SPECIAL 2007

2007年10月18日 第42号 掲載


〜私のカナダ物語〜
しんぼう豆腐 永澤誠治さん


「しんぼう豆腐」を営む永澤誠治さん

豆の状態を見極めて、浸水時間を調整

 朝6時半、まだ日も昇らぬ前から永澤さんは工場に入って仕込みを始める。「一人でコツコツ作業をしているのがたまらなく楽しくてね」。気温や水温によって微妙に変わる豆の状態を見極めて、浸水時間を調整するのが、長年の経験による勘どころ。大豆の味をしっかり味わえるしんぼう豆腐のうまさの秘訣がここにある。

(取材 平野香利)

アルバイトが本職に

 創業者・新保さんの3代目の後継者である永澤誠治(ながさわせいじ)さんは、大阪で自動車販売会社に勤務していたが、たまたま目にした写真−バンフの大自然を背にガソリンスタンドで働く整備士の姿−に魅せられてカナダ移住を決めた。車の整備士の資格を手にしてカナダに渡ったのは1973年のことだ。移住後は整備工として働いた後に、独立して車の修理工場を創業したものの、経営は難航。永澤さんは自分の会社を回しながら、しんぼう豆腐へ働きに出た。

 当時のしんぼう豆腐の経営者が過労で倒れ、永澤さんに「後を継いでくれないか」と頼み込んだとき、「やってみようか」と思うまでには時間がかからなかった。

 
愛娘のように豆腐を世話して
 早朝の仕込みが進んできた8時頃、永澤さんの作業にスタッフが加わる。

 しばらく共に作業をして区切りがつくと、永澤さんは豆腐の配達へ。小売店で自社商品の陳列スペースに行き、古くなった豆腐を見つければ、たとえ賞味期限内でも新しいものと取り替える。また形が崩れていればそれも取り替える。「お客さんて、買おうかなと思って豆腐を手に取ってみては、ぽんと置くでしょ。ばっと雑に置いてしまう人がいるんですわ。それ見てたら辛い!せっかく一生懸命作ったものを雑に扱われるのは悲しいからね。反対に豆腐のきれいに並んでいる顔を見たら安心するわ」

 小売店に顔を出すのは毎日か二日おき。「だから休めない」。また、こうして子供の世話をするように手をかける永澤さんだから、商品は自分の目の届く範囲にしか卸さないという。

 *  *  * 

夫婦で仕事ずくめ、ロングホリデーなしで24年
 しんぼう豆腐を引き継いだ直後は、地域に日本食レストランが急増中で、自分から豆腐を売りにいかずとも口コミで広まり、豆腐の取り合いになるほどだった。当初の豆腐作りは奥様の富美子さんと二人だけでの作業。幼かった3人の子供のために夏場は工場の片隅にプールを出して遊ばせながら、夫妻は朝5時から夜中の12時、1時まで仕事ずくめの生活を送った。今も富美子さんは大事な片腕だ。「ホリデーもなくて、かわいそうとは思うけどね。戦力となってくれているから」。4時にスタッフが退社した後、永澤さんへの取材中も、冨美子さんは一人工場で作業を続けていた。

競合他社の進出にもマイペースで
 現在の工場への移転前は、とても小さなスペースで、すべてを手作業で作っていた。「大きな会社が日本から機械を買って大規模に豆腐作りを始めると聞いたときは、『もう潰されるかな』と思いましたけど、そのときは貧乏のどん底で、もう借金はできない感じやったからね。でも案ずるより産むが安しだったね。なんとかかんとかやっていけた。機械メーカーの人から聞いたことだけど、その大手豆腐メーカーから『しんぼう豆腐のクォリティをこの機械で出せるか』と質問されたってね。とはいえ、うちはほとんど手作りで、作り方がまったく違うからね」

理論と情熱で借金の名人に
 自分自身を「借金の名人」と永澤さんは言う。「毎日あまりに忙しくて、これでは体が先に壊れると思ってね。機械を購入するための融資を受けようと銀行に行ったけど、銀行のマネージャーがなかなか会ってくれなくてね。何かと理由を付けては『また来てください』なので、毎日行って、十日近く足を運んで、なんとか面会できたね。『機械なしでは生産が追いつかないんだ』と訴えたんだけど、あの当時うまいこと言わんかったね。今やったらもうちょっとうまいこと言うんやけどね。どういう風に話したらいいかって?それは、『自分にはプランがある』と言って、ビジネスプランを持っていって納得させること、そして自分の『燃える意志』を見せるんだね。こっちはもう必死だから、出任せ言うときもあるよ」

バイキンも寄り付けない気迫で
 カナダに移住後の34年間で永澤さんが風邪をひいたのは、たったの一度だけ。「ほんま『病は気から』やと思うわ。忙しくて風邪ひいておれないからね。会社の事務仕事を家に帰ってからやっていた時期は、胃潰瘍になって、事務を人に任せた時期も胃潰瘍になったけどね。3回胃潰瘍やってから、『嫌なことはしない、思わない』と決めましたわ。一日終わって寝るときは、『あー、今日は済んだ。また明日がんばろう』ってね。嫌なこともあるけど、どんなこともどうせ終わるんだから」

 こうして気持ちに区切りをつけるのが、ストレスを残さないコツと永澤さんは語る。「娘はね、子供に『おじいちゃんは体にバイキンいるから、バイキンが入ってこんのや』って言っていますけどね(笑)。寒いと思うから、寒く感じるわけ。肘が腱鞘炎で痛いけど、痛いと思うから余計に痛いんで。まだまだ使えるって言って使って、脳みそに痛くないって教えてやればいいんだよ」

幼子の笑顔がほっと一息に
 今は3人のお嬢さんも成長し、永澤さんには孫が3人いる。「『じい、じい』って言ってきてね。孫と遊んでいるときが一番だね。子供は悪いことしても悪いことしていると思ってないから、それを教えてあげるだけでいい。叱る必要はないんだよ。自分らも、子供たちには叱ってきたけどね。でも孫となったら違うものだね」

 以前はスタッフが仕事を上手にできないと叱っていたが、今は違うと言う。

 「いやいや作ったら美味しいものはできないからね。一人がハッピーじゃないとそれはみんなに移っていくし、いい商品はできないよ」

 跡継ぎのことはどうだろうか。「跡継ぎはいないね。売るか閉めるかどっちかでしょうね。自分の名前は永澤やけど、『しんぼうさん』で通ってるでしょ。もし『しんぼう豆腐』のままでビジネスを売って、次の人が質の良くない豆腐作ったら、『しんぼうさんどないしとんのや』って言われるから、そうなったらフジヤさんに買い物に行けないね」

 「毎日忙しいけど、辛いと思ったことはない。楽しいし、ラッキーと思うわ。何してもすべてが自分の責任だし、全部自分のしたい放題だからね。お店に行って、『しんぼうさんのとこしか買わへん』って言ってもらえたり、買ってもらえるってことは自分らの作った商品認めてくれてるってことだから嬉しいね。きっと動けなくなるまでリタイヤはないと思うわ」

 「もし仕事のオフができたら?」との問いには、「のんびりするよりも今ある工場の機械をすべてパーフェクトに直したい。ビデオなんか見ているよりも機械と遊んでいたいね。そして孫のために考えたおもちゃを作ってあげたいね。今は昔の自分が欲しかった機械が自分で作れる時代になったでしょ。ジャンク屋に行くと嬉しくなっちゃうんだよ」根っからの職人らしい言葉が返ってきた。

 

しんぼう豆腐 永澤誠治さん
大阪市出身。ブリキ工場を営む家庭でメカニック通に育った。1973年カナダ移住。自動車整備士の技術を生かして、自動車ディーラーや航空会社で勤務。創業した自動車整備工場を閉鎖し、83年より豆腐製造業を先代より引き継ぎ、今に至る。

SHINBO TOFU
604-325-9511
#20-954 S.W.Marine Dr. Vancouver