SPECIAL 2007
2007年10月11日 第41号 掲載
![]() マンガのコンテや作品を紹介しながら通訳付きで講義が行われた |
![]() 1971年の作品『ナイーダ』を紹介する竹宮先生。この頃、青や緑の髪の毛が流行だったに |
![]() UBCのエッジントン教授 も竹宮ファン (UBCブックストアーにて) |
去る9月21日、UBCロブソンスクエア・キャンパスにて『日本文化におけるマンガの役割』と題する講演会が開かれ、UBCの学生や一般参加者を対象に、講義が行われた。尚、巡回少女マンガ展でバンクーバーを訪れていたカリフォルニア州立大学美術教育学科准教授、徳雅美先生も加わり、テンポのある話し振りで、マンガの基本構造、日本のマンガ市場、全米のアニメブームなどについて英語で解説した。
(以下は講演内容からの抜粋)
竹宮惠子先生
『少女マンガ界へのチャレンジ』
少女マンガの主人公
私がマンガ家になる前の、少女マンガというものは、他者から規定されて評価される女の子の姿しかありませんでした。人から好かれる少女というのを、少女自身が追い求めていました。大きな瞳、華やかにカールしたまつ毛。長くゆたかな髪。カールしていれば尚いい。口は小さく上品で、あまり大きく開けない。その頃私が描いていたのは、現実的で地味なタイプの絵柄でした。私は自分の意に沿わない、華やかな恋やボーイフレンドに選ばれる成功物語を描こうとは思いませんでした。それで、主人公が大きく冒険してくれなければ、社会を変えていくような力を持ったマンガを創る事は出来ない、と思っていました。
少女が描けず、スランプへ
少女をうまく描く事が出来ず、私はスランプに陥ってしまいました。少年を主人公にすれば、自分の出来ない事が出来るような気がしました。そこには少年の仮面をつけた自分がいたのかもしれません。この頃少しずつウーマンリブの動きがありましたが、日本にはまだ到達していない様でした。3年間低迷しつつ、昔追い求めた手塚治虫、石ノ森章太郎のラインにもう一度帰る、それしか自分を取り戻す方法はありませんでした。
創作の幅を広げる為に
ようやくスランプ期が終わった1973年に、コメディーとしてマフィアのものを描きました。人を恨むというマイナス感情を入れる事は、少女マンガの中でまだあまりありませんでしたので「不快な思いをした」という手紙ももらいました。私自身は創作の幅を広げる為に、子供を対象とした話作りをあえて放棄しました。青年誌では物語の範囲が広がりを見せ、作家として敏感にならざるを得ませんでした。少女マンガ界では、女性特有の事情をクローズアップした『乙女チック』というジャンルが花開いた時代でした。
描きたいものだけを描く
少年達を描くというスタンスをはっきり決め『ファラオの墓』(1974―1976)では、少年マンガにない視野の広さを示し、情感の部分には少女マンガの表現法を混ぜ合わせて、別の表現形態になったと思います。もう周りを見て他の人と劣っていると考える事はなくなり、描きたいものだけを描くようになりました。自分の中を探検するような楽しみがあり、マンガを描く事がうれしくなっていました。この頃は女性のエベレスト登頂や、ヨットレースでの太平洋横断、女性のフルマラソンなどが社会で報じられました。
少年愛を描き、運命が変わった
私の運命を変えた作品『風と木の詩』(1976―1984)は、少年愛を扱ったという事で、大変センセーショナルに扱われました。ここからボーイズラブというジャンルが生まれ、同人誌としても広がりました。知らない間に、女性がモノを言える時代に変わってきていました。この頃『風の谷のナウシカ』など、少年マンガに少女の主人公が現れ始め、歌謡曲では、女性が大胆な振る舞いをする歌詞が表れました。
性に縛られる事からの解放
この頃創刊された雑誌『ボーイズラブ』は、少女にとってのホモセクシャルの本で、少女からもっとも遠い所に主人公を置いて、セックスというものを学んだものだと思っています。『風と木の詩』は、結婚以外の愛の姿を少女達に教え、性に縛られる事から少女達を解放するという目的がありました。時代はその入口まで来ていました。すでに性というものが、女性にとって楽しみの域に達しているのかもしれないと思いました。
男女の性の差を越えて
『イズァローン伝説』(1982―1987)では、人間はプロトタイプで、ある年齢を超えてから男女に分かれていくという設定になっています。これもひとつのトランスジェンダーかと思います。女性であれ男性であれ、私にとって描くのに差はなくなっていました。それは私自身が性の差というのを、あまり感じなくなっていたからだと思います。世間もそういう意味で、垣根が取り払われていった頃かと思います。
少年性が自分の中に溶け込んでいった
2000年から大学でマンガを教えるようになり、2001年以降は、毎年2回の個展でしか描く事が出来ません。ただ描いていてはっきりした事は、私にとって女性を描く事がすごく身近になってきていて、今はそれが楽しくなった事です。少年性というものが自分の中に溶け込んでいって、それが輝きとして絵の中に出てくるようになったと思います。
マンガがどんな風に私自身を変えてきたかという事、どんな風に世間と関わり、影響してきたかという事をお話し出来たかと思います。
英語版『地球(テラ)へ…』全3巻発売中。
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藤本由香里先生
『少女マンガ界におけるトランスジェンダーについて』
トランスジェンダーの作品
日本の少女マンガの中で、特異な発展を示してきているトランスジェンダーの作品についてダイジェストでご紹介したいと思います。
まず男装の少女。『リボンの騎士』が第一号で『ベルサイユのばら』のアンドレもそうです。男でなければ得られない社会的地位や役割の為に男装をするけれども、好きな人の前では女でいたいというモチーフがあり、これは今に至るまで引き継がれています。
70年代の初めから玉三郎の人気が高まり、女装少年も登場します。何といっても百花繚乱の作品を生んだのは、竹宮惠子さんら『24年組』の作品から始まった少年愛を描いた作品群であると思います。80年代末くらいからは『やおい』(山なし、オチなし、意味なし)と呼ばれるパロディーが展開されます。人気のある少年マンガのキャラクター同士が同性愛関係にある、というふうなパロディーを作って遊ぶものです。90年代半ば以降には『ボーイズラブ』という商業ジャンルが出来て、北米でも英語でシリーズが出版されています。
女性が好む男同士の性愛
なぜ少女達が男同士の性愛を描いたマンガや小説を好むのか。女性達は男性同士の性愛の中に、自分の好むジェンダーの絶妙なブレンド具合とふたりの関係による化学変化を楽しんでいるように思われます。女性が女性である事から自由になって、性という問題を自由に扱う事が出来るという道を開いた事は、大きいと思います。初期の頃は、女性である事の抑圧やトラウマから表現を求めると言われましたが、むしろ今はただ楽しいからやる、という人が増えてきているようです。『やおい』が既存の人気作品のキャラクターを使って、しかもそれを攻めと受けのパターンに当てはめるというある種のマニュアル化の上に成り立っているという事が大きいと思います。
明るいレズビアンが描かれ始めた
女性同士の性愛は、ある時期まで作品の数も少なく、しかもどちらかが死ぬという悲劇的なラストが多かったんです。でも90年代に入って、明るいレズビアンが描かれます。それは女性が男性に選ばれるという事によって初めて自己肯定でき、社会のパスポートが得られるという、それまでの構造から自由になった過程と期を一にしています。今一番売れている少女マンガは、ふたりの対照的な女性の、恋人を越える強い結びつきを描いているという事にも、それが端的に表れます。
世界中の女性達が参加し始めた少女マンガというメディアは、無限の可能性を秘めています。それは抑圧されて私達に権利を、という戦い方ではなく、常にオルタナティブなイメージを提供し続ける戦わないフェミニズムであるといえます。それを理解していただければ幸いです。
(取材 ルイーズ阿久沢)
![]() 竹宮惠子先生(中央)藤本由香里先生(右)徳雅美先生(左) |
藤本由香里(ふじもと ゆかり):1959年、熊本県生まれ。東京大学教養学科を卒業。筑摩書房編集者。マンガ評論家。大学講師。手塚治虫文化賞審査員、講談社漫画賞選考委員、文化庁メディア芸術祭マンガ部門審査員などを歴任。『私の居場所はどこにあるの?』他、著書多数。 |