SPECIAL 2009
2009年2月19日 第8号 掲載
![]() 会館の壁には、スミ・アワードの歴代受賞者を記念したプレートが飾られている。 |
![]() VJGA会館の本棚にぎっしりと並んだ造園の参考資料 |
![]() VJGA会館で盆栽の研修に励むVJGAメンバー |
![]() (写真左から)林栄造氏、村上敏彦氏、稲岡佑介氏、高原和雄VJGA会長(左から) |
1959年、ブリティッシュ・コロンビア大学に新渡戸稲造博士記念日本庭園が造られたのをきっかけにして生まれた日系ガーデナーズ協会(VJGA)は、今年、創立50周年を迎える。日系人のガーデナーと言えば、第二次大戦以前から「仕事が丁寧で技術も確か」という定評があった。その評判と誇りを次世代に手渡していくことが、メンバーの結束を大切にしながら着実に半世紀を歩んで来たVJGA協会員の願いだ。50周年の記念事業として、2月27日に催される「記念演芸大会」をはじめ、夏のゴルフ大会や記念講演会、11月の記念祝賀会などが予定されている。
新渡戸ガーデンとともに生まれたVJGA
春の桜から秋の紅葉まで四季折々に美しい表情を見せる、ブリティッシュ・コロンビア大学の新渡戸稲造博士記念日本庭園(通称新渡戸ガーデン)は、北米屈指の本格的日本庭園として知られている。この庭園を造るにあたって、在バンクーバー日本国総領事館はバンクーバー周辺の日系造園業者たちに広く呼びかけて協力を求めた。これに応えた20人ほどの人々により、日系ガーデナーズクラブという名称で組織されたのが、現在の日系ガーデナーズ協会(VJGA)の出発点だ。
新渡戸ガーデンは千葉大学造園科教授、森勘之介氏の指導で進められたが、新しく生まれた日系ガーデナーズクラブのメンバーは、庭造りに参加しながら、最新の造園技術と伝統的な日本庭園の作庭デザインの知識を熱心に学んでいった。森教授はアレキサンダーの日本語学校で、週に一度メンバーのために日本庭園の講義を行ったという。常に新たな技術の研鑽を続けるというVJGAの積極的な姿勢は現在も受け継がれており、「研究部」という部会として活動が続いている。
VJGAの初期の歴史を振り返ってみると、肥料や農薬などの共同購入を始めたり、会員の語学力を向上させるための英語講座を催したりするなど、ガーデナーの人々が仕事の上で直面するさまざまな問題に積極的に取り組んできたことがうかがわれる。例えば、1967年には労働基準法の改定に対応する討議が続けられたり、農薬の散布にライセンスの所持が義務づけられた1969年には、その取得のための講習会が行われたりしている。
先人たちが築いた「日系ガーデナーの評判」
日系ガーデナーの歴史は、カナダにおける日系人の歴史の始まりとほぼ同時と言っても良いだろう。製材所や漁業などに従事していた日系人が多かったが、「ハウスボーイ」として富裕層の家庭に住み込んで働いていた青年も少なくなかった。庭の手入れなども、もちろんそうしたハウスボーイの仕事の一つだった。庭を綺麗に保つことは日本の文化に深く根ざしており、そのことは優しく丁寧に植物を扱う多くの日系人の態度に表れていた。ハウスボーイたちの仕事ぶりの評判は、やがて「日系のガーデナーなら安心」という定評を生むようになる。
第二次世界大戦の強制移動などで、日系ガーデナーのほとんどが仕事を継続することができなくなった。しかし戦争が終わってまもなく、「丁寧な仕事をするガーデナー」を求める人々は日系ガーデナーの定評を思い出した。広告に「経験豊富なジャパニーズ・ガーデナー」という言葉を添えるだけで、多くのお客を集めることができたという。ハウスボーイの時代から日系ガーデナーが築き上げて来た信頼は、戦後移民してきた人々も含めて現在のVJGAメンバーの誇りであり、これからもさらに厚みを増していくよう努力が続けられている。
その象徴の一つとなっているのが、VJGA会館だ。協会発足当時はアレキサンダーの日本語学校などで集会を開いていたが、1970年代後半に入って「自分たちの会館が欲しい」という声が高まっていった。100人足らずのメンバーで資金を調達することは容易ではなかったと想像できるが、1983年に会館の落成式典が行われた。スカイトレインの29th駅の近くにあるこの会館は、階下はコープのお店になっており、造園や管理に必要な用具などが売られている。二階は集会所や図書館、VJGA事務局の部屋などになっており、メンバーの会議などから盆栽などの研修会などに活発に利用されている。
日系ガーデナーの伝統を受け継ぐ人々を育む
現在VJGAには57人の協会員がいる。その多くは戦後移民して来た「一世」で、協会の集会などは日本語で行われている。しかし、今後は「日系人ガーデナー」も急速に変化してくるものと思われる。現会長である高原和雄氏も二世で「日本語も話すけれど、英語の方が楽」と笑顔を見せる。高原会長は父親もガーデナーという文字通りの「後継者」だが、ガーデナーのビジネスを子供が引き継いでくれるという例は協会員の中でも数えるほどだという。これからは、先人によって築かれた「日系ガーデナーへの信頼」をどう次の世代に伝えていくかが大きな問題となるだろう。あと数年のうちにリタイアの年を迎える協会員も多く、メンバーの拡大も急務だ。
実は1980年代の後半から、日本でガーデニングや造園技術のトレーニングを受けてバンクーバーへやって来る人も出てきている。1997年には、日本の造園関係の専門誌にVJGAが「バンクーバーでガーデナーとして働く」ことを勧める広告を出したこともある。反応は予想以上に良かったという。「ガーデナーの仕事はみどりと触れ合い、カナダの環境の良さをそのまま体感する仕事だ」と稲岡佑介氏は言う。また、ガーデニングの仕事は野外での作業が中心となるので、肉体的にも負担の大きな仕事というイメージがあるが、林栄造氏は「けして3Kの仕事ではなく、多くの人々が趣味として楽しんでいる『庭いじり』をビジネスにできる、喜びの多い仕事」と言う。四季の変化を感じながら、丁寧な仕事をすれば植物はそれに応えてくれるので、結果がはっきり出るのもガーデニングならでは。ガーデナーを雇う側は比較的生活に余裕のある人々が多いので、顧客との関係もおおらかな場合が多いのも特徴だ。「お客様に直接喜んで貰えるのが嬉しい」と林氏は付け加えた。「50周年をきっかけに、こうしたガーデナーとしての仕事の姿をより多くの人に知ってもらえたら」と高原会長も意欲的だ。
VJGAの活動として一般の人々の目に触れやすいのは、スカイトレインパークや日系ヘリテージセンターの「日系ガーデン」、PNE内の「もみじ庭園」などを協会員が協力して造園したことだろう。会館が完成してからは、会員の相互扶助はもちろんのこと、こうした社会貢献の面でも活発な活動をしてきていると村上敏彦氏は強調する。現在もバンクーバー市役所前に「日加修好80周年」を記念する日本庭園を造営中だ。
日系ガーデナーの技術と心を広める
日系ガーデナーたちが築いてきた技術や仕事への真摯な姿勢などは、今後は日系人ばかりでなく、多くの人々に広めていきたいとVJGAのメンバーは語る。そのためには現在のメンバーの技術研鑽がきわめて重要である。VJGA協会では、グループでの勉強会などもしばしば催しており、50周年の記念イベントの一つにも「癒しの庭」などをテーマにした講演会も予定されている。また、VJGAの初代会長であった角知通氏を記念したスミ・アワードが設けられ、毎年優れた庭園を表彰して協会員の技術向上への励みとしている。
創立50周年の記念イベントの幕開けとして、2月27日、リッチモンドのゲートウェイ・シアターで「記念演芸大会」が催される。テーマは「日本の四季」。日本の自然をテーマにして、日本の文化や暮らしをアピールしていく舞台にしたいとメンバーは準備に追われている。日本舞踊、沖縄民謡、お芝居など、3時間たっぷりの華やかで楽しい舞台になりそうだ。
日時:2009年2月27日(金) 夜7時から |
(取材 宮田麻未/写真 神尾明朗