2017年11月23日 第47号

 

 

イラスト共に片桐 貞夫

 

「チヨです。青田チヨ」

 青田チヨの素性は誰も知らない。四年ほど前から日系老人ホーム「もみじ荘」に住むようになったらしいが、誰が話しかけても反応がないので係の者でさえがチヨを聾唖障害者と思っていた。ところが、死ぬ十日ほど前になって口をきくことをはじめた。美重子だけに気を許すようになったのだった。

 高校の時からテニスをやり、スポーツ・ウーマンを自負する不破美重子は「もみじ荘」で老人たちに体操を教えていた。二年前に十六年間やってきた美容院を売却し、余裕のできた時間の一部をボランティアに向けていた。

「一人だけ体操をしないお婆さんがいたんです」

「それがその人だったんですね」

「どこも悪いところはないようですし、なんども声をかけたんですが腰を上げないんです」

 喋りながら美重子は、キングス・ウェーの大通りを南に向かって走っていた。

 ラッシュ・アワーでもないのに車が渋滞している。通りの両側は商店で埋まり、その裏には新しいコンドミニアムが連なっていた。コンクリートと車のジャングルであった。

「この道はニューウエストミンスターとバンクーバーを結ぶ最初の道だそうです。百年前は林の中の細道だったそうですよ」

 美重子は、はなしを「青田チヨ」からそらそうとした。

「想像できませんね、ここが林だなんて…」

 山田が外を見ながら感心している。

「青田チヨさんがバンクーバーに来た頃はどうだったのかしら」

「どうだったんでしょうね」

「二十の時に来たとして七十年前。一九三〇年頃ね。まだ林が残っていたかしら…チヨさんも歩いたでしょうね。どんな思いで異国の道を歩いたのかしら」

「そうですねぇー」

 口を合わせながら美重子は腹の中で首を横に振った。 …チヨさんは歩かない。この大通りを歩くこともなかったんだ…    

   二、黒潮の果てる海

 もみじ荘の裏庭で体操を教える不破美重子の目が、青田チヨの姿を意識するようになったのは三ヶ月前。今春、初めて刈った芝生の青に、桜の花びらが散りはじめた頃であった。

 スタンレー公園への花見の知らせを受けなかった美重子は、空っぽのもみじ荘に来てしまった。

「急に決まってしまって、すみませんでした」

 一人だけ残っていたスタッフが美重子への不首尾を詫びた。

 いや、もう一人残っていた。青田チヨは、いつものように椅子にかけ、窓横のカーテンの陰で陽を避けるように身じろぎもしない。

 美重子が近寄った。

「おばあちゃん、行ったらよかったのに。だめよこんな所にくすぶっていちゃー」

 美重子は反応のないのを承知で声をかけた。来たついでに、しばらく一緒に坐って相手をしてやろうという気になっていた。

「体操はしないし、散歩にも行かないし。身体に悪いわ、もっと動くことをしなくっちゃー。美味しくないでしょう、なにを食べても」

 二、三秒の空白の時が経った。

「…ず・き・さーの・さくら…」

 美重子は、はっとした。目を通そうとしていた二、三の紙片を落としてしまった。

 老婆の口から音が出た。

「な・なに? なんて言ったの」

 目玉が動いている。皺だらけの顔が美重子の方を向いている。

「もういちど言って。おばあちゃん、いまなんて言ったの」

「…みずき・さーん…さ・く・ら…きれー…なぁ」

「みずきさんのさくらが、きれい? …みずきさんて、親しい人? 誰なの」

 老婆の視点が定まっている。美重子を見ることをしている。目尻が細み、微笑んでいるようですらあった。

「もっと言ってちょうだい。えーと、お婆ちゃんはいくつなの。生まれはどこなの」

「…ヨリィーじゃ。うまれた…んぁーヨリイじゃ…」

 「ヨリイ」と言っている。言ってはいるが、長年カナダに住み、英語の音と混じりあった日系一世の発音は混濁する。老婆のとぎれ声にそれが日本語の「ヨリイ」なのか、カナダの地名を意味しているのかが判らなかった。

(続く)

 

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