『忘却とは忘れ去ることなり忘れ得ずして、忘却を誓う心の悲しさよ…』
昭和二十七年、NHK連続放送劇「君の名は」
この番組放送中は全国の銭湯の客がいなくなったと云われた人気メロドラマであった。
戦争による悲恋を描いた名劇作家・菊田一夫の作品で主演は佐田啓二・岸恵子。
東京、西銀座の橋の上で再会を誓った男女が恵まれない結末を迎えるストーリーは主婦の感涙をさそった。
冒頭の言葉は、この名番組のイントロとして記憶に残る。

話は替って現代の「忘却」は、なかなか感涙にむせぶ訳にもゆかない「物忘れ」  我こそは…と思っていても人は一般的に三十代に入った頃から脳の細胞が減りはじめると聞いた。  一日に脳の記憶をつかさどる細胞が何千だか何万だか死んでゆくそうで、なんだか間もなく脳ミソが空っぽになって近い内、頭の中でカラカラ音がしそうな恐怖を覚える。

年代を経るごとに若い人でも物忘れが次第に多くなってゆくのは、どうやら当たり前のことらしい。  いつか読んだ本の中に詳しいことは良くわからないけれど、記憶を司る脳細胞の中に若い時からの記憶がビッシリ収納されていて、出番を待っていると書いてあった。 満室のアパートみたいで、新しい入居がむづかしそうだった。  昔の記憶が限られた脳の記憶スペースを占拠してしまっているから、最近の新しい記憶が、中に入れて貰えない。  何だか脳の中まで世知がらい世の中になったような気がしてしまう。  それでは覚えていなくてはならない最近の情報はどうするのかと思ったら、脳の記憶細胞の中に入り切れない連中が細胞の廻りにしがみついてウロウロしながら、記憶細胞の中に入れてもらえるのを待っているらしい。これが思い出せない記憶の正体なのだ。  若い人でも例えば、人の名前や物の名前、場所の名前などが出てこなくなって—— 「あの人よ、ホラ、何つったっけ、エート、よくお笑いに出てくるあの背が低くて、頭の毛がうすくて、少しガニ股でさあ…肩を揺するように歩く人いるじゃない!」  これではオランウータン位しか頭に思い浮かばない。

若い人ですら、こんな具合で、ツイ、二、三日前の事を思い出せない事もあるそうだから、五十代、六十代の人が最近の事を度忘れするのはむしろ当然のことに思えるものの、呆気の方に進まない努力は、やはり必要で、それは個人の力に負うところが多そうである。  眼鏡を額にずり上げていながら、新聞片手に眼鏡を探している人などはまだイイ方で人によっては道端で久しぶりに会った人と、「まあ、しばらくお目にかからなくて…その節は、すっかりお世話になりました…」等と話し、それじゃ又…と云って握手などして別れたのに、家に帰るまでとうとう、その人の名前が思い出せなくて、「ホラ、あの人よ、解らない?鈍いわネエ!」等と自分の事を棚に上げて、家族に八ツ当りする人もいる。

手足をよく動かすのは物忘れの防止に極めて有効だそうだ。例えば台所に立って少し面倒な料理作りにトライするのも良いし、好き嫌いもあるけれど細かい物を組み立てたりする仕事を楽しみにするのも物忘れ防止に役立つそうだ。

要は手先を、まめに動かしたり神経を絶えず使って脳を刺激すると物忘れを少なくする作用があるらしいが、その点を考えると掏摸を専門職とする人はボケないような気がする。これも修業が必要だ。

私の場合は、ツイ先日、ツイ二時間前、ツイ五分前のことを度忘れすることが多くなってきた。ちょっと冷静になって考えれば、ア!そうだ!と思い出すもののイライラする。一階で絵を描いているとパレット・ナイフが手元にないことに気がついて、二階に上ってタンスの抽出しからナイフを探す。  見つかったから、下に降りようとして抽出しの下の段をちょっと開けてみると、何年か前に買った靴下が使われないまゝ置いてあり、そうだ、せっかく買ったんだからと手にする。

その横に以前、腹をこわした時に使った腹巻きがあって今日は寒いから、これを着けたらなんとなく快適かも知れないと思ってこれも持って下に降りる。 寅さんの腹巻きのような奴である。靴下と腹巻きを階下のタンスに入れて、やれやれとイーゼルの前に座ったが、何かが満たされない事に気付く。

わざわざ二階に上った目的はパレット・ナイフを取りにゆく事だったのに、それを完全に忘れていて、腹巻きと靴下を持って降りてきた。

『記憶とは心にとどめ置くことなり、とどめ置けずに記憶を誓う心の悲しさよ……』

随想「なんでもない話」は今回が最終回です。お読み頂いた方、ありがとうございました。いつかまたお目にかかります。

伊藤功男 カナダ連邦芸術家協会(The Federation of Canadian Artists)会員

随想ダイジェスト版掲載
www.itoisao.com

2013年3月21日号(#12)にて掲載

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