SPECIAL 2008
2008年3月20日 第12号 掲載
![]() きくち ゆみさん グローバルピースキャンペーンの呼びかけ人として世界平和と環境保護をテーマに各地で講演する一方、千葉県鴨川の築200年の自宅をハーモニクスライフセンターとして運営する。夫である森田玄氏と共に自給的な生活を基盤に、自然療法セミナー、自然食ワークショップを開催。「子どもたちに安心して住める地球を手渡すこと」が、人としてそして母としての責任と、まずは地球の一部分である自分自身を大切にすることから始め、それが地球全体を癒す事につながるという生き方を実践している。 |
![]() 森田玄さん 千葉県鴨川のリモ農場の主人で、自称「楽農家」。かつては現代医学と栄養学に頼りきったストレスフルな生活を送っていたという自分自身のからだの不調をきっかけに訪れた千葉県鴨川で、「自然の一部としての自分の存在」を見つめなおす。その後、「快療法」と出会い自分の中に宿る自然治癒力のパワーに気づき、ゆみさんと共に農場で無農薬・無化学肥料の自然農法で自給用の野菜とお米を作っている。自然界に生きる花、木、虫、動物たちのように自由で、共存し調和しながら生きていく暮らしを推進しているハーモニクス・ヒーリングを世界各地で開催。 |
食、健康、平和活動や環境活動など幅広い分野で、千葉県鴨川を拠点に活動しているきくちゆみさん、森田玄さん夫妻。その2人が先月バンクーバーを訪れた。911真相究明の会、バンクーバー9条の会などの共催のもとに行われた2月23日の英語講演、『平和の創り方:違いをもたらすためにあなたにできること』。そして翌24日、バンクーバー日本語学校での日本語講演、『自分を癒す 地球を癒す〜ハーモニクスライフが私にもたらしてくれたもの〜』の両講演はどちらも大盛況。帰国当日の朝もチャンネル10にテレビ出演をするなど、精力的な活動を次々に展開している2人に話を聞いた。
森林伐採を目のあたりにし
「これやってるの自分じゃん!」
−債券ディーラーだったゆみさんが環境活動家に転身したきっかけは?
ゆみ:17年前の話になりますが、その頃私は、休みになると海外旅行に行くリッチな独身OL生活をしてたんです。あるとき、中央アメリカのベリーズという、東京とはまったく正反対の熱帯雨林のジャングルのある国に行ったの。珊瑚礁のあるカリビアンのすっごくきれいなところで、人間なんかほとんど住んでなくて。
玄:ジャガーなどの絶滅危惧種の動物たちが生きていて、世界一蝶々の種類が多い国なんだよね。
ゆみ:ええ。そこへ行って、まあ、地上のパラダイスを見たわけですよ。感動してはまって、そこから私のベリーズ通いが始まったんです。で、3、4回目に行ったときに、見渡す限りのマングローブの森が伐採されてなくなっていて、「えっ、私の遊び場は?あの鳥は、あの魚たちはどこへ行っちゃったの?」と驚いて調べていくと、結局、外国資本が入ってきて、そこへリゾートを作ろうとしているということがわかったんです。私の仕事ってのは、まさにその外国資本なわけですよ。「これやってるの自分じゃん!」ってなんかばしっと見えちゃって。そしたらもう日本に帰ったら仕事する気がなくなっちゃったの。それが28歳のとき。
それからですよ、熱帯雨林がどうして切られていくのか、本を読み出したのは。何もせず、片っ端から本を読んでいる時期が半年くらいあったかなあ。債権ディーラーしながら頭デッカチの環境オタクになってたのね。それである時、デニス・ヘイズという人との出逢いがあって・・・この人は私の人生を変えた人の一人なんだけど。
玄:世界Earth Dayを始めた人で、Earth Dayは1970年に彼が大学生のときに始めたんだよね。
手紙を書いたリアクションでここまで来た
ゆみ:それを世界に広めようと、彼が1990年に日本での講演会に来たとき、私もちょうど環境問題に興味を持ち始めていたから、聞きに行ったんです。そこで「環境問題はいくら頭で考えても、行動しなきゃだめだ。どんな知識よりも小さなアクションに意味がある」という言葉を聞いたとき、がーんとしたわけ。300人か400人の中の聴衆の一人として聞いてたんだけど、「ああ、この人は私に話している!」と思ったの。本もいっぱい読んで知識はある。でも、自分は何一つ行動していないというのがすごくわかって。それでその日の夜、初めてアクションを起こしたんですね。100人くらいの友人に手紙を出したんです。「熱帯林を守るために自分の暮らしをもっとシンプルにし、ベリーズに自然保護区を作りたい。その資金を集めるためにガレージセールをするから、あなたの不要品を送って」と。そしたら、友達がいっぱい物を送ってくれたんだけど、その手紙を読んでくれた人が感動して、その手紙をまたコピーして、またいろんな人に送ってくれて、そういうのが連鎖反応的に起こったの。当時は今みたいにメールが普及してなかったのに。で、日本中から荷物が来たの。家中が箱でいっぱいになっちゃった。それが読売新聞に載ったわけ。
玄:その当時、そういうこと日本ではだれもやってなかったからね。
ゆみ:記事を読んで感動したと、まったく知らない人からお金とかも送られてきて・・・。私は最初からすごくラッキーなんだけども、みんなの反応がよくって、その波に乗ってずっとやってきたのね。手紙を書いたということから起こったリアクションでここまで来ている。それでお金も集まって、3250エーカーの“モンキーベイ保護区”が誕生したんです。
その後、手紙をくれた人たちとのやりとりが始まって、仕事よりも断然そっちの方がおもしろくなっちゃったんですよ。ビジネスで会う人とは人間の種類が違う。その頃は環境保護って言葉もないくらいで、私もNGOって言葉も知らなかったけど、知らずにひとりで勝手に活動を始めていたわけです。で、その年の終わりに辞表を出して、翌月退職。振り返ってみると、最初の一歩は本当に小さなもの。でも一歩さえ踏み出せれば、あとは簡単。また次の一歩、次の一歩と、その時々できることをやるだけで、ずいぶん遠くまで歩いてきた感じです。
私たちは地球環境よりも美しくなれない
−その後、おふたりで、食、環境、健康、平和・・・と幅広い分野で活動されていますよね。
ゆみ:ええ、それらは全部つながっていると思うんです。“私たちは地球環境よりも美しくなれない”。そこが健康や美のリミットなんですね。地球環境の中で一番きれいな水、空気以上の水や空気なんてないでしょ。そのことがわかるとすごく暮らし方が変わると思うんですよね。環境を汚したら、全部自分に返ってくる。私が出す水は私がいずれ飲む水。それに気がついたとき、そういう生き方を始めるんですよね。そうするとそこに毒になるもの、私たちが食べられない、飲めないものを出すということはどういうことになるんだろうと疑問を持つ。普通に使ってる洗剤やシャンプー、リンスから化粧品から全部食べられないものですよね。そういうものをみんなが使ってるということはどういうことかと。
10年間いろんな試行錯誤があるんだけど、今自信を持って言えることは、たとえばスーパーで売っているほとんどのものは必要がない。洗剤であれ、シャンプーであれ、全部台所にある食べ物、酢、塩とか、食べるのに使っているもので、家中のお掃除から、肌の手入れまで間に合うということ。しかも安いし、すごく快適で理にかなっている。私、今46歳なんですけども、この10年で肌の調子とか健康状態とかものすごくよくなってしまった。
肌につけるということは、食べてることと同じなんですよ。「経皮毒」という本が今日本で流行ってますが、経皮毒は皮膚から吸収される毒のことで、口から取る毒よりこわいんですね。口から取ると内臓で解毒されて消化されて出てきますが、経皮毒は、直接肌に入って血液に入ってくるから、その分からだに対してのダメージが大きいんです。だから長年使っている合成化粧品が、知らず知らずにからだを傷つけてるということもある。
地球とともに生きるひとつの実験例
玄:うちには周りに排水路があるんですが、それがぐるっと回って田畑に直接流れてるんです。下水道とか上水道が来てないところに住んでるんで。山のてっぺんの築200年の一軒家で自給自足を目指してやってるんですけど、そういうところなんで、うちの排水がそのまま自分の食べ物に戻ってきてしまうわけですよ。私たちが出したものは私たちに返ってくる。
ゆみ:それではっと気づいたのは、実は地球全体もそれと同じだと思ったんですよ。私は今すっごい小さいスケールで実践してるだけで。それに気がつくと、本当に自ずと地球環境を汚さず生きることが、私が美しく生きることなんだと。
−頭でわかっていても実践するのとは違いますよね。
玄:そう、人間ってのは自分の目で見ないとね。いろいろ話を聞かされてもただ頷くだけで。だからうちを開放して、うちをモデルとして実際に畑で採ったものを食べてもらって、オシッコもウンチもそれにもどるんだというところを見せてね、そうすると納得してもらえるんですよね。
ゆみ:地球とともに生きるというひとつの実験例だよね。そういう意味をこめて、ハーモニクスと名付けたんです。
聞けば聞くほどどこまでも興味が尽きないおふたりの話。次号から2回にわたり、『自分を癒す 地球を癒す 〜ハーモニクス ライフが私にもたらしてくれたもの〜』の講演内容を紹介するのでお楽しみに。
(取材 西澤律子)