そのお婆さんは私が通った小学校から子供の足で三分ほどの間口がせまい木造平屋建ての家に住んでいた。
いつごろ建てられたのかわからないその古い家は子供の通学路に面していて入口のガラス戸を開けると小さな三和土があった。

三和土から狭い座敷に上るあたりに小菓子やメンコ、子供の小さなおもちゃ、それに当時流行りだったクジ引きのたぐいが所狭しと並んだりブラ下っていた。
いわゆる駄菓子屋であり、これ以上小さな店はあり得ない超小規模経営である。

座敷への上り口の座ぶとんに店主の小さいお婆さんがチンマリ座って、学校帰りの子供の相手をしていた。
ほとんど白髪の頭は丸髷に結われていて顔は決して白くない。おまけに小さい目はマンマルなので、タヌキばばあと子供の間で呼ばれていた。

今ではそんな綽名で呼べば親にたしなめられるだろうが子供たちは一種の親しみをこめてそう呼んでいた。勿論本人のまえでは云わない。
どう云う家族構成だったのか知る由もなかったが、家の中にそのお婆さん以外の人を見かけたことはなかった。
よくしゃべるこのお婆さんは、いつも丸い目を細めて五円か十円をにぎりしめた子供のお客さんに愛想をふりまいている。

子供の人気者ではあったがしかし、一方で「タヌキばばあは怒るとこわいぜ…」と云う評判もあった。
どうコワイのか子供たちは知らないから余計興味をそゝられる。急に化けるらしいぜもしかしたら本当は狸なんじゃネエカ?と云う同級生もいて私も益々お婆さんに興味をそゝられた。

あれは小学校何年生の頃だったか、もう思いだせない。校庭の桜の花が満開だったから多分四月の始業式のころだったような気がする。
遊び仲間の薬局のT君が私に「今日タヌキばばあに毛虫を見せにいくんだ」と云う。誰からきいた情報なのかタヌキは毛虫が大嫌いだと云う。「行く行く、オレも行く!」私もすぐその話に乗った。
あの愛想のイイお婆さんが怒るとどういう反応を示すのか興味しんしんだったから。
放課後T君と二人で満開の桜の木に登った。
黄色い毛虫や黒い毛虫が沢山とれた。
うっかりさわるとチクチクするので細い棒で十匹もの大きい毛虫を空き缶に集めた。
中には十センチもある何の幼虫かわからない大物もいてこれから始めるイタズラに二人共わくわくしたのを憶えている。二人の悪ガキは毛虫の入った缶と六十センチ程の長さの棒を持って勇躍、駄菓子屋に向った。

店までの三分の道のり、手順を相談した結果、T君が毛虫の入った缶を持ち私が棒の先に二、三匹の毛虫をブラ下げてお婆さんに見せる役と決まった。
「ハイ、いらっしゃい!」開いたまゝの引き戸の中からお婆さんの元気な声がした。
目指すお婆さんはいつものように小さい座ぶとんに座ってニコニコしている。
「お婆ちゃん、イイものみせてあげる…」
そう云いながら私は棒の先に特別大きい毛虫を引っかけて座ったまゝのお婆さんの鼻先に突き出してユラユラと揺らせてお婆さんの反応を見た。

その途端、信じられない程の機敏な動作で割烹着姿のお婆さんが「ギャッ!!」と云って座ぶとんから一尺(三十センチ)ほど飛び上った。
そしてウシロに引っくり返って足をバタバタしたのがきのうの事のように瞼に浮かぶ。

二人の悪ガキはワァッと走って逃げる。これから先のことは考えないで唯、予想通りの結果に満足だった。

子供は二日も経てば、すぐ関心が他に移ってしまう。
その事があって数日たち、私はトンボリした顔でその駄菓子屋の前を歩いて下校した。毛虫の一件は不覚にもスッカリ忘れていた。
その時、強烈な衝撃を頭のテッペンに二度感じ同時にカンカン!と云う音とお婆さんが大声でなにやら喚く声が耳に入った。

一瞬、何が起きたのかわからなかったが次の瞬間、鍋を持って私を睨む婆さんを見てアッ狸の復讐だ!と思った。
駄菓子屋のお婆さんがアルマイトの鍋で私の頭を二度思い切り叩いたのだ。
察するところ店の入口に置いてある八ッ手の植木の陰でお婆さんは張り込んだらしい。

その時のお婆さんの形相があまりに恐かったので私は通学路を変えた。T君にはお婆さんの復讐はなかったらしい。
中学へ進んだ或る日その駄菓子屋の前を通ったら、とうに店仕舞いしたらしく硝子戸にカーテンがかゝっていてお婆さんに謝まれないまゝになった。

 

2012年4月26日号(#17)にて掲載

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。