バンクーバーの北の港ホウシュウベイからフェリーに乗り四十分でラングデールに着く。サンシャイン・コーストのハイウェイを一時間北上すると漁山村ペンダーハーバーである。
バンクーバーから九年前にこの地に移り住んだ。初めはアリャと云うほどの不便を感じたこの土地は入り組んだ無数の湾があって、それらを総括してペンダーハーバーと云う。

典型的なリアス式の海岸で地形を把握するまでは大変。小さい沢山の港がある。何よりも泣かされたのは、小舟で魚釣りに出た帰りに自分が戻るべき港がわからなくなることで何度も往生した。地形や岬の形が似ていて方位がわからなくなり、大いにウロたえる。
まして霧が出た夕暮れ時などに自分がどこにいるのかわからなくなった時は最悪である。コンパス(羅針盤)など見ても何の役にも立たなくて泣きたくなる。
誰も見ている訳ではないのに平静を装って口笛を吹いたりするが口の中はパニックでカラカラ。
こんな時はつくづく自分は農耕型民族なんだなあ…と思ったりする。少なくとも狩猟民族ではないだろう。松茸とりにゆけば必ず迷うし…。
そんな事を考えながらも必死でキョロキョロ血走った眼で見憶えのある景色を探す。

仕方がない。今夜はこの辺りにアンカーを入れて夜を明かすしか無さそうだ…と考え始めた時、岬の先端に記憶のある小さな民家の屋根などを見つけた時は躍り上がらんばかり。
これで何とか自分の桟橋に明るい内にたどりつけそうだと思うと急に元気が出る。つい軍艦マーチなど口ずさみたくなる。
気持ちに余裕が出ると人間は急に欲が出て「そうだ!この日没前はもっとも魚がエサを食うときだ!」と思いつく。
下手をしたら、たった数枚のヒラメの為に今夜は酷い目に合わされるところだった。ようし、弔い合戦だ!とばかり糸を垂らす。

カナダ西海岸はカレイだのヒラメのような魚が沢山釣れる。そんなに意気込む必要も無い。全盛期なら三十分も釣れば五枚は固い。
どうしてこう平べったい魚が沢山棲息しているのかわからないものの、我々日本人には、塩焼き、刺身、煮つけがありがたい。今夜は塩焼きだ。

いよいよ薄暗くなってくると、さっき見えたあの見憶えのある民家は、いつも見ていた民家なんだろうか…と又疑心暗鬼にさいなまれる。もしそうだったら…と急いで竿を納めてやおら走り出す。

もう三十年も昔に造られた老齢のエンジンである。時々謀反を起こして仕事を放りだす。実に不気味なエンジンで走っていて喘息のようにゴホゴホ云うような音に変わった時が危ない。二度火事になった。
だましだまし慎重に走ってようやく自分の湾にたどり着いた時の安堵感は何物にも変え難い。

薄暗くなった湾の入口の岩礁の上に無数のアザラシがゴロゴロしている。荒川のアラちゃんならぬペンダーハーバーのペンちゃん一族だ。一際大きな図体の雄が七、八頭の雌を支配している様子だ。威厳がある。雄がグエーッ等と吼えながら欠伸をしている。うらやましい気持が全くないと云えば嘘になる。
知った漁師の船が港を出てくるのに会い、これからどこに行くのだろうと思って、錆びついた窓をあけて、手を振って見るものの反応がない。
愛想のない奴だと思うものの、あと十分で自分の桟橋に着くと云う気持ちの余裕があるから比較的心は鷹揚である。「気をつけてな…」等と口の中で呟いて見る。

約八キロ四方のペンダーハーバーには、およそ二千人の人が住んでいる。その人口が夏には避暑人口も含めて二万人になると云う。
山や木材にまつわる仕事をしている人も数多くいるものの圧倒的に多いのは、やはり海の仕事に携わる人でそれも漁師が沢山いる。職漁師だ。

ペンダーハーバー周辺の海域はボタン海老のメッカで、漁師ならずとも、自分のボートで海老を獲る。
シーズンになると海老の頂きものも多くなり、毎年三月後半に最盛期を迎えるニシンを届けてくれる漁師もいて有り難い。「カズノーコ!」と云って大きなビニール袋に入ったニシンを貰うと当分は数の子を抱卵したニシンの塩焼きが楽しめる。酒の肴として先ずは第一級の部類に入る。

鮭漁は次第に漁場が北上してパウエルリバーの方だと聞く。マグロ漁のテッドという漁師が毎年十月に港に帰ってくる。マグロ好きの日本人だから、バンクーバー島の沖から港に向かうテッドの電話を待ちわびる。彼もメッキリ白髪が増えた。

 

2012年1月19日号(#3)にて掲載

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