人にとって犬と猫は一番身近にいる動物だから飼いやすい。古代エジプトの壁画や彫刻にも登場する位で、かなり昔から人に添うように暮らした生きものなのだろう。

犬も猫も交配種も含め驚く程たくさんの種類があるから一概には云えないものの、私が見るかぎりにおいては、一般的に、その性質が正反対で対照的なように見える。
専門的なことはよくわからない素人の私からみると、どうも犬の性質は猫よりも人間に近いような気がする。

人間にもこう云う人がいるのではないかと思わせる犬もいる。人間的な…と云っていいかどうかわからないけれど人がやるような失敗もする。
中には歳を経て哲学者のような落ちつきのある犬も見たことがある。
しかし一般的には猫に比べると、どうも性格がシンプルで、云えば一見お人好しのイメージがある。

昔、東京の道路を歩いていた時、私の少し前を同方向に歩いていた茶色の犬が道の反対側をあるいてきた白い犬に興味があったらしく、よそ見をして歩いたために前にある電信柱にイヤと云う程頭をぶつけた。
かなりの勢いで当ったから相当痛かったとみえて、立ち止まって片眼を閉じ「おゝイテエ…」という顔をした。
まるで人間のしぐさのようで気の毒は承知の上で吹きださずにはいられなかった。
忠犬ハチ公に代表されるような、一度一緒に暮らした人に対する忠誠心のようなものは、やはり犬独特の性質によるものだと思う。
唯我独尊を思わせる猫にはこの親近感は感じたことがない。
そう。猫とは実に複雑で一種わがまゝで、沈着冷静。それでいてフト気がついた時、まるで無言の労りのようにジッとその人の足許に座っている。そう云う動物だと思う。

云い方を変えれば何とも得体が知れない。決して誉められても犬のように相好をくずして笑ったりしない。
誉めたければ誉めろ、私には関係がない…と云う顔をして飛んでいる蝿など目で追っている。
コタツの上で腹這いになってウツラウツラ居眠りをしていると思っていたら、突然部屋のスミを横切る小さな虫に飛びかゝって、空腹でもない筈なのに一瞬の内に腹におさめてしまう。

気がつくと猫が見当らず、今、ここに居たのに…と思って探すと、本棚の上に座って当り前のような顔で人間を見おろしていたりする。
猫は犬と違って、次にどう云う行動をとるか全く推測できない忍者のようだ。

昔、一度だけ飼った事がある犬が、私と一緒に散歩の途中、足をくじいてかがみ込んだ私を労わって廻りをグルグルまわり顔をなめたり、手をなめたり、その気遣いはいじらしい程だった。
こう云う主人を思ったり労わったりする感情は猫にもあるのだろうか…とある時飼い猫を見ていて考えた。
いつか実験してみようと思った。

どう云う実験にするか考えた結果、家の中に私以外は誰もいない時、本来寝る場所ではない台所に急病を装って倒れてみようと思った。それを見て飼っていた毛の長い白い猫がどう云う反応を示すか楽しみだった。
正直に云えば、一見、自分の事だけ考えているような猫が、もしかして主人の一大事とばかり、そばに付き添って何等かの救護的な動きを見せるのではないか…と云う秘かな期待があった。

猫がベランダで日向ぼっこをし、私が家に一人だけになった或る冬の日。
私は台所の床に発作を起こしたごとく不自然なポーズで転がった。上向きで手足を突っぱり、手の先を痙攣しているように小キザミに震わせた。

やがて猫がベランダから戻って来た気配があり倒れている私のそばに来た。私の上を通らなければ奴の餌場まで行けないのだ。
奴は私の顔の匂いをかいだ。長い毛が頬をなでる。さあ、次にどうするか!私の期待感が盛り上った。
もし私の体に手をかけたり顔でもなめたら、その時は「ゴ
メン、ウソだよ!!」と云って奴を抱きしめてやろうと思っていた。

しかし奴はしばらく私の顔面の匂いをかいだのち、おもむろに私の顔をまたいだ。
長い腹の毛が、まるで洗車のように顔全体を掃除する如く通過した。道端の邪魔な石をまたいで通るように…。

その動作には倒れている主人を気遣う風情は全くなかった。顔を跨いで餌場へ向かう猫には主への尊敬の念など、まるで感じられない。失望した。
でも人に媚びない独特のこの猫の「冷徹」とも見える態度が又、猫好きの魅力なのだろう。


2012年10月11日号(#41)にて掲載

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