私が生まれ育った郷里川越市の中心街に老舗の荒物屋があった。鍋や釜をはじめ、たわしに至るまで大抵の家庭雑貨がそろっていた。
店のキャッチ・フレーズが「ナイものはナイ」と書かれていて子供心に考えた。
これは無いものはいくら無理を云われてもありません…と云うことなのか、それとも全ての物が揃っていて、不足の品物はない…と云う意味なのか解らなくて友だちと頭をひねった思い出がある。未だに結論がでないまゝである。
町を歩く人にそう云う疑問を抱かせただけでも、このコピーは名句だと思う。
カナダに移り住んで二十二年。はじめの十五年間はバンクーバーに住んでいた。
値段はともかくとしてバンクーバーでは我々日本人が使い慣れた品物や食品が殆ど手に入ったので、不自由は感じなかった。
七年前に西海岸サンシャイン・コーストのペンダーハーバーに引越した。
予想した通り人手が入っていない自然が、ふんだんにあって人とのツキ合いと野生生物とのツキ合いが半々と云った感じ。自然をモチーフにした絵を描くのには誠にうってつけの土地柄である。
しかしその反面、不便であることは否めない。
ペンダー・ハーバーの中心部に最小限、生活を維持する為の商品を置いた店があるものの都会の便利な生活を経験した人間には、いささか心細い気持ちになるのは否定できない。
靴下もパンツも履物もない。シャツもなければ銀行もない。「無いものは無い」のである。でも、そんなものは時々隣町やバンクーバーへ買い物に行けば済むことだから、どうと云うことはない。
私にとって一番の問題は今迄食べ続けてきた、アジア系の食品、香辛料である。 
日本そば、うどん、そしてラーメン。一日最低二食はこんな物を啜らないと身が保たない。自分でも麺好きだと思わざるを得ない。
特に買い置いた生ラーメンや日本そばが間もなくなくなると云う頃になると落ち着かなくなって動悸がしてくる。
バンクーバーまで一っ走り、フェリーで一航海すれば済むものの少々億劫になって来た。生ラーメンは関東風ラーメンと云うこだわりがあって、とうとう小型の製麺機を買い込んで麺を作りはじめて三年。
どうやら納得のいく支那そば風の麺が作れるようになった。ついでにスープの濃縮垂れ作りも数回の失敗で何とか自分なりの味が完成した。
何のレシピもない。仮にあっても、自分が昔街角の屋台で啜った支那そばの味を目指しているので参考にはしない。この濃縮垂れの味を決定的なものにした物がある。
それを最後に投入したら遂に理想の味になった。秘中の秘である。竹の栽培まで手が廻らず、生の支那竹を入手、調理して保存。チャーシュウは大量に焼いてこれも冷凍庫へ。小さな畑で採れた菜をゆでて、これも長期保存OKである。
これにナルトとゆで玉子が入れば関東風ラーメンの完成である。
さて日本そば、うどんも大好物である。ざるそば、ざるうどん、天ぷらそば、天ぷらうどん、煮込みうどん。
しかし、この類には唐がらし、とりわけ辛い「一味唐がらし」がどうしても欲しい。
車、フェリーと乗り継いでバンクーバーまで、唐がらしを買いにゆく気にもなれず、遂に自家製に踏み切った。
バンクーバーに行った時、中華街で大量に買っておいた鷹の爪を引っぱり出して天日に一日干す。元よりレシピはない。太陽に当った鷹の爪は赤味が増して、そばに行っただけで辛味が増しているのが解る。鼻の頭から汗が出てくる。
その干されてカラカラになった鷹の爪から種をとり出す。この辺りから、くしゃみの連発となるが構っていられない。誰も近寄ってこない。孤独な作業が続く。
次にミキサーを引っぱり出して種を取り除いた鷹の爪をガサガサッと投入する。
タオルを一本だして鼻と口に当てウシロでギュッとしばる。
ミキサーをベランダに置いて、スイッチを入れる。高速回転一分間。とてもソバには近寄れず一間も離れているのに又くしゃみの続発となる。
目からは涙がとめどなく流れ鼻水が止まらなくなる。しまいにはゲホゲホと咳が出て、ヨロヨロしながら決死の覚悟でうなるミキサーに、にじり寄ってヤッとの思いでスイッチを止めるものの、しばらくは目汁、鼻汁、くしゃみが止まらず顔がグチャグチャになる。
この苦業の結果できた「一味唐がらし」は今迄どこで口にしたものより辛い。
うどんや、そばに振りかけて一口啜った段階で咳がでる。まるで口の中が火事になったようだが味は格段に引き立つ。
こうやって書いているだけで鼻の頭から汗が出てくる程だから鷹の爪の威力には頭が下がる。
ついでに胡麻油を熱してこの唐辛子に半々の割合で入れ一日置いたら立派なラー油が出来た。今のところ唐がらし市場に参入する予定はない。
多分、体が保たないから…。

 

2010年6月24日号(#26)にて掲載

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。