2017年4月13日 第15号

 

 

 

 

 2008 年10 月、足を踏み入れた教会の壇上に上がる石造りの階段は奥行幅が広くゆるやか。中央の通路や両側の柱、窓、彫刻を眺めながら、それまで2 週間探し続けた『サウンド・オブ・ミュージック』 の撮影地巡りの最終日。10度目くらいの翌日のパリは、その時、一番色あせて見えた。そのくらいザルツブルク周辺は美しく、ワイズ監督が選んだロケ地は見事だった。5 〜6 分で一気に流れる「ドレミの歌」のシーンだけをとっても40 キロ南の山頂、30 キロ北の湖、遥か彼方の登山トロッコと数秒のカット毎に移動しまくった結果が映画史上に残る名シーン。教会ではセリフひとつない、しかしもっとも多くを語る結婚式シーンが撮られた。そのシーンでの尼僧たちの表情は愛そのもので、おっかないママゴンたちの正反対。

 撮影地観光ツアーに加わるのはみっともない。自力で探さずに、宝物を見つけて感動?ちょうどその年に市内の人形劇場で『サウンド…』 ショーが始まり、これも見事だった。しかし映画公開から44 年も経って、やっと人形劇?大傑作だが、地元の若者から中年、老人まで全員「観てない」と。当地では『菩提樹』(1956)が同じ物語を描いた代表作であって、アメリカ人が多いに脚色した『サウンド…』 は関心外。ちょうどハリウッド作品『Mishima』、『ザ・ヤクザ』、『Shogun』などを観た日本人は稀なように。それが幸いして、どの撮影地も特別扱いされず、ほぼそのままの自然体で残っている。ドレミの丘は私有地のため番犬に吠え立てられた。そこから数分のところに住む人達も、そこがロケ地とは知らない。「映画○○の撮影地!」と金目当ての欲張り達が群がる社会と違って、人が質素。

 ナチスの本拠地ミュンヘンからザルツブルクに向かう景色は圧巻。山々が美しければ美しいほど、闇のファシズムが醜い。壮大な自然を長々と見せるオープニングについて「主人公マリアの生命力は、この自然抜きに語れない」とワイズ監督。

 「修道院は逃げ隠れする場所じゃない。問題に立ち向かいなさい」とマリアを諭す院長がいい。人は家や職場等に逃げ隠れしている。「これは家族の映画」とマリア役のジュリー・アンドリュース。家族を破壊するのが軍国主義。家政婦として訪れた家族の父親は大佐で潜水艦のキャプテン。塾から塾に引きずり回すママみたいに自分の7 人の子どもにユニフォームと番号を付けて、ピッピーッ!と耐えがたい笛で行進させる日本流。「人には名前があるのに、猫や犬じゃない」と抗議するマリア。彼女が大佐を呼ぶのに試しに笛を使うと「キャプテンと呼べ!」と怒る軍人は「子どもが遊ぶのは無駄だ」と言い切る。彼と同じ考えの「子どもを東大に入れたい」的親が大増殖。

 「すべての人間の行動を知るのが務めだ」と、ウロつくファシストの手先については「ああいう連中とは適当につき合うしかない。騙されてるのがわかってないんだ」とのセリフは「つける薬はない」という意味。十代の少年が洗脳されたように、悪は教育を濫用。日本も今、全国民に羊のように番号がふられた。

 「オーストリア黄金期の最後」との見出しで始まる本作は、世界共通の軍国政権による破壊を示唆。ラストシーンでは遠くの尾根にヒトラーの隠れ家を見せているが、気づく人はまずいない。私も秘密トンネルをくぐり、その隠れ家に行って、監督の意図がやっとわかった。ヒトラーの生家は2016 年に取り壊された。二度と独裁者を産まないために。

 ハマリ役・ジュリー・アンドリュースについて「彼女は私たちのせいで何度再テイクになっても決してイヤな顔せずに笑顔で優しかった」と、子役だった共演者たち。

 The Sound of Music( 音楽の調べ)が人間愛の象徴。愛が薄らぐ人類に「愛しなさい!」とうったえる宝石のような作品。

(Lucky Day)

 

 

著者近影:Lucky Day 元プロボクサーで映画作家のコラムニスト

 

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