MAPLE 2010
2010年1月1日 第1号 掲載
 

オリンピックイヤーのウィスラーがはじまった!!



ウィスラー山にたつカナダの国旗。ここも人気の写真スポット

メープルリーフの上を飛ぶジャンパー

  雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、11月上旬から中旬にかけてウィスラーは大雪に見舞われた。11月の降雪量550cm以上。これは観測史上最高の降雪記録になった。この雪をみてローカルが黙っているはずがない。リフトが動かなければスキーやボードをかついで山に上がって滑るのは当たり前。

 オフィシャルには11月26日オープンの予定だったが、雪とローカルの勢いで、11月14日に今シーズンのウィスラーははじまった。オープン初日からトップシーズンと同じ雪質と雪の量。今すぐにでもオリンピックができそうな勢いだった。


 

 ウィスラー山が正式にスキー場としてオープンしたのが1966年。当時社長のフランツ・ウイルヘルムッセン氏は、いずれここでオリンピックを開催したいという夢を持っていたが、当のオリンピックイヤー。大雪の贈り物で一気にオリンピック気分は高まった。

 ちなみに日本人にウィスラーが広く知れ渡るようになったのは1990年シーズンから。そのころから海外スキーバブルが始まり、数年にわたり2万人から3万人以上のスキーヤーたちが訪れ、その後のスノーボードブームとともに多くの日本人がウィスラーにやってきた。ウィスラーがオリンピックを開催するまで名実共に大きくなったのに、日本人が大きく貢献したことは否めないことだと思う。

 さて、今ではよく知られたウィスラーだが、ここでさらっと概要を紹介したい。

 ウィスラーはウィスラー山とブラックコム山という二つの大きな山を擁する北米最大規模のスキーリゾートとして知られる。各山には100以上のコースがあり、上部には氷河エリア、ボウルエリアがあり、さらに奥にはバックカントリーやヘリスキーエリアが広がっている。この二つの山の麓にあるのがウィスラービレッジだ。

 ビレッジは宿泊施設を中心に、歩行者天国のショッピングストリートがあり、ブティックやスポーツショップ、世界中の食が楽しめるレストランなどが軒を連ねている。ここではスキーやボードをしない人でも充分楽しくリゾートライフを楽しむことができる。

 2月12日から始まるバンクーバー五輪では、ウィスラーはオリンピックの花形競技であるアルペンスキーの会場になる。ではオリンピックの時には一般の人は滑れないかというとそんなことはまったくない。200以上あるコースの90%以上はまったく普通に営業されているので、滑りたい人は普通どおりに楽しむことができる。それだけ大きい山なのだ。


スライディングセンターでボブスレーのスタートを見る

 

是非滑って見たいオリンピックアルペンコース!!


 男子のコースはデイブ・マーリー・ダウンヒルコース。女子のコースは主にフランツズ・ランのコースが使われる。滑降やスーパー大回転、大回転、回転と競技種目によってスタート地点はかわるが、ゴール地点は共通でウィスラー・クリークサイドにゴール。

 見所の一つはゴール直前のホット・エアーといわれる落ち込み。滑降競技では70mも飛んでしまうことがあるという。選手がここをどう攻略するのか、最後の最後まで勝敗の行方はわからず、スクリーンやテレビで見ていても楽しいコースだ。


ウィスラー山ピークチェアーから景色抜群の初中級コースへ


 さて、オリンピックの男子アルペンコースはもともと、シンプルにダウンヒル・コースと呼ばれていた。

 ここにデイブ・マーリーの名前が冠されたのが90-91年シーズン。デイブ・マーリーは70年代から80年代初めにかけて活躍したカナダ・ナショナルチームの滑降競技レーサー。当時のW杯シーンではカナディアンがやたらと滑降競技が強くて、上位10人の中にカナディアンが何人も入っていた時代だった。聞くところによるとライン取りとかクレージーなのにタイムは速い。それで“クレージーカナックス”と言われていた。彼が82年にリタイアした後、ウィスラーでスキーのディレクターとしてスキーキャンプを運営し活躍していた。が、残念なことに1990年にガンにより亡くなってしまった。わずか38歳のことだった。


ブラックコム山中腹



 1988年にデイブ・マーリーは日本に行っているが、その時に同行した人は、「あのときにも(デイブは)強い薬を飲んでいたけれど、痛いとか苦しいとか弱音は一切吐かなかったよ」とのこと。

 その生き方は本当に強く、多くの人に感銘と勇気を与え続けた。だからこそ彼の死を悼んで彼の名前がこのコースに冠された。

 このコースを滑って見たい人は、スタートからゴールまでの標高差870メートルをゆっくりでいいから休まずに滑ってみたい。急斜面と緩斜面が複雑に入り混じり、様々なテクニックが要求されるタフなコースだ。

 このコースを滑ったら、是非ウィスラー・クリークサイドのダスティーズというレストランに行ってほしい。このレストランの2階にはデイブ・マーリーと1988年にオープンしたウィスラービレッジ・ゴンドラのポスターが張ってある。

 このポスターに彼の生のサインがしてあり、ポスターには“Whistler. The Mountain will move you.(ウィスラー、ここは山があなたを動かすところ)”の言葉。

 格別な一本になるに違いない。

 女子アルペンコースは、初代の社長の名前が冠されたフランツズ・ラン。

 このフランツズ・ランが200以上あるコースの中で一番始めにできた伝統のコース。コースは全体的に20度前後の中斜面。一番急なところでも30度ぐらいでとても気持ちよくクルーズができるコースだ。しかしながら、起伏を削らずに自然地形がそのまま上手く生かされているので、気を抜いていると思わぬところで撥ねられたりする。そのためコースの先を先をと読みながら滑るとより爽快感が増す。標高差は770メートル。ここは自然の地形や景色を楽しみながら滑ってみたい。ちなみにパラリンピックのアルペン競技もこのコースで開催される。


アルペンスキーのゴールエリア

ウィスラー山の頂上に立つイヌクシュクで記念撮影

 

ウィスラー・オリンピックパークとスライディング・センター


 ウィスラーはジャンプ、XCスキー、複合、バイアスロンといったノルディック系競技とボブスレー、ルージュ、スケルトンといったスライディング系競技の会場にもなっている。


坂道を登る選手たち

 ノルディック系競技が行われるウィスラー・オリンピックパークのあるカラハン・バレーは、バンクーバーからくるとウィスラー手前に位置する。ハイウエイ99号から会場に向かって山の奥深くにすすむと、周囲を雪山と針葉樹林の木々に囲まれたジャンプ台が見えてくる。その奥はXCスキーとバイアスロンの会場につながる。

 人が少ないときには、きつつきのドラミングの音や鳥の声が響くこの森も、オリンピックの期間中は、選手を応援する歓声やカウベルの音が響きわたるだろう。会場にはもちろん暖がとれる施設があるが、観戦中は基本的に野外なので足元や身体を十分以上に温かくしていたい。


国旗を背負って応援する

ジャンプの応援に日本から駆けつけた


 また、普段は一般の人がXCスキーを楽しめるように開放されている。

 続いてスライディング・センターは、ウィスラーのブラックコム山南東の山腹にある。ここにいくのにはエクスカリバーゴンドラ中間駅でおりて歩いて5分ぐらい。

 このコースは16のカーブで構成されていて、速度はボブスレーやルージュでは150kmを超える。コース横で見ていると、音が聞こえたかと思うと一瞬の内に選手が通り過ぎる。このため“新しい時代のテクニカルで高速コースだ。”という評判が2009年のオリンピックテスト大会を通して与えられた。

 そんな評判を裏付けるかのようにいくつかのカーブには固有名詞がつけられた。例えば最後の11から15にぬけるカーブは全体で金メダルに向かう“GOLD RUSH”、特に13カーブは“50/50”(フィフティーフィフティーで転ぶからだとか?)。ゴールに向かう最後の16カーブは“THUNDERBIRD”(選手が見えないのに雷のように聞こえてくる音は、先住民の守り神サンダーバードがくるときのようだ)。たとえTVで観戦していてもその迫力は伝わることと思う。


ジャンプを応援する人たち

 

 

ウィスラーのオリンピック選手村


 ウィスラーのオリンピック選手村は、目前のウィスラー山と遠方に見えるとがったブラックタスクを望むファンクション・ジャンクションにあり、シャトルバスで各会場に約20分。選手や役員など2850人の収容を見込んでいる。五輪終了後にはトレーニング施設はローカル向けの公共施設となり、選手村も改装してローカル向けの住宅になる予定。

 今回のオリンピックにかぎることではないのだが、このウィスラーにも冬の間は多くの国から多くの人々が夢をもって働きにやってくる。

 カナダやアメリカをはじめ、日本、韓国、香港、タイ、オーストラリア、ニュージーランド、チリ、アルゼンチン、アイスランド、スウェーデン、フィンランド、イギリス、アイルランド、デンマーク、ドイツ、スイス、フランス、オーストリア、スペイン、イタリア、南アフリカ、ベルギー、チェコ、ルーマニア、スロバキア…、たくさんの国々から人々がやってくるという。

 観光では更に多くの国々から人々が来るわけだが、そういった世界的な観光地であるウィスラーを支える大きな力になっているのが多くのボランティアスタッフたち。何かのイベントの度に多くのボランティアがイベントを支えているが、今回のオリンピックでもそれは変わらない。

 ウィスラー現地の学校を卒業して、今回ボランティアをする予定の金沢次郎さんは「もともとこっちに来たのは、障害者スキーのインストラクターの資格を取りたかった。ここに来る前からオリンピックは決まっていたので、チャンスがあればなにかお手伝いしたいと思っていた」とボランティアに対する意気込みを語った。

 雪山が描かれたBC州のオリンピック記念ナンバーには“The Best Place on Earth”(世界で一番良いところ)の言葉。これが真実であることを世界中が知ることができるオリンピック。さあ、みんなでオリンピックを盛り上げよう!!

(記事と写真 野口英雄)


ボランティアに対する意気込みを語る
金沢次郎さん