SPECIAL 2007
2007年10月4日 第40号 掲載
![]() エネルギッシュな小玉さん。そのパワーはきっとおじいさま譲りなのであろう |
![]() 「田村ハウス」の前で、新納基久氏とともに |
![]() 弊社を訪問した小玉さん。社主の津田佐江子、同行した在バンクーバー日本領事館の川口修一副領事総領事館員とともに |
1900年代初頭にバンクーバーで貿易商として活躍した田村新吉氏。貿易商のみならず、日系人のコミュニティのために尽力した人物でもある。その田村氏の孫にあたるオーストラリア、パース在住の小玉静子さんが、このたびバンクーバーを訪れた。
きっかけとなったのは、2002年9月26日付の本紙の記事。祖父である田村新吉氏の功績をたたえてその名前をビルに冠し「田村ハウス」と命名したニュースを伝える記事を読み、「ぜひ自分の身体が動くうちにバンクーバーに赴き、祖父の件でお世話になった方々に謝意を伝えたい」と船旅の最後にバンクーバーに寄ることを思いついた。早速、小玉さんはオーストラリアの在パース日本総領事館に連絡をとり、その記事に載っていた小沢総領事の名を頼りに、「まだ小沢総領事はいらっしゃいますか」と問い合わせた。
「本当に親切な対応をしてくださって、涙が出るくらいうれしかったです」
その後、すぐに在パース日本総領事館から在バンクーバー日本領事館に連絡が入り、ここから海を越えてのふたつの総領事館の連携プレーが始まった。というのも、実は小玉静子さんは御歳83歳。高齢の身で、ひとりバンクーバーで、祖父の足跡をさがすのは心細いものである。だからこそ、今回の訪問にあたり、この2カ国の総領事館の協力は心強かったようだ。
バンクーバー到着の翌日の9月10日、在バンクーバー日本国総領事公邸において、大塚聖一在バンクーバー日本国総領事と面会。続いて、同じく田村氏の孫にあたる原アーサーさんと60年ぶりの対面を果たした。午後からは弊社を訪れ、5年前の記事を片手に、祖父との思い出話やパースでの生活の様子を語った。
小玉さんがパースに住み始めたのは68歳のとき。2回癌を患ったりしながらも、現在も元気にゴルフを楽しむ。今回の船旅でもコペンハーゲン、ノルウェー、アイスランド、グリーンランド、ニューヨークなどを回るなど、好奇心いっぱいの人生だ。「周りからは祖父によく似ている、血を受け継いでいると言われます」と笑う。
「祖父からはかわいがってもらった思い出ばかり。祖父の足跡を知れば知るほど、その孫に生まれたことを誇りに思っています」
田村氏が亡くなったとき、小玉さんは小学6年生。家族が見守る中、息をひきとる前、『みなさんお世話になりました。ありがとうございました』と言い残して亡くなる姿を今でも克明に憶えている。
「今日はこんないいお天気で、祖父や父母、叔母たちもきっと喜んでいると思います」
その後、小玉さんは、引き続き領事館員の付き添いのもと、バンクーバー日本語学校を訪れた。日本語学校では、理事の新納基久氏から祖父の詳しい足跡の説明を受け、ともに「田村ハウス」を訪れ、翌11日に無事パースへの帰途についた。
(取材 西澤律子)
| 《田村新吉氏足跡》 | |
![]() 晩年の田村新吉氏 |
![]() 左から田村氏の長女(小玉さんの母)、田村氏、長男、田村氏の妻、三女、二女 |
参考文献:Nikkei Legacy: The story of Japanese Canadians from Settlement to Today, by Toko Tanaka; NC Press Limited 1983 |
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