カナダ西海岸の春は、黄色や紫色のクロッカスが咲いて始まる。しばらくして一勢にはじまる花々の競演は待ちわびた春を唄うように美しい。

この頃は、やゝ天候も不順気味だけれど、それでも夏は突然荒々しい足音をたてるようにやってくる。
樹々の緑は嫌が上にも濃くなり猛々しく大きくなろうとする。
日本の夏に比べれば、本当に暑くてウンザリするのは、せいぜい十日間位のもので、短い夏を惜しむように私が住むサンシャイン・コーストでも幾多の素朴な催しがある。

サンシャイン・コーストは北上してペンダー・ハーバーあたりから、入り組んだ入江が無数に連なったリアス式海岸独特の景観に変わってくる。
夏のこのエリアは、リゾート地としての観光客で平常の十倍の人口にふくれあがると聴くものの、現地に住む人間には、それらの人達が一体どこに吸収されてしまったのかわからない程かわらない。

ペンダー・ハーバーの森と海と点在する民家の風情は何も変わらない。しいて云えば村の中心に額を寄せるように十軒程ある商店の広場に、いつもより少し多い人を見かけるだけである。

人が海とたわむれる浜辺は沢山あるけれど、そこにも、せいぜいチラホラ遊ぶ子供の影を見かける程度である。
それでも、そんな風景の中から絵のモチーフを探しだそうとしている自分から見れば春も夏も秋も、目に入る風景のどこかに華やかな飾りをつけて迎えてくれる季節だと思う。
でも冬だけはそうではない。冬だけは身を飾る一切の虚飾を脱ぎ捨てて、裸のまゝでステージに登場する妖精のように寂しい季節である。

カナダ西海岸一帯の冬は、これがコースト・ウェザーだと云わんばかりの悪天候が続く。時には海からやってくる小さな嵐にほんろうされ、雨や風で悩まされる。
空気は枯れ切って、目に入るすべての景色が音もなく静かにねむる季節である。

マラスピナ海峡を見おろす枯草の丘に立てば暖かい色の雑草が、海からの冬の風に応えるように乾いた音を立て不思議な孤独感をさゝやきかける。

そんな中でドンヨリとした重い色の空に向かって繊細に伸びる樹々の葉を落した枝先が美しい。こまやかな樹々の感情を見るようでもある。

ほんとうの美しい風景と云うのは、ウソも飾りもない冬の中にある。実は四季の中で一番美しいシーズンなのではないかとすら思う時がある。

私が住むフランシス・ペニンスラ。周囲八キロ程の小島である。
毎年、今年もそろそろ暮れると思われるクリスマス頃、静かに小雪が舞いはじめる。
やがて一晩降り続いた雪が風景のすべてをシンプルにしてしまう。
一年間の懺悔をするような静かな時が、この小さな島を覆ってしまう。
交差点のさゞめきも居酒屋の喧噪も関係のない静謐な時が、この島を支配するように白いベールで包み込む。

我家は殆ど島の南端にあって、マラスピナ海峡を見おろす丘に近い。
その我家から更に島の南端に向うと、もう島の崖も近いあたりに、木立に埋もれるように大工のジムの家がある。
奥さんのキャロルは、長野県で冬季オリンピックが行われた頃、その長野でスキーのインストラクターをしていたそうで、懐しそうに日本の思い出を話す。

白い毛並の大きな犬を飼っていた。雌の老犬で、人間だったら九十才に近い犬で、奥さんが近所に出かける時、必ず不自由な前足をかばうようにして、一緒に歩いていた。
「コジー」と声をかけると目を細めて笑うような表情をみせてくれたこの老犬も二年前に遠いところに旅立った。

寒い冬の、ましてや雪の降った小島の南端などは夜の七時を過ぎれば先づ歩いている人はいない。
きこえる音は、いつ終るでもないマラスピナ海峡の遠く近く耳にとどく潮騒の音ぐらいのものである。

去年の十二月、雪の日の夕暮れ時。そこから先は海と云うキャロルの家に小さなクリスマス・ツリーが立った。
遠くから見れば、降りしきる粉雪にまぎれ、更に雪を纏った木立にかくれて、イルミネーションもよく見えないけれど、まさしくクリスマス・ツリーである。
こんな島の南端を、こんな時間に歩く人はいない。ましてこの雪である。それでも、この小さなツリーは誰も見る人もない島の端で一晩中またゝいていた。ジムとキャロルがコジーの冥福を祈るように。


2012年11月08日号(#45)にて掲載

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