俳優の吉永小百合さんによる詩の朗読会(朝日新聞社主催)が、5月3日、ブリティッシュコロンビア大学(UBC)のチャンセンターで開催された。音楽家の坂本龍一さんがピアノを伴奏したほか、UBCの学生が英訳された詩を読むコラボレーションもあった。翌4日には、UBC人類学博物館内で朝日新聞社が2人にインタビューをした。 バンクーバー新報記者が同席し、朝日新聞社の許可を得てその内容をここで紹介する。

 

UBC人類学博物館の展示を見学する、吉永小百合さんと坂本龍一さん(写真提供 朝日新聞社)

 

ー吉永さんは詩を3つ英語で読まれましたが、そこにこめられた思いは?

吉永「できる限りの範囲で英語で読もうという思いはあります。今回英語で初めて読んだ、原民喜『永遠のみどり』というのは、大学の学生さんたちからリクエストがあったんです。日本語でも1〜2回しか読んでいません。(映画)『母と暮せば』で、原民喜の『鎮魂歌』を坂本さんが音楽にして素晴らしいレクイエムにしてくれたので、その思いとも重ね合わせたいと願って読みました」

 

ー英語で読むということは海外でこのような活動を続けていきたいという思いの表れでしょうか。

吉永「まず日本で声を出さなければいけないという思いはあります。ただ、こんなにいい形でバンクーバーでやらせていただけたので、とにかく広島の詩だけは英語で全部読んでみたいと思い、自分でプログラムを組みました」

 

ーUBCにはさまざまな国籍の学生が集い勉強しています。そんな中、広島の原爆で犠牲になった方、(2011年)3・11で被害に遭われた方の思いを伝えたということについてどのようにお考えですか。

坂本「(朗読会後の)レセプションで主に若い人たちと話すことができて、出身地を聞くと中国やロシアなどいろんなところから来ていて。カナダのようなダイバーシティ(多様性)が多いところで、日本人がこんなに被害を受けて大変だったんだ、ということを訴えているわけです。当然、欧米や中国や他のアジアの人たちがそうは思っていないとしてもおかしくないわけです。どういうふうに受け取られるのかは、当然僕も考えてのぞみましたけど、終わった後のみんなの話を聞くと、とても深く真摯に受け止めてくれて、反発も感じなかったし、逆にそれでいいのかな、違う見方もあるんじゃないのと僕が心配して聞きたくなるような。とても素直に受け止められていたので、逆に僕が感銘を受けました」

吉永「中国の方とお話した時に、原爆の作品としてどういうものを読めばいいんでしょう、どういうことを学べばいいんでしょうと聞かれたんですね。私は歌集とか詩集をたくさん読んでいるんですけど、実際に本としてどういうものを読んでいただいたらいいか、なかなか難しくて即答できなくて。たまたま『愛と死の記録』という映画が、大江健三郎さんの『ヒロシマ・ノート』の中のエピソードを映画化したものだったので、広島のことをということで(紹介しました)。本当にそういうことを学びたいと思っている中国の方がいるということが、私たちも逆に日本が戦争の時にどういうことをしたのかを知らなくてはいけないという思いもしました」

 

ー戦後71年目となる今年、カナダでの朗読会にどういったお気持ちでのぞまれましたか。

吉永「昨年が70年ということで、メディアなども大きく取り上げていましたが、これからが大事だと思っているんですね。武器を持って戦うことでは何も解決しないんだってことを、70年間私たちは少しずつ学んできたんだと思うんです。だからこれからも、むしろ日本がリーダーになってそういうことを言い続けてほしいと思うし、私たちひとりひとりがそういう思いになったらいいと切望しているんです。みんなができる小さなことをつなげていけば、きっと希望が出てくるんじゃないかと思っているんです」

 

ー坂本さんは昨日のスピーチで吉永さんの『核と人間は共存しない』というメッセージを支持するとおっしゃいました。朗読会の内容については相談されているのですか。

吉永「私はほんとうは坂本さんの行動や考えにすごく共鳴して、ガンジーに憧れるように、坂本さんについていきたいと思って。私はどっちかっていえば感覚人間で『これはおかしいな』と思ったら行動するというようなタイプなので」 坂本「(吉永さんは)原爆詩の朗読を30年もやっていらっしゃるし、強い信念がないとできないことだと思っています。でも内容については特に相談しているわけではありません」

 

ー吉永さんの原爆詩を読み続ける原動力とは?

吉永「1986年に東京・渋谷の小さな教会での平和を願う集会で、詩を読んでくださいと頼まれました。峠三吉の詩は知ってたんですが、他の詩はほとんど知らなくて、こんなにいろんな形で文学として残されているのかと、初めて知ったんですね。読んでいて私自身がとても感動して、これは何かの形で読み続けていかなければならないって思ったんですね。詩の持つ力にすごくひかれました」

 

ー坂本さんは、ことし3月末に震災を経験した子供たちのオーケストラと演奏会をされました。福島の原発は全くコントロールできていないという記事もある中、いま福島の現状をどうみられてますか。

坂本「あのオーケストラは福島の子たちが7割くらいなんですね。とてもいい子たちです。本心を言えば、今からでも遅くはないから、どこか遠いところに避難した方がいいと言いたい気持ちはあります。でも、それは本人たちやお母さんたちが一番わかっていることだけど、何らかの事情でできないわけですよね。彼らにとってはつらいことになるので、安易に口には出せないですね。一方、原発処理の状況を見ると、いまだに汚染水が1日100トンも海に流れています。除染した土の袋もどんどんたまっている。置く場所がないから普通の民家の庭先に置いてあったりする。非常につらい状況にいる人たちですよ」

 

ー今月末に、オバマ大統領が広島を訪れるかもしれないという話です。現職のアメリカ大統領による広島訪問の意義は大きいと思います。そのあたりどのようにお考えでしょうか。

吉永「最初に私が海外で朗読会をやったのが、シアトル郊外のポートタウンゼントという小さな町でした。シアトルに住んでいる宗教家で思想家の方とお会いしました。その方は原爆が広島におちて1年後くらいに、申し訳ないっていう思いでご自分が広島に行って被爆者の方たちのために家を建てた方なんです。その方から直接聞いた言葉で、『広島に原爆が落とされた時、それはあなたの上にも私の上にも落ちたんだ』と。誰が落とした、誰が加害者だっていうことよりも、とんでもないことがおきた、とんでもない武器ができてそのためにたくさんの方が、虫けらのように何の尊厳もなく消滅してしまったってことですよね。それを感じてオバマさんがもし広島に行ってくださるんだったら、私はとても嬉しいことだと思いますね。加害者、被害者ということじゃなく、未来に向かっての思いとして行ってほしいと思いますね」

坂本「僕も行ってほしいですね。そこで仮に謝罪がなくても。オバマさんだけでなく世界の国の指導者、国に限らず上に立つ人はみんな広島、長崎に行ってほしいですね。僕らだってかすり傷一つだって痛いじゃないですか。原爆に限らず、戦争に行くということは痛くて苦しくて嫌なこと。耐えられないと思うんです。そのくらい痛くて嫌なことなんだよということを知らない、想像できない人がいるんだと思います」

 

 この日のインタビューでは、UBCで博士課程を履修する学生が質問する機会も持たれた。まず、日本の流行文化を研究している丘慧有(きゅう・えゆう)サイラスさんが尋ねた。

 

ー昨日、読まれた吉田桃子さんの詩で『3・11(さんてんいちいち)、たった八文字の言葉は私たちからどれくらいのものを奪っていったんだろう』、というラインがあります。シンプルな言葉で大きな衝撃を受けました。実際に目の前に浮かんだイメージはどんなものですか。またはどんな気持ちでメッセージを伝えたかったですか。

吉永「ほんとに何の体験もしていない私なので、想像力でやるしかないんですけども。一字一句を聞いてくれてる方に伝えるっていうことしかできないし、(詩を)作った子供がいて、私が読んで、聞いてくれる人に投げかけるっていうか受け止めてもらう、ただそれだけでやってるんですね。ただ、今回どの詩を読むかを選ぶところではとても悩んだり考えました」

 

 続いて、戦後の日本文学を学んでいる岩崎正太さんが質問した。

 

ー3・11の震災の時、私は日本にいました。東京から逃げたほうがいいのではという真剣な話も父母としました。昨日の詩の朗読を聞いて、自分が経験したものと福島の人が経験したことが違うということが私には衝撃でした。自分が経験したことのないことを言語表現、音楽表現でどうやって伝えるのかお聞きしたいです。

吉永「体験していないことを伝える、私の職業というのは常にそういうことをしているので。いろいろな役をやってその中で学べるというのが、一番私の仕事のいいところだと思っています。朗読は演じるのとは違って伝えるということです。私は俳優だから言葉で表現することをしている。それだったら伝える手段として私は言葉で伝えようとやっているので。こういうことがあったんですよ、と子供に昔の話をするような感じで、なるべく自分が力まずにやれたらいいと思っています」

坂本「たとえば、僕たちはとっくの昔に死んだ方の書いた本もたくさん読んできましたよね。死んだ人たちの言葉から、栄養をもらって考えたり表現したりしてますよね。表現ってそういうものなんですよね。だから体験していないから表現できないということにはならないんですね。僕は音楽家ですから音楽を作りますけど、たとえば、とても悲しいことが自分に起こったとして、すごく強い思いで曲を書くとしますね、それがいい曲とは限らないんですよ。表現の厳しさってそういうところ。やっぱりいい曲じゃないと何十年も何百年も残っていかないんです。ただ、思いが強ければいいものを作ろうという気持ちが働くことは確かですから、それが悪いということではなく大事なことでもあります」

 

ー最後に、これから先の朗読会で大切にしていきたい思いや、今後もお2人で活動を続けられる予定があるかをお聞かせください。

吉永「戦後70年とかいうことではなく、今年こそ大事だという思いが常にあります。もしも坂本さんのスケジュールが許せば、いつかご一緒させていただきたいとこの場でお願いしたいと思ってます」

坂本「呼ばれればいつでも、どこでもはせ参じます(笑)。とても大事なことをされていると思うので、少しでもお役に立てればとそんな気持ちでやっています」

(取材 大島 多紀子)

 

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