世の中には笑って済ませられる勘ちがいと、一瞬寿命がちぢまるような思いをする勘ちがいがある。

昔、友人から又聴きした話に大笑いした勘ちがいがあった。ある人が夕方、早目に仕事を終って居酒屋で酒を飲んだ。六時には切りあげて家に帰らなくてはならない用事があって、ふと店の掛時計を見たら既に六時まで五分しかない。酒好きのその人は、もう一杯飲みたかったのでくやしまぎれに大声で云った。
「あゝもう六時だ!」

ちょうどその時、杖をついて店に入ってきた一人の老人の耳にその声がきこえた。

「何だとこの野郎、もう一ぺん云ってみろ!!」顔を真っ赤にして老人が怒った。
よく聴いてみたら先客のつぶやきがご老人の耳に「あゝモウロク爺いだ!」ときこえたそうで店主が間に入って事は収まった。
入口のドアの上に時計があったのも具合が悪かった。

昭和も四十年代に入った頃は、日本は太平洋戦争でガタガタになった世の中も、ようやく落ち着いて成長経済の時代に入った。
それまで簡単には行けなかった海外旅行も盛んになって庶民の目が海外にもそそがれる。外国ツアーの料金も手が届くご時世になって、外国の航空会社も競って日本に乗り入れてきた。

ある第一次産業の団体が海外の同業者の視察旅行で確かアメリカの一都市に向かった時の話である。これも又聴き。
普段は汗水流し、体を使って働いている人達だから、元々英語には縁がない。
機内で只の酒をシコタマ飲んで、ご機嫌になってそろそろ目的の空港が近づいた頃スチュワーデスが税関通過のとき提出する申告用紙を配った。

先づ名前を書いた。出発前に何度も練習したからこれは何の問題もない。
男女の区別を明記するSEXと云う欄があり、その人は辞書を片手にしばらく考えた結果「TWO TIMES A WEEK」と書いた。
税関の役人が性別が週二回と云う意味がわからず、添乗員の女性が呼ばれて顔を真っ赤にして訂正したそうだ。
勘ちがいはどこにもあるものの解らないときは「聴くは一時の恥」で人に聴く方が無難である。自信過剰はまちがいの元である。

私はコンピューターとかデジタルとかデジカメの世界に極めて弱い。
そう云う類のものが必要でなかった時代に人生の半分を過ごしたから無理もない。
デジカメなどと聴くとイボ痔が出て悩んでいる気の毒な亀などを想像してしまう。
しかし、そんな事を云っている時代ではない事も承知してはいる。

そんな人間が自分の仕事のウェブサイトを作ろうとしても出来るわけがない。例え、できたとしても先づ十年はかかるだろう。
バンクーバー近郊に住む、その道のプロを人に紹介されて、かねてからの念願だった自分の仕事のウェブサイトを作って頂くことになった。

予想した通り専門家H氏の口から出てくるコンピューターの用語が殆どわからない。
しかし彼の出身地が、たまたま同郷であり、大船に乗ったような安心感で気持ちが極めて楽になって馬鹿な質問を繰り返す。

ある時、又H氏に電話をして教えを乞わなければならない時があった。
しかし電話に出たH氏がいつもと違って落ちつかない。何だかソワソワしているし電話に雑音が入る。
どうしたんだろう?と思っていたら急にH氏が「あゝダメダメ、ちょっとちょっと!」と慌てている声がきこえた。

さすがの私も幼ない子供が彼のそばで電話のコードを引っぱったりしてイタズラをしている光景が頭に浮かんだ。
又、電話に出たH氏に聴いた「今おいくつなんですか?」「アハハ…ちょうど一才なんですよ。あした去勢するんですよ」
「………」
私は絶句した。H氏にそんな小さいお子さんがいたこともさることながら…去勢!?

急に背筋が寒くなって体が緊張するのがわかった。
昔、どこの国だったか産まれたばかりの女の子を去勢する習慣があったことは知っていた。でも今は人道的な理由から、とっくに廃止されたと聴いていた。ましてここはカナダと云う文明国である。
おそるおそる小声で聴いた。
「もしかして猫?」
「そうなんです」とH氏。
ダーッ!!一気に体の緊張がゆるんで椅子から転げおちそうになり机にしがみつく。

どうして先に一言…と思った。寿命が一年は縮まった。電話は終わったが、肝心のことは何一つ聴いてなかった。

 

2012年7月26日号(#30)にて掲載

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