SPECIAL 2007

2007年8月30日 第35号 掲載


「平和のために何か役に立てれば」
ブリティッシュ・コロンビア大学大学院生 
東大作さん 〜前編〜


東大作さん。UBCキャンパス内で

 現在ブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)大学院博士号課程で、ポリティカル・サイエンス(政治学)を研究している東大作さんは、バンクーバーに来る前、NHKの番組制作ディレクターとしてドキュメンタリー番組などを手がけていた。

 NHK時代に制作した番組は、社会問題、国際紛争などを取り上げたものが多かった。無情に襲いかかる事件や紛争の狭間で、苦しみ、闘う人たちを何度となく取材した。そして、そこにはいつも『平和への思い』が込められていた。UBCでの研究もそこに繋がっている。

NHKで制作した番組の数々を して
 制作した番組では、国際紛争や北朝鮮核問題など戦争や平和を考える問題を数多く取り上げた。

 1997年6月、ベトナム戦争当時のアメリカ側指導者マクナマラ国防長官と、北ベトナム側最高司令官ボー・グエン・ザップ氏が当時の関係者を集めて、ハノイで会談を行った。戦争が終わって30年経ち『どうしてこういう戦争をしてしまったのか』、『どうすれば戦争を回避できたのか、途中でやめることができたのか』ということがテーマだった。

 1998年、この時の対談の録音テープと 真を独占的に入手し、さらに当事者たちのインタビューにも成功して『我々はなぜ戦争をしたのか』を制作、NHKスペシャルとして放送した。その後、さらにテレビで放映できなかった部分も加え、同タイトルの本を出版。番組、本ともに、多くの新聞や国会で取り上げられるなど大きな反響があった。

 2002年、パレスチナとイスラエルに3カ月間滞在、テロと攻撃の連鎖のなかでイスラエル人とパレスチナ人がどれほど苦しんでいるのかを取材した『憎しみの連鎖はどこまで続くか〜パレスチナとイスラエル〜』を制作。同年NHKスペシャルで放送した。

 2003年、北朝鮮の核問題を『韓国』がどのようにして解決しようとしているのかを、韓国に3カ月間滞在して取材。韓国外交を担う2人の閣僚、ユン・ヨングアン外交 商相とチョン・セヒョン統一相に密着した。同年8月『核危機回避への苦闘〜韓国・米朝のはざまで〜』としてNHKスペシャルで放送された。

 2004年、アメリカと国連の間で、『イラクの戦後復興をどうするのか』をテーマに激しい攻防が繰り広げられる様子を、ニューヨークで3カ月間密着取材。同年4月『イラク復興 国連の苦闘』としてNHKスペシャルで放送した。

 「こうした取材、番組制作を続ける中で、将来、平和構築という分野の専門家になって、現場の国連政務官、もしくは研究者として、戦争を回避する方法、再び戦争に戻さない方法を提言するような仕事に就きたいと思うようになりました」

番組企画の核は
『誰かの役に立てるかどうか』
 学生時代は経済学部だったが、第三世界の貧困問題などをテーマに調査・研究をしたいと思っていた。1年間のアメリカ留学から帰国後、NHKに入社。「最初から南北問題、貧困問題、環境問題などに興味があることは言っていたので、比較的スムーズに報道番組の所属になりました。政治番組班になったのは非常に偶然でしたけど」と振り返る。

 NHKに入社してから、番組の企画は常に提出し続けていたと話す。自分の好きな仕事ができるかどうかは自分の企画が るかどうかにかかっていた。企画を すためには、テーマを決め、どの程度撮影ができるか交渉して見 しを立てる、といった準備が必要となる。

 企画を提案する時は、「自分としては、これを作ることによって、誰かの役に立てるかどうかを、常に考えていました」。戦争をテーマに扱った番組を作る時、ただ『いかに悲惨か』を主張するだけではなく、『一体どうすればそこから一歩でも二歩でもよい方向に進むのか』ということを念頭に置いた取材、番組制作を心がけた。

現地と視聴者をつなぐメディアという役割
 「日本人にとっては、やはり非常に遠い問題なんです。北朝鮮の核問題にしても、イラク戦争の問題にしても」と今を伝える難しさを語る。日本のような平和な暮らしと、世界のどこかで戦争が起こっているという現実とのギャップを埋め、どのように視聴者に伝えるかは、メディアにいる者として最大の難問だった。

 「日本人にとって戦争とは、すごく遠い国の問題か、すごく昔の問題という感じがあって、今の問題として考えるのが非常に難しい、リンクしないんです」。そこをいかに乗り越えるかが難しかった。

 例えば北朝鮮の核問題。「あの国で戦争が起これば、直接日本にも影響があるわけですから、すごく身近なはずです。それでも日本人にはそれほど危機感がない。しかし韓国の人たちにとってはとても切実な問題でした」。取材を してそれがヒシヒシと伝わってきたという。

 「限界というものはあると思います。でも少しでも身近な問題として捉えてもらうように伝えたいという思いで、番組を制作していました」

視聴者の反応を実感
 「テレビというのはおもしろくて」と切り出した。普段は番組を放送しても視聴者からの反応が直接すぐには伝わってこないことが多い。それでも折に触れその反応を体感する時があるという。

 「イラク問題につ いての報道をした後でした」。番組についての電話応対をしていた時、引きこもりの子供達を預かる施設を運営する人が話してくれたことが印象に残っている。

 「あの番組の中で国連の代表が語った『国連がイラク人に対してこうすべきだ、ああすべきだと絶対に言ってはいけない。あくまでもイラクの人たちが何をしたいかであって、我々はそれを手助けするのが仕事だ』という言葉を聞いて、とても感銘を受けました。自分が接する親たちにも伝えてあげたいので、もう一度その言葉を教えて欲しい」

 バンクーバーに来てからも、番組を見た、影響を受けた、という人に何人か出会ったという。「こうして直接何かを感じてくれる人がいることはうれしいと思いましたね」

 報道という手段によって視聴者の心のどこかに触れるということが、作り手にとって最も報われる瞬間かもしれない。

『あの悲劇を二度と繰り返さない』
 両親は広島出身で、2人とも被爆者。しかし、広島の原爆をテーマにした番組は一度も制作しなかった。被爆者というテーマで直接関係したのは福岡放送局に勤務していた時に取材した、長崎の被爆者に対する心的外傷後ストレス障害(PTSD)の調査だった。「それが唯一ですね」と言う。

 興味がないのではない。ベトナム戦争後の両責任者の対談番組制作にしても、イラク戦争を扱うにしても、そして今政治学という分野を研究していることも、すべては広島で起きたような惨事を、いかに繰り返さなくてすむか、なくすことができるのかという問題意識につながっているという。「だからすべてが関係していると言えると思います」

 祖父や両親の影響も大きい。「子供の頃から、いろいろな話を聞いて育ってきたので、関心は高かったです。あの時のことを今にどう生かすかは、永遠の課題ですね」

 だから、現在研究対象としている『平和構築』という分野を じて、「自分がそのためになにか役に立てれば」と言う。「少しきざな言い方ですけど」と照れながら、「自分の場合は、すべての原点はそこにあると思います」と語った。


後半に続く


(取材 三島直美)