今まで沢山夢を見て来たけれど、どうもあまり良い夢を見た憶えがない。
一番多い夢は高いところから落ちる夢で、元々高いところが苦手のせいかも知れない。小学生の頃、社会見学と称して市内の消防署の火の見やぐらに登らされ、上まで登ったものの降りられなくなって参った記憶がある。
成人して乗合船に乗って釣りに行き、船頭が云う海底までの深さを聴けば四十メートルを越えていて、消防署の火の見やぐらより遥かに高く、尻がムズムズして急に落ち着かなくなった。
どこから落ちる夢かと云えば崖が多い。崖の端の方が少し低くなっていて、何もつかまるものが無いので、いくら突っぱっても身体が崖の先端に向けてすべってゆく。
遂に足が崖から出て宙に浮きすべり落ちる。
大抵そこで目が覚めるが、覚めないときは途中の樹の枝にひっかかったりする。冷汗をかいて目をさます。
一度ベッドから落ちて、電気スタンドの台に嫌と云うほど頭をぶつけた。
この時は屋根から落ちる夢を見ていた時で、その夢を見たから落ちたのか、ベッドから落ちる時に屋根から落ちる夢を見たのか、どうもよくわからない。
私は発熱に極めて弱くて風邪をひいたりして熱が三十八度を越えるあたりから、何が何だかわからなくなって、ウナされる。
そんな時見る夢には決まって昔、幼年期を過ごした生家の障子が登場する。
実際の障子がどうなっていたか今は生家もなくなって解らないけれど、その障子のタテの桟の数が奇数なのだ。
そのタテの桟を丁度半分に分けようと努力するものの奇数だから右か左どちらかが多くなり、公平に分けられない。
すると、うまく二分できない苦しさでウナされ、更に熱が上がる。疲れ果てて目が覚める。風邪をひいて熱が出るたびに、こんなことを何十年も繰り返してきた。
左右の数が伯仲した連立政権の首相のようだ。
たまには良い夢を見たいものだと思っていたところ、昨年の中頃自分の歴史に残るような夢を見た。
夢は大抵、目が覚めてしばらくすると忘れてしまうのに、この夢はあまりにも強烈で今でも細部まで憶えている。
こんな私にも柄にもなく何十年も前から、あこがれている日本の女優がいた。
決して天才的な役者としての才能を持った女優とは思えなかった彼女が一九六二年に出演した煙突が登場する映画あたりから努力家らしい伸びを見せた。
彼女の映画は、そんなに沢山見たわけではないけれど見るたびに人の心の演技に磨きがかゝって山陰のひなびた温泉街が舞台となったドラマでは画面に釘づけになってしまう程人間としての哀感と魅力にあふれていた。
その女優に対する憧憬は何十年経っても自分の心の隅に小さな灯りをともしている。
あろうことか、その女優が昨年の私の夢に遂に登場したのである。
そして何と教会で私と結婚式を挙げている。(バカバカしいと思われる方はTVのスイッチをどうぞ)
まさか夢とは思わなかった私は牧師の前でふるえる手で彼女の指にリングをはめた。「一心 岩をも通す」そんな気持だった。
結婚するまでのイキサツは一切でてこなかった。やっぱりいろいろ無理があったのだろう。でも過去はどうでも良い…と思った。
終り良ければ全てよしと云うではないか。
どう云う訳か披露宴はなかった。お金が足りなくなったのか…。アッと思ったら二人はオープン・カーに乗って横浜の港に向っている。
その車は水陸両用車で港のスロープから海にすべり込んだ。新婚旅行の行先は、ありふれていたけれどハワイだった。
実はこの辺から少しおかしいな…と夢の中で考えた。
こんな小さな車(船)でハワイまで行けるんだろうか…と心配になったけれど、エエイ乗りかゝった船だ!?とばかりアクセルをガンガン踏んだ。
しばらく走ると又少し冷静になった。もしかして俺は重婚か?と云う声がする。
とにかく行けるところまで行くしか無い。
東京湾を出たあたりから案の定、車の中が水浸しになって、とうとう大波をかむった。沈没である。
彼女だけは何とか助けなければならない。手を伸ばして彼女の腕をつかむ。必死だった。「もうダメだ…あの世へ行って蓮の花の上で世帯を持とう…」雨蛙のようだが彼女も「ハイ…」と云う。うれしくて泣いた。
彼女も私の腕をつかむ。それ程爪をのばしていないのに握力が強くて爪が痛い。
「イテイテイテ!」と叫んで目が覚めた。自分の右手の爪が左腕に喰い込んで…。
切なく清らかな夏の夢だった。

 

2010年7月1日号(#27)にて掲載

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