今も同じだと思うけれども、ひところ耺住接近と云う言葉が盛んに使われた。
大きな都会にサラリーマンが集中するのは、どこの国も同じことで、どうしても自分が暮らす住宅が仕事場から離れて遠くなる。
カナダのバンクーバーでもフェリーで海を渡ったサンシャイン・コーストから通勤する人がかなりいるらしい。

日本は電車が網の目のように走っているから、おおかたの通勤者は電車を利用するものの、人にもまれるエネルギーは、かなりのもので二時間もかけて仕事場に通う人は、それだけで一日の体力の半分位を消費してしまう。
仕事場で出すパワーは、その余力みたいなものである。

サンシャイン・コーストで暮らしはじめて数年経った頃、手に入りにくい日本の野菜を育てる為に裏庭にビニール張りの堀立小屋を作った。
二メートル近い体格の白人の大工さんが造ったその小屋は、実に大胆な造りで、ドアの廻りもスキ間だらけ。小鳥が出入りできるような代物。
一度体当たりすれば、全半壤まちがいなし…と思われるものだったが、ドッコイそんな小屋なのに夜の寒さから野菜を守る力は仲々のものだった。
たった一枚のビニールが中に入れた小さな暖房と力を合わせて日本の野菜を立派に育ててくれる。
無農薬だから店で売っている野菜とまるで味がちがう。キュウリは甘味があってクリスピーだし、トマトなどは「ああこれがトマトだ!」と云いたくなる程の本来の味に育ってくれるのが有難い。

しかし、どこの世界にも人の足を引っぱる奴がいる。
ナメクジとデンデン虫なのだ。
小松菜などが育って丁度食べ頃になると、どこから入ってくるのかわからないけれど当然のような顔をして葉や茎にたかって食い荒らす。
中には十五センチもあるナメクジもいてウカウカしていると、せっかくの野菜がボロ布のようにされてしまう。
彼等は夕方になると「今晩は…」と云う風情で登場する。

実にイマイマしくて、はじめは摘んで踏みつぶしていたが、この頃はタバコのライターで焙ってやる。「アチチ…」と云って下に落ちる。多分再起不能だろう。
ライターは不可欠のもので、不本意だがタバコはやめる訳にはいかない?!
英語でナメクジのことはスラッグと云うそうだ。生意気な名前だと思う。歯もないくせに…。駆除剤などを撒いてもビクともしない。

デンデン虫は火で焙ると殻の中に熱が入って蒸し焼きになる。早い話がフランス料理のエスカルゴであり、ワインなど欲しくなる。
それにしても昼間は見かけないのに、夕方になると忽然と登場して青菜にたかっている。あの移動速度から考えても納得がいかないのだ。

そこで先日そろそろ食べごろになった小松菜のそばに這いつくばって今日こそは、ナメクジの出没の不思議を解明しようと思った。
調査捕鯨ならぬ調査ナメクジ。スケールの小さい調査だと云われればそれ迄だが、やむにやまれぬ作業である。

その結果、遂にその謎が解明されたのである。
小松菜の根元に高イビキで寝ている大小の敵を発見した。何のことはない。夜の間にタラフク葉をむさぼった奴等が朝方、茎をつたって降りて、その足許で腕まくらで寝ていたのである。
中には楊枝を口に鼻ちょうちんを出しているやつもいる。

これでは葉に覆われた陰だから見つけられなかった筈である。夜の間に腹一杯食べて明るくなったら下に降りて葉陰で安らかな睡眠に入る。
これは正しく食住接近で、こんな理想的な生活はない。
移動の必要もなく茎を上って降りるだけだから何の苦労もない。それにあたたかい。
農薬も使わない野菜だから味もいいだろうし、奴等が定住を決め込んだ気持ちはわかるけれど、だからと云ってその厚かましさを黙認するほどこちらはお人よしではない。

割り箸で手当たり次第に寝ている奴等を突っついて起し、空き缶に収容した。中には完全に熟睡していて目が覚めず缶に入ってから眠りから覚めて伸びをしている横綱級の太っ腹な奴もいる。
ようやく悪党どもの隠れ家をつきとめた警視庁の捜査一課のように徹足した逮捕となり、缶の中は親分子分が粘りながら身をくねらせている。

焚火の中に放り込んで長年の鬱憤を晴らしてもいいし、串に一匹づつ刺して…等と考えた。しかし待てよ。もしかしてナメコの佃煮のようなものは…と仲々処理が決まらない。一夜明けた早朝爽やかな気分で畑に行ったら、ゲッあれ程検挙したのにもう元気な新顔が多勢いるではないか。「よろしく…」なんて笑ったりして。


 

2012年6月28日号(#26)にて掲載

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