SPECIAL 2008

2008年1月24日 第4号 掲載


「ヒデ坊のカナダ便り」
快い緊張感とともにバンクーバーで過ごした1年


カムループスにて夫婦でゴルフを楽しむ

ケベックシティーにて

アパートのオーナーからディナーのお誘い



 「65歳まで働いたら、自分へのプレゼントとして、退職後1年間は海外に住んでみよう!」。そう数年前から心に決めていたと語る武井英明さん。2006年11月末に退職し、夫人の悠美子さんとともにバンクーバーに飛んだのは、その2週間後。

 それから1年間、バンクーバーでの新生活を、地元東急沿線のシニアの人たちのサイト、「えんせんシニアネット」において、「ヒデ坊のカナダ便り」として夫婦で綴ってきた。カナダという国の持つさまざまな素顔に直接触れていく中で、遭遇したトラブルやハプニング、こころの中に湧き起こった戸惑い、疑問、喜び、感動などが本音で語られている。写真も豊富で読んでいて、大変おもしろい。

そんなおふたりのカナダ便りの1年間の一部をここで紹介したい。


【英明さん編】
新しい生活への挑戦には、勢いと思い切りが必要
 2006年11月末に退職し、41年間の宮仕えをしていた我が身には、生活のリズムの急変で戸惑いは隠しきれませんでした。そのうえ、数年前からこの海外長期滞在を計画していたとは言え、退職日から2週間で出国。その間、家内ともども出国準備は有名人になったような慌ただしい毎日でした。

 すでに退職金が日本の銀行口座に振り込まれた今だから書けますが、昨年の中頃以降の自分は、いろんな重圧の中で、会社では『シニタイ』に近かったことでしょう。もしこの国外脱出が退職後半年以上も経過していたら、途中で面倒になり、この計画の実現はなかったでしょう。新しい生活への挑戦には、継続性のある勢いと思い切りが必要条件だと思います。本当のところは、何年か前から多くの周りの友人知人にこの計画を話してしまっており、いまさら引くに引けない状況となり、それが退路を断ったのでしょう。

インターネットの世界への船出
 私は出発前、たった6カ月、シニアネット・パソコン教室で勉強し、インターネットで広がる世界に一人で船出しました。日本から約7000Km離れたバンクーバーに来て、カナダにおける実生活をしながら、瞬時にかつ安価に、日本にいる人とコミュニケーションが取れ、ネットでつながっている世界の情報を日本にいるときと、まるっきり同様にアクセスでき、まさに情報のグローバル化を痛感いたします。便利なサービス、世界中の人々とのコミュニケーションなど、魅力がいっぱいの新しい世界です。私が1989年から5年間のパリ駐在をしていた頃は、毎日、東京の本社に鉛筆を舐め舐め、ファックスで8時間の時差問題を乗り越えた国際電話によるコミュニケーションをしていた時代に比べると、その変化に驚嘆します。

 しかし、ネット社会を安全で快適に過ごすためには、注意も必要のようです。一度この便利さを享受してしまうと、ハード・ソフト面の故障に出くわした際は、そのストレスで夜も眠れないほどの状況になります。

『サンデー毎日』の日々
 最近、やっと天候の若干の好転も手伝い、カナダの空気を胸いっぱい吸えるようになりました。また『サンデー毎日』の生活にも慣れてきました。滞在の前半は近代建築に囲まれたダウンタウンの生活、後半は昔からの建築様式が残っている郊外の生活となりました。

 日本で65歳まで働いた後の海外におけるロングステイですから、本格的な『サンデー毎日』でも良いのではないかと思いました。しかし、生来貧乏性の性格から、家でじ〜っとしておれません。バンクーバー生活を始めて1カ月以内に1週間の曜日毎の活動メニューを決め、水曜日は中休みです。「とにかく晴れの日は少しでも外に出て、デジカメで写真を撮りまくってほしい」と日本からアドバイスがありました。その結果、雨の日はインターネットで情報の取得と整理をすることになりました。まさに『晴写雨覗』の日々です。

  *   *   *

 武井さん夫婦は出発前、ステイ先をパリ、シドニー、バンクーバーの3候補地にしぼって考えていたそうだ。その結果、甥(ギタリストの中島有二郎さん)が住んでいるということ、アメリカに行きやすい地理的有利性、日本人留学生が多いことなどから、ロングステイ先をバンクーバーに決めた。デジカメにパソコン、テニスにゴルフといった日々をおくる英明さん。さて一方、悠美子さんは…?

【悠美子さん編】
シャンソンに魅せられて

 私は15年ほど前、主人の仕事の関係で5年間パリに住んでいました。その時本場のシャンソンに出会い、心の底から感動させられたことを今でも忘れられません。すぐ門をたたき、シャンソンの勉強を始めました。シャンソンは人の心を詩にして、それにちょっとメロディーを付けて出来上がります。人生を深く語るシャンソンに私はドンドンとのめり込んでいきました。パリから帰り、東京のシャンソニエやライブハウスで少しずつ発表の場に恵まれました。生徒さんも付き、落ち着いた頃、主人が退職して、1年間バンクーバーに住んでみようと言われ、なんだか分からず骨休みに昨年12月中旬からバンクーバーに生活の根を下ろしてしまいました。

甥とともにバンクーバー初舞台
 こちらに着き、毎日が鉛色の雨模様。とにかく歌を歌いたくて、取り敢えず日本人女性コーラス「カトレア」に入りました。半年ほどで大きな発表会を経験してやめることにしました。それは自分の歌であるシャンソン関係のスケジュールが忙しくなってしまったのです。

 1月下旬に甥が、小さなカフェでフルートとデュエットのコンサートを開きました。会場で、偶然隣り合わせの日本人のプロの女流カメラマンは、主人が近いうちにお会いする予定だった学校の大先輩、今泉さんの若奥様でした。お話をしているうちに、2月には写真展をやるのでそのオープニング・パーティーで私にシャンソンを歌って欲しいとの依頼を受けました。断ることの下手な私は、いつの間にかお引き受けすることに…。それが私のバンクーバー初舞台となりました。甥たちのギター、フルート、クラリネットとオーボエの楽器演奏に続くステージを緊張しながら3曲歌いました。『還暦を過ぎて、海外でよくやるね!』とお客さんはきっと心配しながら聞いていただいたことでしょうね? きっと主人が一番心配だったに違いありません。

音楽は世界共通語
 家での毎日の練習、テープ、CDによる先輩歌手のリスニングに加え、日系プレース企画の2つの訓練プログラムに参加しました。発声は歌の最も基本となる練習で同門の人たちとも切磋琢磨する機会となりました。また、月1回の「金曜フォーラム」では、さまざまなジャンルの音楽愛好家が集まり、毎回3時間の練習は私の腕を磨く場となりました。

 また、私の家では月2回シャンソン教室を開いております。教えることも自分自身の勉強になります。生徒の皆さんは練習が終わった後の『Tea』と『おしゃべり』が大の楽しみのようです。

 短い1年でしたが、こんなに多くのことを経験できたことは、本当にバンクーバーに住んでいらっしゃる心温かい方々のおかげと心から感謝しています。幸か不幸か、私はこの地での労働許可が無いので、1年間ボランティアで惜しみなくいろいろな団体のあつまりの場で歌うことができました。音楽は全世界共通のもので、どこの国へ行っても相通じるところがあるのだと、つくづく今回考えさせられました。

  *   *   *

 このようにバンクーバーでさまざまな人々との出逢い、いろいろな経験を重ねた武井夫妻であるが、当初の予定だった1年間のステイにピリオドを打つときがやってきた。1月23日をもってカナダステイを終え、日本に帰国する。バンクーバーでの1年間が、これからの新たなる生活に、時折味わい深いスパイスとなってふり注ぐのではないかと大いに期待したい。

(取材 西澤律子)

ヒデ坊のカナダ便り: http://www.ensen-senior.com/ht-txt/canada.htm

 

武井英明さん プロフィール

 1941年千葉県市川市生まれ。1965年全日空に入社し、予約業務を皮切りに営業、空港管理、本社勤務を経て初代パリ支店長に就任。1998年、33年間勤めた全日空を退職し、UPSエアライン日本支社長に就任。2006年11月末、65歳でUPSを辞職。
Hideaki san
Yumiko san
武井悠美子さん プロフィール

 長野市に生まれ、音大のピアノ科を卒業し、ピアノを教えながら、コーラスも長年歌い続けていた。英明氏の仕事の関係で1989年より5年間パリに滞在し、シャンソンを始める。日本に帰国後、シャンソン・カンツォーネを紫倉麻里子に師事。東京で舞台を踏む一方、渋谷でもシャンソン教室を開く。