八十年代の中頃、神奈川県の真鶴海岸に、よく魚釣りに行った。週末の夕方、くたびれた体で東京駅から東海道線に乗り込んで溜息を一つつく。
始発駅から乗るから先ず間違いなく座席に腰をおろせる。小田原から鈍行列車にのり変えて左側の暗い海など見ていると間もなく真鶴駅である。
海岸の近くの裏通りに借りた民家の離れに落ちつくと、翌朝の魚釣りの仕掛けなど作って、物音一つしない山裾で仕事のことは全て忘れ、熟睡した。

真鶴は相模湾の真鶴半島の北側の根元にあって、水が澄んだ素朴な漁港だった。
小さな手こぎボートで少し漕ぎだすと、ホウボウやカサゴ、キスなどが沢山釣れた。

次第にもう少し沖合いの魚を釣ってみたくなって、とうとう廃品のような安物のパワーボートを手に入れた。
エンジンは、錆ついてウンともスンとも云わないので人に中古エンジンを譲ってもらって取り替えたら、なんとか走れるようになり、一気に魚釣りのテリトリーが拡がった。うれしくなって真鶴半島の廻りを走り廻っては場所によって異なる魚を釣っては楽しむようになった。

海釣りの魅力は、その場所や深さ、海底が岩なのか砂地なのか、そして海底に藻が生えているのかどうかによって釣れる魚の種類が違うのが不思議な程である。
釣り上げてみないことには何が掛ってくるか半分はわからない未知の魅力に取りつかれてしまう。

ある年の初夏、真鶴半島の先端、名勝地の三ツ石を大きく南へ廻り込んで熱海の方へ船足を進めた。友人の造型会社の役員をしているKさんと二人の釣行だった。
季節も季節だからキスを狙っての釣りでK氏はキス釣りには絶対の自信があると云う。

熱海までは海図で見れば近くのようだったが中古エンジンのご機嫌を伺いながら、それでも一時間以上はかかったような記憶がある。
着いた所は、海岸2キロにわたって高さが四十メートルの絶壁がそびえていて波もなく、湖面のように静かな水域だった。
唯、海水が不気味な程、群青色で岸に近いのに水深が意外にあるのに驚いた。

しかも、その海域一帯に不思議な形をした、奇岩や怪岩が連立している。
おまけに予想もしなかった高い岸壁の下の方に長い時間をかけて浸食されたらしい洞穴が無数に穿たれている。
何となく背中が寒くなるような景色だった。
魚を釣っている内に少しづゝボートが動いて水面に出た岩にぶつかりそうな予感がしたので、アンカーを入れたが深くて底に届かず、これは厄介な釣りになりそうだと思った。

Kさんは、そんな事は気にも止めず、早くも釣り糸を垂らして魚を釣り上げている、ワッと驚く程の大きなキスだった。まるで小ぶりのサンマを思わせるような、見た事もない大物だった。

私は何の音もしない不気味なこの釣り場に気をとられて釣りに熱が入らない。
絶えずキョロキョロと周囲を見廻しながらの釣りだから釣果も上がらない。

その日の釣りはKさんの独壇場だった。彼のクーラー・ボックスは、サンマのような大型のキスで一杯になった。
私はと云えば、はじめから最後まで気持が落ちつかず釣りに専念できない惨めな結果になってしまった。
帰路のKさんは明らかにその日の釣果に満足している様子で、夕陽を見ながら
♪海は広いな大きいな……などとダミ声で歌など唄っている。

翌日、Kさんから電話があった。釣った魚は塩焼きにしたり、天ぷらにしたけれど、とても食べ切れず、近所におすそ分けしたそうだ。

私はその朝、仕事場で熱海の地図と海図をひらいた。
遅まきながら、あの不思議な海岸をもっと知りたかった。
拡げた地図と海図、それに熱海のことが書かれた本を読み進むうちに、次第にあの時と同じような背筋の寒さを感じはじめていた。

私とKさんが釣り糸を垂らしたきのうの大岸壁のあたりは熱海の名勝地、錦ヶ浦と呼ばれる場所だった、
しかも古来、自殺の名所。あの絶壁から飛び降りて亡くなった人は数知れず、深淵に沈んだ死者が、なかなか浮いてこない。おまけに自動車転落事故が多いところだと云う。
そう云えば、かなり釣果の上る海なのに釣り船は一隻も見当らず静寂そのものだった。
丸々と肥えたキスを思い出すと、その訳も少しわかったような気もして、改めてきのうの釣りを思い返した。
Kさんには、その本の事は云えなかった。良い思い出として、彼の心の中に仕舞っておいて貰いたかったから——。


2013年3月14日号(#11)にて掲載

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