世の中には「そそっかしい」とか「うっかりして」とか云って済まされる失敗が数限りなくある。

自分のことをふり返ってみただけでも両手をひろげてもまだ足りない程の失敗話があってこれから先何年生きるかわからないけれども、せいぜいこれからの失敗は笑って済まされる程度の事であることを祈るばかりである。

私が一番骨身に沁みた失敗は十七才の時に起きた。テニスの合宿で学校の教室にフトンを並べて寝起きしていた時のことである。

とても寝苦しく寝つけない晩に誰かが学校の近くにある市営プールに泳ぎに行こうと云いだした。

そいつはイイヤと云うことになって十五人ほどの仲間と月のない暗い夜道をかけ出した。十分も走ったらプールに走り着く距離で、先頭を切って走っていた私は管理人もいないプールの金網を乗りこえ勝手を知ったプールにパンツのまま飛び込んだ。「やった!」と云う満足感と共に。

事態の急変はその時起きた。水がなかったのである。厳密に云えば水の深さは十五センチしかなかった。

そのあとの悲劇はとても思い出したくない。ダメージは主として顔面だった。そしてなぜか鼻の損傷が少なく他の部分は幾日も経ったあともできそこないの草加せんべいのようで、とても鏡を見られない日が続いた。

私のあとに続いて飛び込んだ一人はオデコを打って失神した。暗くて恐ろしい夜の出来ごとである。

今から二十五年位前、私が東京都港区の泉岳寺の近くに住んでいた時のこと。家の近くを歩いていたら私の5メートル程先を首輪をした茶色の犬が同方向に一 匹で歩いていた。その少し先に電柱があって犬は反対側を歩いてくる白い犬を見ながら、つまりヨソ見をして歩いていたが、まさかと思うようなことが起きる。

まさしく「犬も歩けば棒に当たる」電柱にイヤというほど頭をぶつけたのである。その犬の表情は気の毒そのもので、当たった方の目をつむって「おぉイテエ‥」と云うような顔をした。人イヤ犬の不幸を笑ってはいけないけれど、私はツイ吹き出してしまった。犬にもソソッカしいのがいることを知って親近感がわ いた。

これから書く私の友人K氏の失敗は私や犬とは比べようもない位スケールが大きい。

ある時代に同じ広告代理店で一緒に仕事をしたことのあるK氏はマーケティングのベテランだった。中国大陸で少年期を過ごした彼は大学時代はボートの選手で体も六尺近く大陸育ちを思わせる豪快さを持った人だった。

そのK氏があるとき埼玉県のT市に分譲地を手に入れた。母親思いの彼が自分の家族と一緒に住める家が念願かなって建つことになった。

念には念を入れて設計した家の工事がスタートし、建物の形ができてくる。K氏にとっては最もワクワクする段階だった。

そして遂に間取りも家の輪廓も骨組ができて待ちに待った上棟式の日を迎えることになったのである。

そのあとに信じられないような逆転劇が起きることなど夢想だにしない段階でK氏はイソイソと上棟式のための用意を進め準備万端、たのしい工事現場での大工さんとの酒盛りの様子がK氏の頭をよぎる。予定通り神主のお祓いが滞りなく終わって大工さん達との嬉しい酒盛りが十二月の寒空の下で始まった。

酒が体を暖めて車座の話が盛り上がり、残材の焚火がパチパチと燃え上がってきた時、一人の人が近寄ってきてK氏にオズオズと声をかけた。

「あのチョット恐れ入ります…」振り返ったK氏の耳に入ってくるその人の小声はK氏の酔いを醒ますのには充分だった。

ここは確か私が買った土地の筈なんですが、もしかして番地をお間違いでは…。

一瞬頭の中が白くなるのを感じながら燃えさかる焚火の灯りを頼りに書類を調べるK氏の目に一番違いの数字が冷酷に間違いを告げる。もう疑いようもない現実であった。そう云えば工事を始める時、彼の記憶にない何本かの樹があって、その樹を斬り倒したことをおもいだした。
それからの日々、天性のようなK氏のおおらかな気持ちが、いくら何でも絶望的なダメージに打ちのめされたことは想像に難くない。

結局、本当の地主は、もしかしたらK氏がその筋の人ではと思って警察に届け出た。正月の四日が出頭命令の日だった。斬ってしまった樹が一本いくら…と云う値段も出て、その年の正月はとても酒など飲む気持ちにはなれなかった筈である。少し気の弱い人だったら寝込んでしまうだろう。
昨年六月に久しぶりに東京の居酒屋でK氏と旧交を温めた私はもう一度この話をはじめから聴いてみた。

結果はやっぱり以前聴いた通り。「いやあ、あん時は参った参った…」話し出すK氏はニコニコ笑っている。まるで楽しい想い出を懐かしむように。世の中には確かに豪傑がいる。

 

2010年4月1日号(#14)にて掲載

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。