SPECIAL 2007
2007年9月27日 第39号 掲載
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去る7月6日に、古稀を迎えた作家の桐島洋子さん。毎年、1年の約5分の1を過ごすバンクーバーでの生活も、もうすぐ20年。そんな桐島さんに、これまでの人生を振り返ってのあんなことやこんなこと、そしてこれからの人生展開をざっくばらんに語ってもらった。軽快な語り口から飛び出す言葉の数々は、聞けば聞くほど痛快で、そして味わい深い。
それでは今後3回にわたって、めくるめくYoko Kirishima Worldへみなさんをお連れいたします!
(先週からの続き)
これから日本で始めようとされている森羅塾の一番の目的はなんですか?
塾といっても人にものを教える偉そうなことではないのね。今、知識なんてものはインターネットや本とかいろんなところで得ることができる。それよりもむしろ、人が出逢って、ゆっくりと膝つき合わせてお話ができるパーティの場を作りたいのね。ただ他愛なく集まるのでなく、人と人が目的やテーマを持って出逢う場所を作りたい。一回こっきり噂話をして終わるのでなく、お互いの話を深めていくような現代の梁山泊みたいな場所をつくりたい。
ほかにも、友達の中に普通の主婦だった人たちで、こんなに有能な人がこの能力をこのままお墓まで持っていくのはもったいないという人達がたくさんいるわけですよ。そういう人達がお料理やマナーなど生活者としての技を伝える場をつくりたい。だから塾といっても、もちろん私も講義をするわけだけど、それだけでなく、そういう人達の場を提供したいんですね。ボランティアに毛が生えたくらいでお金にはあまりならないかもしれないけれど、場があるだけでうれしい人もいるじゃない。
おもしろそうですね。具体的にどういうような内容になりそうですか?
一応、芯になるのは私の人生の『千夜一夜物語』です。私の人生を10年ずつくらいに分けて、1カ月に1回、自分自身の個人史だけでなく、日本史や世界史、いろんなものを重ね合わせて2時間くらいゆっくりお話をして、さらに1時間くらいそこに来ている人達の個人史もそこで語ってもらいたいわね。上海時代のアマに作ってもらったなつかしいおそばなんかを再現して食べてもらうなど、ちょっとした軽食付きで。それから、アンチでなくプロエイジング、つまりポジティブな年の重ね方を考える講座も自然健康食付きで月1回。それからはうちのこども達にもお礼奉公してもらって、桐島かれんのアンティーク講座とか、桐島ローランドの写真講座、桐島ノエルのヨガ・アロマテラピー講座など、ほかにも有名無名の人々に登場願って。まぁ借りた家の家賃分くらい入ってくればいいかなと。
他にも手紙講座なんかもやりたいわね。私の人生は手紙で拓けて来たし。そんな感じで1年に12回の講座に加えて、臨時の講座をいっぱい持ちたいですね。自宅でやるわけなので、会員制にして1回につき20人以内くらいでと今のところ考えています。現在、その家を探しているところです。
それから出張もしようと思うのね。東京でスタートする前に奈良でも手を挙げてくれた方がいて、そこのおうちでこの10月に3、4日くらいやることになってるんです。そういう意味で全国あちこち出てくるといいですね。この間バンクーバーに来られた大阪市立大学の井上正康先生が自分の研究室を開放して、阿倍野適塾というのをやって人を集めていらっしゃるんだけど、その大阪の適塾と東京の森羅塾とバンクーバーの林住塾と三都物語にしようって言ってるんですよ。
そうやって塾から素敵な輪が広がっていくといいですね。
ええ、人間が集まることで気が回るわけね。アメリカの先住民はシェアリングといって、よく輪になってお話をしたり、手をつないで瞑想するのだけど、輪が大きければ大きいほど、どんどん気が回り始めるんですよ。みんなの気がどんどん回って増幅していくようなところがあってね。気ってのはたくさんの人が集まるといいらしいのね。たくさんといっても一部屋に入るような感じで。そういうインディアンのシェアリングみたいなことを私はしたいのね。輪になって、恥も外聞もなく思いの丈を喋って、みんなが聞く。喋るだけで心が晴れるというか。やっぱり言いたいことを言うってことはとてもいいのね。ヒーリングになるんですよ。
なかなか日本人ってのは本音を言わない。私なんかも自分の悩みをあまり人には語ったりしないタチだし、人の悩みを聞くのも嫌いだったんだけど、インディアンのシェアリングの輪に入るとなんとなくできちゃうし、人の悩みを聞くのも嫌じゃなくなるのね。本当に親身になって聞きたくなるんですよ。自分のことみたいに、「そうか、そうなんだ」と考えたりするのね。
アメリカンインディアンの人達から受けた影響は結構大きいようですね。
ええ、先住民の人達には素晴らしい人がたくさんいますよ。とてもスピリチュアルだし。彼らはここら辺に被膜があって、被膜の向こうに先祖の人達がひしめいているのをひしひしと感じるらしいのね。「おじいちゃん、おばあちゃんはちょっとあっちに行っちゃったけど」っていうようなそんな感覚で生きてるみたい。お天気に関しても彼らの祈りの力って相当効くわね。彼らの祈りで雨が降り出したってのを何度も見たわ。祈りってのは天気まで左右できるのね。
ということは、人間は誰でもそういう力がもともとあったということですよね。
ええ、昔は医者もいないのに治してた時もあったわけだし。われわれは文明ができたおかげで、車ができると歩かなくなったり、本来あった能力がどんどん体外化しちゃって、中身は空っぽになっちゃったんだけど、それをとりもどそうと思えばできないことはない。そういう力をまだ持っている人が多いのね、先住民の人達は。
なるほど。ところで人生より楽しく生きるコツってなんだと思いますか?
肩の力を抜くことですね。私は自分の才能は力を抜くのがうまいことだと思ってます。力を抜くと本当にいろんなことがうまくいくのよ。力んでがっと身構えていると、どうもうまくいかないのね、さっき言った気の巡りと同じで。なんか物事がうまく進まないというか巡りが悪い。それと、余計な欲があっちゃだめね。「生きているだけで万々歳」って感じでいろんなものを手放した方がいいのよ。
桐島さんはあまり物事に執着がなさそうなんですが、いかがでしょう?
ええ、ないですね。こどもにもあまりしないし、夫にもしなかったし(笑)、お金にもあまりしないしね。この家には執着というより愛着があって、いろんな人に愉しんでほしいと思ってるし。独占欲があまりないわね、そう言えば。
昔から力を抜くのがうまかったんですか?
ええ、こどもの頃から力を抜くのはうまかったのよ。小さい頃、葉山の海で毎日のように泳いでいると大きな波が来るんですよ。初めのうちは、波がこわいから来ると逃げたり、身構えたりするんだけど、どんなに逃げようが、身構えようが、波に打ちのめされて海岸に叩きつけられてくやしい思いをするわけ。ある日、あまりにも大きい波が早く近づいてきて、「もうこれはだめだ、逃げようがない」とあきらめて、ふっとからだの力を抜いたのね。そしたらその波が急に私をふわっとやさしく抱き上げ、抱き下ろしてくれて。「ああ、そうか。力を抜いてお任せすればいいんだ」ってその時気がついたんですよ。それ以来、どんな波が来てもいっさい逃げもせず、構えもせず力を抜くクセがついたのね。それでからだの力を抜くのがうまくなって、いつでも抜こうと思ったら、すっと抜けるんですよ。だから、そういうクセが波だけでなくて、あらゆることに通用することがわかってきて。
だから例えば私は、人生で人からみたらすごい危ない冒険をして、おそらく他の人はそういうとき私はさぞかしまなじりを決して「やるぞ!」という感じでがんばっているように思われるけど、そうじゃなくて、そういう時ほど私は力を抜くのよ。ふっと力を抜いて、「勝手にしろ。なるようになれ。ケセラセラ」って。そうするとすっと物事はうまくいくんですよ。そういう感じだから今まで人生なんとかうまく生きて来られたんだと思います。いつもまなじり決してがんばってたら、きっと失敗してたと思う。お任せするとどうも神様は良きに計らってくださるみたいよ。私は人を信じるというより、大自然を、宇宙を信じてるといった感じです。
じゃあ、もう桐島さんには怖いものなんてないんでしょうね。
実はいくつかあるのよ。私は昔スパイに憧れていたから、嫌いなものを言ったら、捕まって拷問を受けたとき、嫌いなあれを出されたら困る、弱点は喋ったらいけないと思ってたんだけど、今だから言うわ。長いものが駄目なんです。特にヘビと足長蜘蛛。そのふたつが出てきたら、どんな秘密でも喋っちゃう。誰でも裏切るわ(笑)。
(取材 西澤律子)