一般の日本人が名字を許されることになったのは明治維新以後だそうだから、それまでは森の石松とか八百屋お七などと呼んで同名の識別をしたのかも知れない。
昔、勝手に友人が住む地名を姓と入れ替えて呼び、一人で楽しんだ。例えば水戸に住む「水戸の源三」、大津に住む「大津の五郎」…。途端に侠客の匂いがしてくるから不思議。又、人は顔の印象と姓が一致する人としない人がある。
以前、鶴丸さんと云う人を紹介され、お会いするまではなんとなく頭髪もなくて、まんまるなJALの以前のマークのような印象を持っていたが、お会いしたらあごの張った四角形のマスクで面食らった。顔と姓がマッチしない。
会社づとめをしていた昔のこと東京から大阪に三年間の転勤を命ぜられた。
知らない土地で心細かったが社員名簿を見ていたら大阪の支社に惚れぼれするような名前の男性がいて、同じアートに携わる人でもあり、その人にお会いするのを楽しみに東京駅から安物のギターを抱えて夜行列車に乗った。
その方は名前を旦敏郎さん。聴くだけで男らしい響きがある、旦と云う字には、あしたとか朝と云う意味があり、敏郎と云う字から受けるイメージは当時、押しも押されもせぬ銀幕のスター、三船敏郎だった。黒沢監督の映画に多く出演した苦み走った豪放なタイプの美男である。
わくわくしながら、大阪支社で旦さんとお会いしたものの私が勝手に想像していた旦さんの印象は見事に外れた。特別、苦み走ってもないし、おだやかでいつもニコニコ笑っていて、牛乳ビンの底のような、渦を巻いたレンズのメガネをかけておられた。
それから三年間、公私共に温厚な旦さんに助けられ大阪生活を過ごすことが出来た。朝のように清々しい方だったが今はどうしておられるか。
以前、日本の或る学校の学長さんのお名前に目がとまった。姓と名で同じ漢字三文字。音で読むと、どうしても踊りの間ノ手のようにきこえ多分命名されたご両親はユニークな方だったのだろうと想像した。
東京でデザイン・スタジオを持ってドタバタしていた頃、毎年のようにスタッフを募っていた。
デザイナー主体の仕事場で、かなり個性の強いタイプが多く、どう云う訳か音楽をイメージさせる名前のデザイナーが増えてしまった。
杉田次郎君、遠藤実君、小畑稔君…。いづれも立体デザインを志すメンバーだった。人によっては伊藤さんが歌が好きだからですか?とかデザインの他に音楽関係のことも?などと云う人もいて困った。
杉田次郎君、時めく歌手と同名だったが歌を唄わせると音程が変わらないので何となくお経のようで誰かが「ご親族の方からどうぞご焼香を…」と茶化し本人が本気で怒った。
遠藤実君はご存知の通り、先年亡くなられた演歌の名作曲家と同名。歌は鐘二つと云ったところ。当時、全国指名手配になっていた殺人犯に似ていると誰かに云われて、ふてくされていた下町っ子。
ボーナスを貰うと大抵、となりの韓国へ遊びに行って五、六日帰ってこない…と云う特徴?があった。
少し以前の勘太郎月夜唄で売った歌手、小畑実と一文字違いの小畑稔君は正しくこの歌が十八番だった。
♪影か柳か勘太郎さんか…といつも唄っていたが、歌に出てくる信州、伊那の実家を継いだ。それぞれ独立したりして懐かしいスタッフである。名は体を表す…と云う格言があるけれど、どうも必ずしもそうではないようだ。
でも、やっぱり人の姓を聞くとどうしても、その人のご先祖が苗字をつけた頃のことに思いを馳せてしまう。
それに、許されて姓を決める時自分で決めたのか、それとも土地の名主あたりが決めたのか興味はつきない。
お前さんは小さい川の前に住んでいるから「小川」にしろとか。あんたの家には藤の木がある「藤木でイイだろう」とか。あるいは君の家の前には大きい橋があるから「大橋」としなさいとか。
お前の田圃は石がゴロゴロしているから「石田」だとか…。
それとも俺は船を三隻持っているから「三船」だと自分で決めたのかも知れない。
しかし姓から情景が想像できない名前もあるからやゝこしい。 現代の日本人の姓名は、およそ五、六文字で収まる。
それに特に漢字の姓は文字そのものに意味があるから人とその姓の意味を重ねあわせて記憶しやすい。
つい最近、我家の近くに住む白人の女の子の名前(ファーストネーム)を聴いてズイ分長い名前だな…と思った。
よくよく聴いてみたら、その女の子が生まれて、イザ名前をつけようとしたら、父親と母親がそれぞれ考えた名前があってどうしても双方が譲らず仕方がないので二つの名前をくっつけて一つの名前にしたそうだ。道理でながい筈だ。子供は堪ったものではない。
家の裏庭に出没する狸夫婦にそろそろ名をつけようか。姓は「森住」か「知良樫」

 

2010年7月8日号(#28)にて掲載

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