SPECIAL 2008
2008年3月27日 第13号 掲載
![]() 「映画を通じて大物たちと会えたことはかけがえのない宝」と語る大河内南穂子さん |
![]() 双子浦で本校生徒と大石先生。映画のポスターになった写真 |
![]() ロケ地小豆島・濤洋荘の浜辺の石垣で 本校生徒の子役たち。右から3番目が南穂子さん |
満開の桜の木の下で大石先生と子どもたちが歌いながら汽車ごっこを楽しむ。ほのぼのとした情景の香川県・小豆島の地にも戦争の足音が近づき、先生と子どもたちの人生に影を落としていく…。屈指の名作映画『二十四の瞳』(1954年公開)。この作品に込められた願いを現代に伝えようと『二十四の瞳からのメッセージ』(澤宮優・著)が2007年11月に刊行された。
同書に言葉を寄せてい る大河内南穂子さんは、映画に子役の「小ツル」として出演。当地で精力的にコミュニティ活動を行う南穂子さんの人生から、切っても切り離せない重要な役割を果たしたのが、映画『二十四の瞳』だった。映画出演当時の思い出を振り返りながら、南穂子さんの生き方に迫ってみたい。
抜群の度胸と技量が木下監督の目に留まって
昭和28年7月。子役選抜の面接試験のために映画会社・松竹の大船撮影所に集まった3600人余りの子どもたちのなかに12才の南穂子さんの姿もあった。「私は昔も今もとにかく人前に出るのが好き。劇団に入っていたので、早口言葉も言えれば、セリフも話せる、指示されればパッと涙も流せるから、きっと残れるなと自信がありました」
数回に渡る厳しい面接試験を突破して、見事子役に選ばれ、小豆島での3カ月に渡るロケを経験。「高峰秀子さん、田村高廣さんなど憧れのスターたちと身近に接して、『夢よ覚めないで!』と願っていました」
南穂子さん扮する「加部小ツル」の役は、少々おせっかいなところのあるおしゃべり屋さん。映画では修学旅行の船上で生徒の噂話をして、大石先生にたしなめられるシーンがある。
「まったくこの役は私にぴったり。監督はよく子どものキャラクターを見抜いていました。真面目な竹一役の男の子は、今は立派な実業家ですし」
子役に選ばれたといっても子どもは子ども。撮影ではセリフが言えずに泣きべそをかく子もいたという。
「『あんなに出来ないなら私がやるのに!』と、うずうずしていたら、監督が一声、『小ツルちゃん、あんたがそのセリフやりなさい!』って。すぐ『私がやります!』って言って一回でOKもらいました」
テレビで後年放映された同作品を見ると、長い年月が経過しているだけあって音声が聞きづらい。ところが南穂子さんは他の子役よりも声が澄んでいて、セリフが耳にすっと飛び込んでくる。
映画出演後、黎明期のテレビ業界で、南穂子さんは民間テレビ放送局向けのタレント養成所『電通テレビ・タレント・センター』発足時の研究生の公募にも最年少の18才で合格。講義ではギリシャ演劇論が、実技ではヨネヤマママコから指導を受けたパントマイムが南穂子さんの目を開かせてくれた。その研究生時代に製薬会社のコマーシャル・ガールに抜擢され、生放送のテレビ番組内でのコマーシャルを担当。全国放送出演でさらに度胸と自信を付けた南穂子さんだったが、不規則な仕事に体が悲鳴を上げたため、テレビ業界から離れて、今後の発展の可能性を見出したフラワーアレンジメントの分野でまた花を咲かせたのだった。
渡加後も『自称・バンクーバーの白柳徹子』としてフル活動
南穂子さんの才覚はカナダでも大いに生かされている。当地の日本語テレビ開局当初より13年に渡り司会を担当。過去の仕事に観光局や留学関係のフィルム撮りがあるが、そのなかで15分のナレーションを任されようとも一回で決めてしまうのだ。そのためには事前にテープに吹き込んでは何度も練習。努力を惜しまなかった。
「自分に甘くしたら、周りに迷惑なことを、映画の撮影を通して子どもながらに学んでしまったので、いつも真剣勝負」
10年間、州立サイモンフレーザー大学で日本語講師として教壇に立っていた際も、声色を巧みに使いながらゼスチャーいっぱいのパフォーマンスを披露。おかげですぐに「パワフル先生」のあだ名を頂戴した。
「教職に就いてしばらくして、ふと『この私が先生をやっているんだ。大石先生ならぬ、大河内先生に!』と気がついて驚きました。博士号も持っていない私に、日本語テレビでのアナウンスの姿を見て『あなたのキャラクターでいいんです』と声をかけてくださった大学の学部長には感謝の気持ちでいっぱいです」
現在も「話し方コーチング」で先生の役割を続ける南穂子さん。自然と生徒の世話を焼く気持ちの根底にあるのが『二十四の瞳』の大石先生の姿であると言う。
話術向上に励み続けて
「映画を撮っていると、消防車のホースで雨を降らせたり、目の不自由なソンキ役の役者には卵の白身を塗って目を開けにくくしたりと映画の裏が見えるんです。ですから映画を見ると、ここそこにある工夫が見えて感心してしまいます。今も映画館でプロローグが始まると気持ちが高潮して、『私のドキドキワクワクタイムいらっしゃいませ!』という感じで、面白い場面になれば隣の人の腕をバンバン叩くし、大きな声を出してしまうので、一緒にいる人は恥ずかしいって言うんです」
明るく気の利いたことを言って場を盛り立てるのがお得意な南穂子さんだが、そのために自身のアンテナをつねに鋭く保っている。「インタビュー番組などで、相手の言葉を切り返してぱっとジョークを言って人の気持ちをやわらかくしますよね。それが私の目標。トークショーを見ては、いつも司会者のそうしたことを参考にしています」
映画出演で学んだチームワークの力
映画のチームは山田監督なら「山田組」と呼ばれ、大家族のような関係であるというが、「木下組」の南穂子さんにはどんな思いがあるのだろう。
「私は木下組のなかのほんの豆粒ほどの存在でしたが、それでも身内意識があって、木下監督や高峰秀子さんの作品はその後もずっと追いかけて、いつも応援していました。木下監督、高峰さんを始めとした役者さんたち、作家の壺井栄さんという本物の大人物と、子ども時代に出会えたことは、私にとってどんな宝石にも勝る宝物です。
高峰さんは目に力があり、優雅でとても魅力的ですが普段は大変地味な方です。映画でブルーリボン賞を受賞後は、二度も麻布のご自宅に子役たちを招いてくださいました。木下監督も映画の受賞後、みんなのおかげだと言って、分厚いクリスタルのキャンディボールをスタッフ全員に配ってくださってと、お二人ともスタッフの皆さんへの気遣いがありました。
映画の撮影からはチームワークでひとつの物を作りあげていくことを学びました。オスカーの受賞式ではスタッフの誰々に感謝すると延々と名前を挙げて言いますが、ああいう気持ちがわかるんです。ともかくこの世の中、自分ひとりでは生きていけないとわかり、私も木下監督のように周りの人の力を引き出したいと思うようになりました。なにせ旗振り役が好きなもので、この性格と経験とが相まって、現在、日系コミュニティ活動で何とかリーダーをさせていただいていることにつながっているのだと思います」
予期せぬ経験から得た思い
主宰を務める日系女性の学習の会「コスモス・セミナー」は今年で8年目。その会を率いつつ、カナダの民間大使のごとく各方面での広報役、そして周囲の人々のお世話にも、思いの限り行動し尽くす南穂子さん。今も芸能人並みのスケジュールで、あるときは早朝に記者への返信メールが送られてきたこともある。じっとしていられず、すべきことを残したままで眠れない性分なのだとか。勇気を持って困難に立ち向かうのも厭わないのだ。
数年前、思いがけず早くに愛するご主人を亡くし、その後南穂子さん自身も大病を患った。そのときから「できるときにできることを」との思いを強くし、支えてくれる人々のありがたみをますます強く感じるようになった。
チームワークが自慢の「コスモス・セミナー」は、日本では「コスモス・ジャパン」の名称で、すでに東京、関西、福岡に支部が生まれている。「カナダで蒔いたコスモスの種を、これからは日本でもどんどん咲かせてゆきたい。個人的なプロジェクトもたくさんあります」と語る「小ツル」の瞳には、今後の大きなビジョンが映っている。
| 大河内南穂子さんプロフィール | |
東京出身。12才で『ニ十四の瞳』に出演。 1970年渡加。日本語放送の司会、CBCラジオの日本向けリポート、SFUでの日本語講師、日加タイムスなどでの原稿執筆、またさまざまな場にて話し方のコーチや審査員を務めてきた。現在、日系女性の学習の場「コスモス・セミナー」を主宰の傍ら、自宅他で話し方のコーチングを行い、「JTBログステイプラザ」「倶楽部海外暮らし」のロングステイ紹介の任で日本講演も多い。 これまで企友会の設立、移住者の会役員など、当地での多くのボランティア活動にも尽力してきている。http://www.naokocanada.com/ |
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(取材 平野香利)