SPECIAL 2007

2007年9月13日 第37号 掲載


Happy Seventy!!
 桐島洋子さんに訊きたい23のこと



たくさんのお仲間に囲まれて古希のお祝い
(写真撮影 ケイコ・アイ)

 去る7月6日に、古稀を迎えた作家の桐島洋子さん。毎年、1年の約5分の1を過ごすバンクーバーでの生活も、もうすぐ20年。そんな桐島さんに、これまでの人生を振り返ってのあんなことやこんなこと、そしてこれからの人生展開をざっくばらんに語ってもらった。軽快な語り口から飛び出す言葉の数々は、聞けば聞くほど痛快で、そして味わい深い。

それでは今後3回にわたって、めくるめくYoko Kirishima Worldへみなさんをお連れいたします!

このたび、バンクーバーで古稀を迎えられていかがですか?
 本当に身に余ると言いますか、私ゴルフもしないのに、超高級ゴルフ場に60人もの大勢の人々が集まってくださって、「えっ、何事?」というくらいびっくりしました。あんなに豪勢にたくさんの人達が私ごときのために来てくださって申し訳なかったのですが、結構みなさんも楽しんでくださったようでほっとしました。会場からの眺めもすばらしくて、とても気持ちがよかったです。

日本で迎えられていたら、また違ったものになっていたでしょうか?
 そうですね。私、還暦もバンクーバーだったんです。バンクーバーでそういう節目を迎えるようにできているみたいよ。私は自分にとってのふるさとがいくつかあるわけね。物心ついたのが上海。少女時代育ったのは葉山。40代を迎える前に生命の大洗濯をしたのがイーストハンプトン。その3つの土地の要素をここは全部を持っている街なんですよ。東洋と西洋が混ざり合った上海の国際性、山もあって海もあってという葉山の豊かで穏やかな自然、イーストハンプトンもそうですよね。だから私にとってなつかしいものが全部あるこのバンクーバーが、私の本拠地になっちゃったという感じですね。

バンクーバーに住み始めたのはいつ頃ですか?
 この家を買ったのは確か89年。もうボロボロの家だったのね。みなさん、「こんな所は壊して立て直しなさい」とおっしゃったんだけど、でも私と同い年の家だというのがわかって、同い年の家をポンコツにして壊してしまうのはなんかくやしいじゃない。かなりの時間とお金がかかるだろうけど、なんとかここを改装して住めるようにしたいと思ったんです。

 それともうひとつ。ここは昔、大家さんがUBCの学生に貸していて、若者達が大勢で割拠し部屋の中を自転車で駆け回るようなすごい暮らし方をしていたのね。だから絨毯もボロボロ、ドロドロ。その絨毯の端がめくれてたの。つまずいて転びかけたので、くやしいからめくれたところを蹴っ飛ばしたら、その下に今どきなかなかできないような立派なハードウッドのフローリングが見えるじゃない。しかも端っこのほうに、1920年代のアールデコの特徴である寄せ木細工も施されていて驚きました。それで、「こりゃすごい、なんとか生かさなきゃ。これは潰せないわ」とゆっくりと気長に建て直す決心をしたんです。

 おかげでここは気の巡りのいい家で、神を嘉する街の中で祝福されているという感じで、泥棒や嵐などの被害にも遭わないし。家はそろそろガタがきてるんだけど、まあ、私と同い年の家ですから、しょうがないじゃない。バブルで随分値上がりしたから、東京で高い家賃に苦労するよりここを売っぱらってと考えないわけじゃなかったんだけど、あんなつまんないマンションとこの景色を引き替えにするのはもったいない、となんとかがんばれる限りはがんばろうと思ってるんですよ。

89年、そもそもバンクーバーに住もうと思ったのはなぜですか?
 あれだけ世界中ほとんどの国をまわっていながら、50歳までカナダには一度も来たことがなかったのね。私、体育会系が苦手なんだけど、カナダってまさに体育会系で、図体ばっかり大きくって総身に知恵が回りかねるといった感じで興味がなかったの。それが何かの弾みで来てみたら、程よく自然と文化が溶け合っていて、意外に素敵じゃない。人々も優しいし、生活も洒落ているし。ありゃ、こりゃいいわと思ったの。

 当時東京はバブルの頃。私が借りていた家は大家さんがそこを売りたくなって、追い出しにかかっていたのね。そこで追い出されちゃったら行く場がなかったわけよ。家は高くて買えないし、家具とか本があるから小さなマンションじゃ暮らせないし。東京は無理だから、日本中講演なんかでまわるたびに、「この辺はどうだろう」と見て歩いたんだけど、その頃は日本中高かったのね。「私はとても家なんて持てないわ」なんてうなだれながらカナダに来たところだったのよ。

 それでバンクーバーのホテルに泊まっていたら、夜中のテレビで不動産情報の番組があって、それを見るともなしに見ていたら、日本ではとんでもないような値段で豪邸が次々にあらわれて、「これだったら私でもカナダで家が買えるかも!」と思ったわけ。で、早速翌日から家を見て歩く中、新聞広告でちょっと面白い屋根の格好している家があったので見に行ったの。外から家を見たあと、ちょっとちょっとと裏に回ったら、海と森と山と街、すべてが見えてすごい景色じゃない。ジャーン!て感じで。特に私は海が好きだから、「これだー!」と即座に決心して衝動買いしちゃったんですよね。運命的出逢いね、あれも。一目惚れですね。一目惚れが裏切られなかったってことですね。

これまでの人生を振り返って感じるものはどんなことでしょうか?
 70歳って昔は古来稀だっていうことだったけど、今は誰でもなれるから珍しくもないわよね。私は物書きとして先輩なんかを見てたって、人生50年どころか、啄木みたいに26歳までしか生きない人もいるし、漱石だって50歳で死んだし、松尾芭蕉でさえ、どんなじいさまかと思いきや50でしょ。だから考えてみたら私もいたずらに馬齢を重ねたら、あの人達の何分の1の仕事もしてないのにと内心忸怩たるものがありますけどね、まぁその代わり、私生活では結構いろいろ面白いことしたから(笑)。 そりゃ、つらいこともたくさんあったけど、私嫌なことはすぐ忘れちゃうほう。おもしろいこと、楽しかったことだけを憶えている主義だから。まぁ悪くない人生だったと思いますよ。相当密度が高かったと思うわね。

桐島さんにとって一番のターニングポイントは何でしたか?
 この間、なんかの弾みで人生を俯瞰してみたら、だいたい9年ごとに小さな節目があって27年おきに大きなターニングポイントが来ていることがわかってきたの。まず、9歳で終戦。18歳で高校を卒業し文藝春秋に入社。27歳でかれんが生まれたでしょ。そういう感じで9年ごとにいろいろ来るわけよ。本格的にカナダに住み始めたのが54歳の頃。その27年後にあたる81歳まで今から70代をしっかりと生きて森羅塾という小さな寺子屋を創る。81歳が来たらすっかり引退して、バンクーバーか日本かわからないけど、瞑想や気功などに耽るスピリチュアルな老後を過ごしたいのね。

 こんなふうに俯瞰してみると、なんとなくゾワッと見えてくるものってあるのよ。自分の人生の年表みたいなものを作ってみると、ふわっと浮き上がってくるものがありますね。次の節目は2年後の72歳なんだけど、いろんな占い師が私はもう1回誰かと会うと言うんで、その時かもしれないわね(笑)。

前世はネイティブカナディアンの酋長の娘だったという桐島さんですが、よばれてカナダに来たのかもしれませんね。
 ええ、本当に、カナダにはただ偶然でなく、来るべくして来たという気がしますね。さっきも言ったようにいろんな要素が全部あるわけだし、私がまさに自然志向になり始めてきた時、ここへ来たわけだから。

 私、本当に昔は完璧なシティーガールとばかり思っていたんだけど、考えてみたらその前に葉山でターザンみたいに育ったおかげで本当に自然の子になったのね。あと、40歳になった時イーストハンプトンに行って、美しい自然の中でふっと本卦還りしたの。「私は自然の子なんだ。やっぱり私はこういうところにいるべきだ」と思ったんだけど、その時は家住期(かじゅうき)真っ最中だから日本に帰んなきゃいけなかった。だけどいつか子供たちを育て終わったら、絶対自然のもとへ戻ってこようと思ったのよ。

 50歳で子育てが全部終わって、子育て卒業大旅行をしたんだけど、その時インドで人生を4つの季節に住み分ける「四住期の思想」に出逢ったのね。若い青年期が学生期(がくしょうき)、壮年期が家住期(かじゅうき)、自然の中で人生を静かにみつめる林住期(りんじゅうき)。そこでよく熟れた人生の果実を味わい尽くすと、あとは心残りなく淡々と枯れ尽くして非常にすがすがしい冬を迎えられるわけ。それが遊行期(ゆぎょうき)ね。私はかれんを産んだことで家住期に入ったわけだし、54歳でまさに家も落ち着いてバンクーバーで林住期に入った。そう思うと本当にぴったり合ってる。

次週につづく。

(取材 西澤律子)