんです」
聴けば夏のボーナスで念願だった潜水用具一式を買ったらしい。彼がそれ程、海好きな人とはツイぞ知らなかった。私は海水浴より魚釣りの方が良かったものの、次の日曜日にM氏と一緒の鎌倉行きとなった。
日曜日の朝、我家に迎えに来てくれた彼の車の中は、ウェットスーツや足ヒレ、腰につける鉛などで一杯だった。
定期預金の金利が○・何%上ったの下ったのと普段しゃべっているこの人に、こう云う野趣に富んだ一面があったことが信じられない程だった。
道々、Mさんが話す海水浴の話で盛り上り大笑いする。彼は海水浴が昴じて、とうとう海に潜りたくなった人であり、一方私は海の上から魚釣りをすることに傾きつゝあるので、そうしても話すことがチグハグになる。
今日は海水浴だからMさんに主導権がある。
「実はね、海の中でするオシッコって気持ちイイんですよ。特にウェット・スーツの中ですると温かくて温泉に入ってるみたいなんです」
大手銀行の行員とは思えないような話題が始まった。
彼が云うには、海水浴場の丁度おヘソ位の深さの所で腕組みをして、少し寂しそうな顔で遠くの入道雲などをみている人は、ほとんどトイレに行くのが面倒でオシッコをしている人だと云う。
その証拠に、二分もするとブルルッと体を震わせると云う。すごい学説がでてきた。
やがて鎌倉の海に着いた。やれやれと海の家に入って水着に着替えようとしたらM氏が「高いから勿体ない」と云う。どうするのかと思ったら車の中でチェンジすると云う。
窮屈な車の中で着替え海辺に出た。仲々倹約家である。 
彼はご自慢のウェット・スーツに足ヒレ、腰には鉛のベルトと云ったいでたちで頭にはシュノーケル。まだ酸素ボンベは買ってないらしい。
「ちょっと行って来ます。」
どうやら早速潜るらしい。背はどちらかと云えば低いMさんだが、なんとなく颯爽としている。
いつも自転車で家庭雑貨を配っている銀行員には見えない。
見れば腰には大きなナイフを携えている。一体何のためかと思って聴けば「サメから身を守るため」だと云う。
この辺の海は私の方が詳しい。サメなどいないのだ。せいぜい、いても20センチあるかないかのキスか15センチのメゴチ位の筈である。
M氏が大勢いる人を分けて海に入ってゆく。足ヒレがあるから歩きにくそうだ。
はるかかなたに入道雲が湧き立っている。もう完全な夏。
「それじゃ行って来ます!」M氏がニッコリ笑って私の10メートル程先で水に沈んだ。危険な海ではないけれど一応「気をつけて…」と声をかけた。
顔は水の中に入ったが、どうもそれ以上潜る気配がない。
シュノーケルと頭のテッペンが見える。その頭がクリクリと回転している。どうやら一つの地点であちこちを観察しているらしい。
その内ツツツーッと横に頭が移動した。決して沖には行かない。一瞬、頭が見えなくなって足ヒレが、バシャッと水を打った。いよいよ、これからだな…と思って見ていたらM氏が立ち上がった。何のことはない。私が立っているところと深さがほとんど同じ。何しろ遠浅だから。
今日のダイビングはこれで終りだと云う。どちらかといえば超小規模の潜水と云えるだろう。近くに寄ってきたM氏に儀礼上「どうでした?」ときいた。
「イヤ、きれいです。魚も一杯いるし、スッゴクすごい!」と云う返事。どうスゴイのかよく解らないけれど、とにかくスゴイらしいのだ。「あゝこの人はロマンチストなんだな…」
夕陽の車の中でそう思った。

 

2010年7月29日号(#31)にて掲載

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