SPECIAL 2008

2008年1月1日 第1号 掲載


スモークサーモンのチーナ創業30周年を迎えて
リトンかおりさんに聞く


「小売店を持って大勢の方と知り合えたのは財産でしたが、一線から退いてみたら安堵感でいっぱいに」とリトンかおりさん

オークブリッジのすぐ横の川辺のオフィスでウェインさんとかおりさん



 スモークサーモンを主力商品として、ギフトに適した『カナダのうまいもの』を提供するチーナ。バンクーバー島ナナイモ出身のウェイン・リトンさんと夫人のかおりさんの二人三脚で経営してきたこの会社が2008年で30周年を迎える。
 起業からこれまでを、リトンかおりさんの談話をもとに紹介していこう。


『カナダのグルメを日本へ』の思いから
 UBCから慶応大学と京都大学大学院へ留学したウェインさんが、京都でかおりさんと知り合い結婚したのは1966年。日本の製紙会社に勤めた後、イギリスの製鉄会社に転職し、勤務地としてイギリスの次にメキシコを経験したウェインさんだったが、その後のブラジルへの異動辞令に、かおりさんが治安の面から難色を示した。それがウェインさんの「日本とカナダに関わる会社を起業したい」という思いに火をつけることになった。家族でカナダに移り住み、UBCで経営を学ぼうとMBAを受講。「カナダの食材にカナダの文化を加えて日本人になじみのある珍味を」と、起業の商材をスモークサーモンに決めた後、1978年にはバンクーバーにチーナ・カナダを、翌年には東京・西新橋にチーナ・ジャパンを立ち上げた。

製造上の工夫と念入りな検査で高品質商品を提供
 同社の主力商品はスモークサーモン。最上の品質の製品作りは鮭の買い付けに始まる。釣り上げて即、処理と保存がなされた鮮度の高い鮭を短期間で港に持ち帰った船から買う。手に入れた鮭は、同社独自の仕様書をもとに加工会社に委託し製品化している。

食品製造にあたり一番骨が折れるのが、日本での販売のために厚生労働省の品質基準を満たすことだ。加工会社に基準クリアのための細かな指示をすると「そんなに厳しい条件ならば作らないよ」と言われたこともある。そんな困難を経験しても、品質とおいしさに対するこだわりは譲らない。ちなみに同社が自主的に行っている商品の定期検査や抜き打ち検査には実に年間二百万円以上の経費がかかっている。

 仕事の手ごたえとなるのは顧客の反応だ。商品への評判はメディアの耳にも入り、日本の雑誌に紹介されたり、キリンビールからはタイアップ企画も持ち込まれた。さらに2003年にはカナダ政府輸出開発局の推薦により、BC州で革新的な製品やサービスを提供する企業に対して贈られるマーケティング・イノベーション部門の優秀者候補となった。最終的に賞はIT関係の会社が獲得したが、絞られた3社にまで残ったのである。

エキスポの追い風と立ち退きの逆風と 
 リトン夫妻にとって商品の製造も初めてのことなら、小売りも初めての経験であった。「仕事は主人の領域、と思っていたところ、主人の起業に立ち会ううちに自然と自分も仕事にかかわるようになりましたが、開店の前日は『いらっしゃいませ』と言えるのかしらと不安でしたね」。最初の店舗はダウンタウンのハウ・ス トリートにオープン。その後、バンクーバーへの観光客の流れを読んで2号店をアルバーニ・ストリートに、86年のエキスポの後には、さらにもう一店舗をウォーターフロントセンターに開き、ビジネスを拡大していった。

 しかし、軌道に乗ったところでビル会社から立ち退きの通達が。「一号店はビルの建て替えのために立ち退きを求められ、25年間で5回移転しました。カナダは6カ月前の通達で立ち退きですから、きつかったですね。新ビル建設ラッシュの時代の流れもあったのだと思います」

 3号店はホテルと直結したショッピングモール内だったが、ここでも困った事態に直面した。観光客のニーズに合うよう、夏場は夜11時まで営業していたのだが、ある時からホテル側のモールの出入り口が8時で閉められてしまい、当て込んでいた客の流れが減少してしまったのだ。ここでは2年で見切りを付けて店を閉めた。

 「私だったら、多少利益が落ち込んでも、『店をたたむのはみっともない、恥ずかしい』と損をするまではがんばったでしょうが、主人はペイしないと判断したら、 『かおり、やらないほうがいいよ』と言いましてね。そういう点は、カナダ人である主人に救われたところがあります。自分たちのビジネスだから自分たちが見極める、それでいいと」
 ある時期、売り上げが伸びず、スタッフに給料を払うと手元にほとんどお金が残らないこともあったという。「主人が学生だった時期、食費に充てられるお金が週に20ドルしかなかったこともあり、みじめだとか思うこともなかったですね」

小売店の閉鎖が危機回避につながった
 湾岸戦争、セプテンバーイレブン、SARSなどによって、観光客が激減し、関連業界が大きな打撃を受けたことは記憶に新しいが、そのときチーナはどうだったのだろうか。

 「一号店で5回目の立ち退きを迫られたのが2000年で、その後もすぐに開けるつもりだったのですが、希望する場所や広さ、手の届くレント料で営業できる場所が見つからず、やむを得ず開けられずにいたところに、セプテンバーイレブンの事件が起きたのです」

 高いリースを払う店舗をもっていなかったことで、かえって大きな打撃を受けずに済んだのである。

時代の変化で仕事が効率化
 技術の進歩は物事のやり方を変えていくが、チーナの仕事にもそうした時代の変化が反映している。

 「初めの頃はご利用いただいたお客様に送るダイレクトメール3万通の宛名書きを、友達6人に頼んで来てもらい、書いては貼り、書いては貼りとしていたんですよ。今でもその様子がまぶたに浮かびます。今は仕事自体がコンピュータ化して、お客様から注文を受けるのも、私がスタッフの人に連絡をするのもEメールでやり取りできるようになったので、ずいぶん楽になりました」

 宅配業者の利用も他社に先駆けて始めた。「『クール便』登場の何年も前、1980年頃からやり始め、その頃でも珍しかったぐらいです」

仕事と家庭と
 現在は長男のショーンさんがウェインさんの片腕となり、かおりさんの担当していた実務はスタッフへと委任されている。また小売店を持たなくなったことで時間に余裕ができた現在、かおりさんはボランティア活動も可能になった。だが創業当初はまだ3人の子供が小さく、店から自宅に戻っては子供の習いごとの送り迎えや夕食作りを行い、また閉店時間まで店に詰めるというハードな生活だったという。

 「一番下の子が毎日必ず店に電話をかけて、『マミー何時に帰ってくるの?』と聞くので、『7時には帰れるから、もうちょっと待っててね』などと答えるのですが、その後仕事が入っては遅くなることがたびたびでしたから、そのうち何時に帰るよと答えても、『マミーはうそばっかり』と言われましたね。この機会に30年を振り返って、はっと気が付いたことがあるんです。娘や息子は自分たちの家庭をとっても大事にしているんですが、それはわたしが子供たちにさびしい思いをさせたからに違いないと。今、娘の一人がエアラインの仕事で、家を空けることもあるので、15才になるその娘の子供が私たちと暮らし、私が学校への送り迎えをしていますが、これは以前、自分が子供たちにしてやれなかったことを、今代わりにしているような気持ちでいます」

 家庭の仕事にしても、ボランティアにしても、どれも周囲から声をかけられて始めたことだが、そうしたことにも常に主体的に全力で取り組む姿勢がチーナの歴史を裏から支えてきたのだろう。

皆さんのおかげで30周年
 最後にかおりさんからチーナの30年を振り返ってのメッセージをお伝えしよう。

 「やっと次世代に引き継いでもらえるような地盤が固められたかなという感じです。小泉元首相のお得意のワンフレーズ『上り坂あれば、下り坂あり、そしてまさかもある…』は国家を動かす方の言葉ですが、当方のようなちっぽけな企業もまさにその道だと思います。何があっても30年間やって来られたのはご愛顧くださったすべてのお客様、そして一緒に働いたスタッフや助けてくださった友人たちのお陰です。月並みな言葉でもなんでもありません、その通りなのです。心からの感謝以外ありません。これから世代交代がありましても、商品に対するプライドをもって間違いのないカナダの商品をご紹介できるように努めたいと思います」

 

(取材 平野香利)

 

リトンかおりさん
 チーナを夫のウェインさんと共に立ち上げる。企友会理事9年の間に副会長を数年、日本・カナダ商工会議所の設立時2年間の理事を務めたほか、現在は日系女性起業家協会(JWBA)事務局担当、日系女性の会「コスモス・セミナー」で主宰者の補佐としてコミュニティに貢献。

 趣味の世界では「冬のソナタ」のぺ・ヨンジュンさんの魅力から惹き付けられた韓国へこの秋3度目の旅行。「また行ってみたいと思わせる不思議な魅力があります」と興味は尽きない。

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