SPECIAL 2007

2007年9月27日 第39号 掲載


人生は楽しい学びの場 
化学者落合栄一さんの風任せ人生哲学


 バンクーバー在住の化学者の落合栄一郎さん。化学の中でも生物無機化学というなにやら難しそうな分野のパイオニアである。東大出身、書いた本はハーバードやプリンストン大学の大学院の教科書にもなっているスゴイ方なのであるが、本人にお会いしてみるとなんともさわやかで謙虚。いきいきとした表情でまさにポジティブオーラ全開なのである。そんな落合さんのこれまでの人生とは・・・。

日本以外のところにも人生があり得るんだ!
 生まれも育ちも東京。実家は大きな商店を営んでいたが、戦争で全部焼け、それを境に一家は貧乏のどん底に突き落とされた。そんな中、化学を志した理由が、「腹が減った。じゃあ、どうしたら増産できるか?」という発想からだったというのが面白い。中学生の時は、代用教員の先生の大学の教科書を借りて勉強した。

 「教科書なんて買うお金がなかったので、全部ノートに書き写してました。ノートをとったら、鉛筆で書いたところを全部消して、また最初から使って。今の子供達が聞いたら驚くでしょうね。これも貧乏の成せる技。モノがなくても『やろう』と思えば、いろんなことができるものなんですね」

 貧乏で苦労した高校時代、校長にかけあって授業料を免除してもらった。その後は、家から一番近いということで東大へ進学。オープンマインドな素晴らしい先生との出逢いがあり、「行きたいところがあれば行ってこい」と背中を押され、東大の工学部の助手となった卒業後、博士研究員として2年間、オハイオ州立大学へ。そこで長男が生まれる。

 日本に帰国した1968年、日本は折りしも大学紛争の真っ只中。助手という立場で、学生と教授のどちらのいい点、悪い点もわかるゆえの板挟み状態に陥る。それでも、「自分の利益のために下を使う」といったような上層部の古い体質、教授達の意識や体制に反感を覚え、なんと落合さんは東大に1年で見切りをつけてしまう。

 「一度外に出てみるといろんなものが見えてきたんでしょうね。『日本以外のところにも人生があり得るんだ』と」

 これが人生で一番のターニングポイントだったという。

日本人は家族だけ
 そんな落合さんが家族とともに日本を飛び出して向かった先はUBCだった。アメリカはビザの関係で入れず、日本に近く、友達もいるバンクーバーを選んだのだった。

 UBCでは1980年まで教え、さらなる可能性を求め、次に向かったのはアメリカのペンシルバニア州のジュニアータ大学。アパラチア山脈の真ん中にある人口8000人という田舎町にあった。日本人は落合ファミリーのみ。ここで24年を過ごす。大学も小さく、教師と学生の割合が1対13というアットホームな雰囲気の中、個人的なつながりも生まれた。

 「少人数教育で徹底的にやれるところが気に入ったんです。待遇面で言えば、もっといいところもあったのでしょうが、なにしろ人間関係や雰囲気がよかった」

 当時教えている中で感じたのは、「アメリカの学生たちは、他の国の文化を知らない」ということ。それではと大学では他文化(インドやイスラムなど)を学ぶことを必須にし、落合さんは「日本と西欧の文化の比較」という科目を作り、日本などの文化も教えようと、化学を教えるかたわら、自らが担当する。

 「アメリカの中における日本人の代表というつもりで、日本にいるときよりも勉強しましたね。おかげで日本のいいところも悪いところも客観的に見られるようになりました」

学ぶことはもともと楽しいこと
 落合一家は、毎年夏になると、カナディアンロッキーにテントを持って出かけた。

 「子供は好奇心のかたまり。『あれ何だろう?』としょっちゅう聞いてきます。そういう問いに対して、子供といっしょに考え、子供なりの考えを引き出させる。完璧な答えを出すことが大切じゃなくて、そういうことをいっしょに考える親の姿勢が子供の探求心を育てるんじゃないかと思います。簡単に得られるエンターテインメントで簡単に満足させてしまってはもったいない」

 勉強の目的もいい学校やいい会社に入ることでない、学ぶことは楽しいことのはず、と落合さんは考える。何かを知る、何かを学ぶ、というのはもともと楽しいことだと。だから、『勉強=しんどい』というのは違う。

 「学ぶ楽しさがわかれば、受験勉強なんて必要なくなる。私は、『勉強しなさい』と言われたこともなければ、子供にも言ったこともありません。人間の頭脳というのは、とても可能性に満ちています。能力を使うことは素敵な遊び、人間の基本的な喜びのひとつだと思います」

残りの人生は社会貢献を
 アメリカの大学を退職したのち、2005年7月から再びバンクーバーへ。人生三部作の仕上げとして、現在は来年夏出版予定の『Bioinorganic Chemistry』(生物無機化学、この分野に関する著書の3冊目)の仕上げに忙しい毎日だ。

 「リタイアした人間はしがらみがない。残りの人生は、化学の本を書き上げて、社会貢献をしたい」

 現在の世界のさまざまな問題は化学者にも責任があると落合さんは考える。金のために良心が麻痺してしまったアメリカの軍事産業における化学者たち。彼らは生活のために、専攻したサイエンスを活用しているだけ。例えば、自分の作ったものが、大量に効率よく人を殺す目的に使われるなどということには目をつぶる。日本のサリン事件における科学者の役割は、洗脳されたために、自分のやっていることが社会的にどのような結果をもたらすことには無頓着(むしろ社会変革には必要と信じたのでしょう)。

 「麻原についていった若い化学者たちは、モノ、モノ、モノと物質社会に毒された社会によりどころを探している若者たちなんでしょうね」

 全人類の将来を少しでもいい方向に変えていきたい、戦争で物事を解決しないで話し合いで解決していく世界に向けて何かしたいと、バンクーバーにおける『憲法9条を守る会』で会長を務める落合さん。海外の組織としてはバンクーバーがはじめてである。映画の上映、講演会、署名活動などをはじめ、パウエル祭においても、広島市から寄贈してもらった写真パネルの展示、日本が昔中国や韓国にやってきたことを紹介するなどの活動をしている。

 趣味は歌。2つのクワイヤーに所属し、年に十数回コンサートにも参加する。

 「化学をやっていると実験室に閉じこもったり、ものを書いたりして座っていることが多い。だから私にとって歌は最高の気晴らしなんです。子供の頃から学生時代も今もずっと歌っています」

 音大で学んでいた奥様の勝子さんとも合唱を通して出逢った縁だ。

 「これまでの人生、振り返って悔いはありません。計画的に進めてきたわけではなく、行き当たりばったりの風任せといった感じですが。というのは、人生なかなか計画通りに行くものではないし、計画通りの人生なんてつまらないと思いますよ。行きあたりばったりでも、そのなかでできるだけの努力をしていればよいでしょう」

 そうからっとした笑顔で微笑む落合さん。柔らかさ、強さ、正義感に満ちた魅力あふれる生きざまに引き込まれっぱなしの記者であった。


(取材 西澤律子)

プロフィール:落合栄一郎さん
 1936年東京生まれ。工学博士。カナダ・ブリテイッシュコロンビア大、トロント大、スウェーデンウメオ大などで化学の研究と教授に従事し、米国メリーランド大、ペンシルバニア州のジュニアータ大で研究/教育歴25年。ジュニアータ大では、化学を教えるかたわら、「日本と西欧の文化の比較」という科目も担当。
 
 2005年退職後は、バンクーバーで、「憲法9条を守る会・VSA9」など平和運動、持続可能性に関する運動に関与。主な著書に、「Bioinorganic Chemistry-An Introduction」(Allyn and Bacon, Boston, 1977), 「General Principles of Biochemistry of the Elements」(Plenum Press, New York, 1987)がある。