トラウマ《TRAUMA》とは後遺症とか外傷とか云う程の意味があるらしい。
人は自分では気がつかないけれど、外部から受けた刺激やダメージがいつの間にか積み重なって思いもかけない結果を招くことがある。

中でも、ひどいと思うのは信じて口にしたばっかりに、命にかかわる程の傷を心や身体に受けてしまう薬害や食品の公害である。
お金を払ってとり返しのきかない病を背負い込む訳でこんな例は沢山ある。

私はそれほど大変な傷ではないものの、やっぱりトラウマと云っても良い後天的なダメージを一つ持っている。
それは時間に対するストレスである。
のんびりした、さしたる刺激のない時代に、これものんびりした土地で育ち、二十代に突然東京のド真ン中で仕事をすることになった。
それでも会社づとめをしている間はまだ、時間に対してさほどのストレスは感じなかった。
世の中は確かに時間と云う約束ごとで全てのものが動いている。何の仕事でも同じことで、まして鉄道などの交通機関は時間そのものに全てが支配されている。

私が世の中に出て飛び込んだ職場は広告代理店の制作部門だった。
その段階でも確かに時間に追われる仕事が多かったものの、まだ多勢の中の一人と云う逃げ道があった。
問題は小さなスタジオを持って立体デザインの仕事を始めてからで、その繁雑さは今思い出してもゾッとする程だった。
例えば、企業の新製品を発表するショウ・ステージ一つとってみても、驚くほどいろんな分野の専門家が携わらないと舞台が完成しない。

舞台照明の専門家も必要だし、演出を劇的に盛上げる音響の専門家も必要である。
ステージで迫り舞台が必要であればモーターのプロが当然いなくてはならないし、演出上スモークが欲しいとなればそのプロに声をかけなければならない。映像も然り。
舞台の骨格を造る構造物は最も重要で繊細な神経を必要とするから経験豊かな造型のプロはなくてはならない存在である。
おまけにここにショウ全体の流れをコントロールする演出家が加わるし、ステージが始まって終るまでの演出上のナレーターが入って来たりすると、たった二時間か三時間の舞台なのに大変な人数の専門家がどうしても必要である。

たまたま、この舞台を例にとれば、私はステージ全体の機能、ビジュアルすべてを含む造形デザインに責任を持たされる立場の人間だった。
計画に入る前の専門家たちのミーティングが、ステージ一つとっても二ヶ月も前から繰り返し行なわれる。

昼間忙しい専門家たちは夜の十時頃にならないと全員揃うことはできない。
二十人もの、その道のプロが人がそろそろ寝る時間だと云うのに、おはようございます等と云いながら一堂に集まるのは異常な世界だった。

テーブルに弁当がズラリと並んだ夜中の会議室の状況を思い出すと今でもゾーッとするのである。
プロたちは、それぞれ自分の専門分野に立って都合の良い発言をする。それらの要望を踏まえて、何とか一つの形にまとめなくてはならないのがデザイナーの仕事だった。損な役廻りだとつくづく思った。
打ち合わせは夜だけではない。昼は昼でデザインを受け持つ立場であればクライアントの要望も聴きに行かなくてはならないし、何よりも大事な現場の確認にも何度となく足を運ばなくてはならない。
デザイン以前にやらなくてはならない事があまりにも多過ぎて一日の時間が足らない。
打ち合わせ一つにしても相手のあることだから、年中時間を気にして腕時計を見ている。

当然のようにこんな仕事を長く続けていると時間にいつも追われる脅迫観があって、夜寝ている時も腕時計を外せなくなった。腕から時計を外すと眠れないのである。
せめて…と思って鎖のついた懐中時計を持ったことがあったが、人にシャーロック・ホームズみたいだと云われてやめた。
いつか、同じ創作ビジュアルでも純粋に一人で創作に没頭できる日が来ることを漠然と期待をしてはいた。
そんな仕事から逃れて、二十四年。今は音響も照明も関係が無くなった。
念ずれば通ず。唯、純粋に頭の中をカラッポにしてキャンバスに向き合える生活になった。しかし時間に対する被害妄想観念は残ってしまった。
今でも腕時計を外すと眠れない。外すのは風呂の時だけでトラウマとしか云いようがない。
『時間を守るところだけが唯一のとりえ』家人の私に対するご託宣である。何もとりえが無いよりはマシだと思う。


2012年12月6日号(#49)にて掲載

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