バンクーバーへ移り住んで間がないころ、スタンレー・パークの内海にあるデッドマン・アイランドのあたりを遊弋する鯨を見た。海辺とはいえ市街地で鯨が潮を吹くさまを見られるこの都市の自然の豊かさが改めて嬉しくなった。

その後、バンクーバー・アイランドのトフィーノに遊び、地元の鯨ツアーの大きなゴムボートに乗って時化ぎみの大波にもまれながら目の前で高々と尻尾を上げる何頭かの鯨を見た。豪壮な光景だった。
ボートに同乗していた男性客がひどい船酔いでゲーゲーやっているのに奥さんらしい白人女性はご主人を介抱する訳でもなく歓声をあげながら鯨をヴィデオ・カメラに収めるのに夢中だった。
せっかくお金を払ったんだから…と云う貪欲さではなく極めて強い自然への愛着をその女性に感じたのを覚えている。
一般的に「私は自然が好きです」と云うのとは違ってもっと筋金の入った自然を貴ぶ姿勢とでも云うのだろうか。

今、私が住んでいるサンシャイン・コーストには、さしたる画材屋もなく、おまけに東洋野菜もほとんど手に入らないのでラングデールからフェリーに乗って、たびたびバンクーバーへ買い物にゆく。
いつだったかホウシューベイから乗ってラングデールに向かうフェリーの中で、突然右舷側に座っていた乗客が私が座っている左舷側に移動して来た。
何だろうと思ったらフェリーが走り出して間もないボウエン・アイランドのあたりを一頭の小型の鯨が時々潮を吹き上げながらジョージア海峡の方向に悠然と泳いでゆく。乗客の移動はその鯨を見るためだった。

殆どは白人客で次第に遠ざかる鯨を指さしながら、口々に賞賛の言葉を口にしている。その言葉は「ビューティフル!」であったり「プリティー!」であったり、あるいは「ワンダフル!」
左舷側の窓辺に座っている私の膝の前まで入って来て鯨をウットリした目で眺めては「ネエ、可愛いでしょう…」と私に同意を求める年輩の婦人もいる。
私も肯いてみたものの、どうも正直なところ「可愛い」とか「美しい」と云う感慨は湧いてこなかった。
明らかにこれは自然に対する民族文化の違いだと思った。
鯨を見て私の頭の中を去来したのは、鯨のベーコンや鯨のカツ、あるいは昔日本のどこかで食べた鯨の尾の身の刺身だった。
でもウッカリそんなことを云ったら殆ど白人ばかりのフェリーの中で、寄ってたかって袋だたきに会いそうだから頭の中で考えて顔はニコニコしながら遠ざかる鯨を見ていた。
私は辛党なので昔、日本のどこの居酒屋のメニューにもあった少々塩辛い鯨のベーコンが好きだった。
三ミリ位の厚さに切られた白い身の一方が絵の具で云えばカーマイン・レッドに着色されている。身は弾力があってゴムみたいな感触だし蝋のような香りがするものの歯ごたえが好きで辛子をつけて食べたりした。

東京新宿駅の西口には戦後のバラック長屋がそのまま飲み屋街になった場所がある。そのハモニカ横町と呼ばれる庶民の路地裏には焼鳥屋がズラリと並んでいる。
その一軒の揚物屋で鯨のカツの定食を初めて口にした。
うまかったか?と聞かれれば田中角栄さんだったら多分こう答えるだろう。
「マア、コノウ…何ちゅうかウマイマズイじゃなくてこう云う物なんだな、ウン!!」

私も鯨カツと豚カツを並べられてどちらか好きな方を取れ…と云われたら、やっぱり豚カツに手が伸びる。
鯨カツには独特の動物臭があってなじめなかったもののあくまでも豚カツの代用品としての気易さがあって沢山のファンがいたと思う。

しかし鯨の尾の身の刺身はちがう。どこで食べたかもう記憶にないが口が感触を覚えている。確かしょうが醤油で食べた柔らかい身は酒のツマミとして絶品。一頭の鯨から少ししかとれない尾の身の貴重感と何よりも動物の刺身と云うエネルギー感も魅力があった。
ベーコンも鯨カツも、とりわけ尾の身の刺身など望んでも簡単に食べられない時代になってしまった。
ましてやバンクーバーのレストランでは無理な話である。うっかり鯨を食べたい等と云ったら張り倒されそうだ。

昔は隆盛を誇った日本の捕鯨船も今は調査捕鯨に名を借りて極めて細々とした捕獲数と聞く。とても鯨が庶民の口に入る時代ではなくなった。聞くところに依るとあの反捕鯨団体シー・シェパードの創設地はカナダだそうだ。
鯨はプリティーだ。美しい。本当に可愛い…。あゝ、可愛い過ぎてベーコンと刺身たべたい。

 

2012年5月3日号(#18)にて掲載

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