以前からわからないことが沢山ある。どう冷静に考えても考えれば考えるほど、わからなくなる。
みっともないから人にも云わないし、もし話したとしても一笑されて相手にされないのが目にみえているから云わない。数十年も経っているのに時々思い出してもう一度考えてみるのだが、やっぱりわからなくて頭の中の未解決の箱の中に又しまい込む。
そんな経験をお持ちの方が読者の中にもお有りかと思う。

たとえばフォログラフィーと称する映像がある。空中に像を結ぶ立体映像のことで数十年も前の空間デザ インの仕事をしていた頃は、はじめはビックリしたものの原理がわかれば別に驚きもしなくなった。暗い部屋で一つの被写体を三方から同時に撮影した動画を三 つの映写機で、これも同時に中心に像を結ぶように映写すれば人が踊ったりしている姿が立体映像となって中空に浮かぶ。
但し映像を再現するその暗い部屋には霧状のスモークが必要で、昔このシステムを使って撮影した映像を試写する時ゴホゴホむせながらタバコを吸ってテストに協力した。

又、遮断機の降りた踏切に警笛を鳴らして電車が走ってくる。その時警笛の音が電車が近づく程、低くなって通り過ぎ、遠ざかるに従って元の高音に戻る。
この理屈をある物理学者にきいたら、実に簡単な理由で、知ってみればどうと云うこともなく、あまりバカバカしいのでもうその理屈も忘れた。

しかし世の中にはこのように解ることばかりある訳ではない。私にとって未だに狐につままれたような東京、秋葉原駅での体験が、もう三十年も経つと云うのに、まだ頭の中の「未解決」の箱の中に入っていて時々まだ憶いだす。

当時、私は東京港区に住んでいて千葉市に住む兄の家に用事があって出かけた。帰りは千葉駅から総武線に乗って秋葉原駅で降り、山手線に乗り換えて品川駅方面に向わなければならない。
だから電車の座席に腰掛けてウツラウツラ…「アキハバラア…」と云う車掌の間の抜けたような、けだるい声で目が覚めて開いたドアから総武線のホームに降りた。そこまでは良かった。元々方向音痴の私だが何の問題もなかった。

しかし信じられないパニックがここから始まった。恥を忍ばなければ書けないのは実はここからなのだ。
総武線の電車からおりた私はホームの階段をおりて地下道に立った。わからないのは実はこの辺からなのである。
次に山手線の品川方面行の階段を探して又階段を登るものの、ホームのサインを見るとそこは反対廻り、つまり池袋方面行ののりばなのである。
私は字は一通り読めるつもりだし、サイン通りに歩いたのにどうしてだろうと考えたものの、イイヤ世の中には少し位不思議なことがあったってイイんだと思 いながら登った階段を又おりた。そしてもう一度歩いた地下道を逆に戻って総武線の乗り場への階段の下に立つ。かなり距離がある。
一呼吸入れて又山手線の品川方面行の乗り場めざして歩き出す。秋葉原駅は大きな乗り換え駅だから、やたら人が多い。二度と間違うまいと思って慎重にユックリ歩いているのは私だけだ。
千葉の海の方からの海産物の干物やピーナツ等をシコタマ背負って手拭いで姉さんかぶりをしたオバさんが沢山いる。ヒマラヤのシェルパのようなその威勢のイイおばさん達に体当たりされながら私は山手線品川方面行のホームをサインを見ながら探し、又石段を登ってホームに立ってみるとやはりそこは反対廻りの山 手線つまり池袋方面行なのである。
「いけねェ又やっちゃった」
口には出さないが、腹の中で自らのヘマにあきれて呟き、又階段を降りて、スタート地点の総武線の階段下までたどり着く。少し不安になってきた。同じことをあと三回繰り返したら動悸がしてきた。
もうやめよう。そう思って私は総武線のホームに又上がってベンチに座り込んで考えた。
これではいつまで経っても家に帰れない。かと云って人に聞くのは恥ずかしい、意地でも聞けない。だってお前さんは東京に住んでいるんだろう!ともう一人の自分が呟く。
出口と云う文字が目に入った。出口はとにかく一カ所だから間違いようはない…と思った私は秋葉原の電機屋街に用があるような顔をして外に出た。改めて改札口からやりなおすしかない。膝がガクガクしている。目も血走ってきた。
腹がすいてきたので、とり敢えず体力の回復を目指して中華そば屋に入る。ラーメンを注文する声にも力が入らない。確かに駅構内のサインの文字は小さく、 わかりづらかったことを今でも憶えている。それにしても不思議だった。その後同じ目に遭った人に二人会って、エッまさか!!等と驚いてみせたのを思い出す。

 

2010年4月8日号(#15)にて掲載


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