My Business
NJK(蜷川日本語学校)蜷川親義氏・蜷川正子氏
|
教室は自宅のキッチンから
蜷川正子氏が移住直前に学んだ日本語教育に本腰を入れ始めたのは、一九八六年のこと。当初はバンクーバーの借家のキッチンが教室。しだいに生徒数が増えてきたため、別の場所を求めた。
偶然見つけた貸事務所のオーナーから「わたしもその前のオーナーもここで事業が大きく育っていった」と聞かされ、希望を胸に現在の場所で日本語クラスを開講。その頃会社勤めだった蜷川親義氏も退職して日本語教師の勉強のため日本に留学し、正子さんと共に教師を始めた。
予期せぬ幸運が舞い込む
一九八九年にバンクーバー教育委員会の生涯学習部門日本語コースの担当教師から、後任を頼みたいと予期せぬ依頼が舞い込み、蜷川夫妻は出張指導を開始した。
日本語学習熱の高まった 年代後半であり、多いときでは週7クラスの授業も生徒が教室からあふれんばかりとなった。
授業に寸劇を取り入れてみたところ、普段おとなしい生徒が生き生きと役になりきって日本語を話し出した。「テキストも、ただの例文の羅列でなく、学習者が共感しながら言葉が出せるものであってほしい」と思い、自らテキストを作成すると周囲に宣言した正子氏。
だが、テキスト制作など経験もなく、ワープロに両手を置くものの何も浮かばなかった。だが、ひたすら神様に「いい知恵をください」と祈っているうちに偶然ヒントとなる情報と出会い、構想がわきあがってきた。
テキスト作成から教師の養成へ
まとめたテキストが刷り上がったものの、費用の七千ドルが調達できなかった。
銀行に融資を申し込んだところ、「五千ドルをデポジットすれば五千ドル貸す」との返答。憤慨しつつ帰宅した正子氏は、すぐさま日本語教育にかける夢を紙に書き始めた。「年々日本語教育へのニーズは高まっています。ゆくゆくは日本語教師を育成し、カナダの日本語教育環境作りに貢献していきたい」。
勢いに任せて考えもしなかった教員養成のことまで書き綴っていた。
この紙を持って再び銀行で熱弁を奮った正子氏に「では2万ドルの融資をしましょう」と銀行側の返答を得た。この時の宣言がきっかけとなり、「自分たちの教える喜びを分かち合おう」と、日本語教員養成を始めた。
楽しさと励ましを英語学習に生かす新たな構想。
「この学校は、大学やカレッジでもなく宿題があるのでもないけれど、次週また来たくなるのは、通じる日本語を身につける喜びを生徒も教師も感じているから」と正子氏は語る。
「役を演じて、その気になって楽しんで話す」この方法を英語習得にも応用しようと、今年1月に専用のCD付きテキストをまとめ、「英語しゃべらんか教室」を開講した。
テキストにはバンクーバーで国際結婚した人の実話をもとに、部屋探しなどの状況設定で即活用できるフレーズが盛り込まれているほか、日本語テキスト同様、親義氏の手による登場人物の温かみのあるイラストが、学習者の共感を引き出す大事な要素となっている。
正子氏は言う、「日本人はマネが好き。英語もマネで覚えたらいい。先生はいらない。でも一緒にやって励ましてくれる人がいないと続かない」。
同講座には、楽しく演じて英会話を習得し、コースを終了した人は、次には励まし役となるという英語を楽しむ輪が無限に広がる構想が含まれている。
また本講座はバンクーバー教育委員会生涯教育部門のESL講座として日本人向けにスタートしたが、今後は中国人やインド人など対象を広くして展開していく予定だ。
目に見えない大きな力に支えられながら、蜷川夫妻の夢は今も広がり続けている。
(取材 平野香利)