SPECIAL 2007
2007年10月18日 第42号 掲載
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![]() 講演中の岡本氏 |
![]() 耳を傾ける参加者 |
10月2日、BC州日加協会と在バンクーバー日本国総領事館の主催で、元外交官で国際問題アドバイザーの岡本行夫氏の講演会が開かれた。当日は小雨まじりのあいにくの天気だったが、外交官として日米安全保障、中東問題などに従事し、橋本、小泉両内閣で総理大臣補佐官として活躍してきた同氏から貴重な話が聞けるとあって、会場のコーストプラザホテルには多数の参加者が訪れた。
福田内閣が発足したばかりとあって、予定されていた内容に加えて、福田康夫首相が直面する課題についての講演となった。
福田内閣の課題
このほど就任した福田康夫首相は、小泉内閣で総理補佐官を務めていた際、内閣官房長官で直接の上司だった。そのため、ほぼ毎日、顔を合わせてきた。福田首相は優れた対外政策を持っていて、政治的に実現可能かどうかを判断する能力に優れている。また、公平な人で、個人的にも前の上司が首相に就任して嬉しい。
福田首相の第一の課題は、インド洋で現在、海上自衛隊が展開している給油活動を継続していくことだろう。
インド洋ではテロリズムに対抗して平和維持していくことを目的に、多国籍軍の艦船が海上阻止行動(MIO: Maritime Interdiction Operation)に従事している。カナダ軍をはじめ数カ国がこれらの艦船への給油活動に参加していて、自衛隊も補給艦、護衛艦を派遣している。
福田首相は日本が自衛隊を送り、多国籍軍と協力して活動していくことは重要だとの考えだ。自衛隊派遣計画は、当時の福田官房長官をリーダーにまとめたものだ。福田首相はテロリストへの対策であるMIOの継続を、推し進めていくだろう。
私は小泉内閣での対外関係タスクフォースで座長を務めたが、これは当時、官房長官だった福田首相が、当時の小泉首相に外交方針の助言を行うために立ち上げたものだ。講演会で配布したタスクフォースのエグゼクティブサマリーは、福田首相の考えが反映されているといってよいだろう。
エグゼクティブサマリーでは、人権擁護、急速に成長している中国、世界の中の日本経済などについて触れている。また、日本は国際平和維持・安全保障活動に参加していくべきだとしている。
福田首相は外交政策については、強い対立は避けようとする考えのようだ。その例として、靖国参拝は東アジア諸国をいたずらに刺激するもので、必要ないとの姿勢だ。
小泉元首相の改革が残したもの
次に、日本を大幅に改革して、日本経済の再編を行った小泉元首相について話そう。
1980年代、日本経済は極めて強力で、北米を侵略すると警戒されるほどだった。それが1990年代後半になると陰りが見え始め、2000年には経済後退が明らかになり、世界の目は日本ではなく中国を向いていた。
小泉内閣が発足した2001年9月、経済誌『The Economist』では、「Japan for Sale」というタイトルが表紙を飾り、日本経済の不況は深刻だった。しかし、小泉元首相が就任してから顕著に回復。2002年以降、GDP成長率は非常に高く、また消費者心理が好転したことで、個人消費も伸びている。民間設備投資がマイナスからプラスに転換したことが日本経済の牽引役となった。特に製造業が好調だ。
小泉元首相は金融再編も行った。その結果、長期にわたりマイナスだった銀行貸出残高が、二年前にプラスになった。小泉登場後、日経平均株価も上昇している。
これらは元首相の努力の賜物だ。改革はすばらしい成果をあげ、日本は長いトンネルを抜けることができた。
旧来の社会障壁を打ち破るために必要であったとはいえ、小泉元首相の改革はおそらくあまりにも強力で、スピードが速すぎたのだろう。次に総理大臣に就任した安倍前首相は、その後処理を行うことになった。
安倍前首相の辞任については、参議院選挙での敗北、年金問題、閣僚不祥事をはじめ、さまざまな理由が挙げられている。後処理というのは、小泉内閣における経済回復、つまり自民党の成功に対するものだ。
規制緩和の断行により格差が拡大した。大企業は軒並み収益を増やしているが、中小企業の業況はあまりよくない。都市間でも同じで、景気が良いのは東京、大阪、愛知、神奈川、宮城の大都市圏で、地方との差がひろがっている。選挙での自民党の敗北は、小泉改革でこれまで自民党の基盤だった地方や中小企業の現在の状況を反映したものだ。
自民党議員はこれまでとは違う基盤を構築しなければならないし、新しいイメージを作り上げる必要がある。これらが、福田首相の大きな課題となるだろう。
福田政権は多数の課題を抱えてはいるが、『フォーチュン』誌の世界の五〇〇社に日本の企業が多数、仲間入りしている。日本は高齢化社会の問題が深刻だと言われているが、障害者や高齢者も運転できる先進安全車や、介護を行うケアロボットの開発が進んでいる。日本経済の先行きは明るく、私は心配していない。
アジアの安定に重要な日中関係
次に日中関係についてだが、新しい首相の下、新政権がどのような外交政策をとっていくかを考える時、過去を振り返る必要もあるだろう。
太平洋戦争で激戦が繰り広げられた硫黄島には現在、海上自衛隊の基地があるだけだ。クリント・イーストウッド監督は、米国から硫黄島の戦いをみた、秀作映画『父親たちの星条旗』を製作。続く『硫黄島からの手紙』により、同じ戦いを敗者の視点からも描いている。
硫黄島防衛で日本側の栗林中将が用いた戦術は今までにない、型破りなものだったが、米国が兵力、物資ともにはるかに勝っていた。『父親たちの星条旗』では、主人公は硫黄島について語ろうとはしない。硫黄島の戦いは解放ではなかったからだ。太平洋戦争での多くの戦いは、日本軍が占拠していた地域で行われたが、硫黄島は日本領土の占拠だ。
敗者にとって、負けた戦いについて語るのは一層難しい。第二次世界大戦で撮られた写真の多くは米軍によるものだ。敗者は戦争のことを忘れたい。
しかし、日本は戦争を始めたことについて詫びる必要がある。また、間違った戦争であって、戦争を始めた動機はよくなかったことを認めている。ただし、戦争で家族を失った日本兵の遺族は、自分の家族は国のために死んでいったのだから、無意味に死んだと言われるべきではない。
戦争の指導者は間違っていた。しかし、個々の兵士は侵略していたとは思っていなかった。特に戦争末期は米軍が日本本土を空襲し、日本兵は日本を守るために戦っていた。
実際、占領された硫黄島は基地となり、米軍の日本本土への空襲の中継に用いられている。米軍の爆撃により、ほぼ日本全体が焦土となり、多くの民間人が犠牲となった。そのため、大半の日本人にとって太平洋戦争のイメージは日本の破壊がイメージとなっていて、終末の恐怖が記憶に残っている。
太平洋戦争は真珠湾攻撃があった1941年に始まったことになっている。しかし、実際は大陸での戦争の余波で、それから10年さかのぼると考える。大陸での戦争は1931年9月に満州を占領することで始まっていた。その後、戦いは中国全土に広がり、上海占領、国民党の首都、南京攻略と続いた。
太平洋戦争は1941年から1945年までの四年間だが、中国人にとっては、戦争は1931年から1945年まで、そして日本は一方的な侵略者で加害者だった。中国に侵攻した日本が加害者、中国は被害者という図は否定できない。
一九七二年に日中国交正常化が行われたが、いまなお、特に中国の若い世代の中で、日本への敵意や反感が存在する。「我々(日本と中国)は話ができるか?」と聞かれると答えは「イエス」だ。しかし、それは簡単ではない。
安倍前首相は二国間の対話、首脳会談を再開した。福田首相も継続して、対話を拡大していくと思われる。そのため、政府間の関係については心配していない。
過去50年程の間に、被害者数などについて両国間に論争が生まれた。中国では子供たちに日本軍は2000万人を殺害したと教えられる。数字について争うのは意味がない。日本軍が多くの人を殺害したことは確かだ。しかし、中国は子供を刺激するような教育をすることはやめるべきだ。一方、日本はもっと戦争について教えていくべきだ。
15年、20年と、時間はかかるかもしれないが、若い世代の間で対話を再開するという望みはある。そして、それがアジアの安定につながる。
(取材 西川桂子)
| 岡本行夫氏プロフィール | |
国際問題アドバイザー・岡本アソシエイツ代表。 68年一橋大学経済学部を卒業し、外務省入省。ワシントン日本大使館参事官、北米第一課長などを歴任。91年退官、岡本アソシエイツ設立。橋本内閣と小泉内閣で二回にわたり総理大臣補佐官を務める。企業へのアドバイスや執筆、講演、さらにテレビコメンテーターと幅広く活躍している。 |
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