SPECIAL 2007

2007年8月16日 第33号 掲載


私のカナダ物語 『地について生きる』
〜メインアイランドで見つけたNew Life〜
角敦夫さん・文子さん


敦夫さんと文子さん。敦夫さんのサロンに飾ってあるこの絵は文子さんの版画

出来たてサラダを持って。うしろには美しいイングリッシュガーデンが広がる
(撮影Yukiko Onley)

Tojo's の東條英員さんも角さんのオーガニック野菜に惚れ込んだひとり。お店でも食材として使っている

撮影Yukiko Onley

 「16歳のときから日本を出たいと思っていました。僕みたいな型にはまらない生き方は日本ではたたかれる。今も客商売してますが、人付き合いは上手ではございません」

 ストレートにそう語るのは、バンクーバーのダウンタウンでヘアサロンを営む角敦夫さん。1970年、22歳で単身、鹿児島からバンクーバーへ。2年後、旅行に来ていた文子さんと出逢い、半年で結婚。文子さんは、現在グランビルアイランドのスタジオで版画アーティストとして活動中。バンクーバーに住んでもうすぐ37年の2人に話を聞いた。


 角敦夫さん・文子さんの二人が週末、島で過ごすようになって3年になる。バンクーバーで週4日、12時間びっしり働き、木曜の夜から日曜の夕方までを島で過ごす。島というのは、ガルフ諸島のひとつ、メインアイランドのこと。ここにオーガニックファームと家を持つ。畑にいると作業に熱中し、時間を忘れてしまう敦夫さん。食事を作り「ごはんですよー」と何度呼んでも家に帰って来ない敦夫さんに、しまいにはとうとう「おっさーん、何やってんだー 何べん呼べばいいんだー!」と叫ぶ文子さんの声が響き渡る。「隣近所の人たちが日本語がわからなくてよかったです」と苦笑いをする敦夫さん。掛け合い漫才のような二人の会話になんと相性の良いご夫婦だろうと思っていたら「結婚生活36年、そのうち20年がdisaster(災害)だった」と語る。16年前に何があったのだろう。

突然やって来たターニングポイント
 それは敦夫さんがある日見た、仕事場の鏡に映る自分の姿。驚いたことにそれは自分が死ぬ姿だった。まさに天と地がひっくり返るような瞬間である。それまでは、仕事を通して成功を収めればいい、物質的に何不自由ない生活ができればいい、それがいい生き方だと思ってきたのが、その日突然ひっくり返った。

 「これまでの人生、ただがむしゃらに考えることなく突っ走ってきて、これじゃあ、何のために生きているのかなと。何を今自分は一番しなくてはならないか。それは子供だ、家族だと思ったんです」

 それまでは仕事一本、家に帰っても酒を飲み、子供のことなど目に入ってなかった。

 「振り返ってみると、これまでの人生、あのコーナー、あのコーナー、せっかく与えられていたチャンスを壊していたのは自分だったんです」。うまくいかないことに憤ってみたところで、怒りは破壊につながり、何も生まれないことに気づいた。「弱者に対する思いやりなんてない非人間的な生き方でした。自分よがりであったばかりに気づかずにいたことがなんと多かったことか。あぁ、まだ死ぬわけにはいかない。5年くれ。やり直したいこと、やらなくてはいけないことがある。雷に打たれたように40を過ぎてようやくそう気づいたんです」

 ちょうどそれは文子さんのお父さんが亡くなられた時期と重なる。「敦夫さん、このままじゃだめですよ」という無口な教師であった文子さんのお父さんからのメッセージだったのではないかと感じた。それからはポジティブな生き方がいかに大事かと知り、子供たちに食事を作ったり、文子さんに対しても自然に謝る言葉が出てきた。なにか自分の知らない力に突き動かされている気がした。「この経験がなかったらメインアイランドに行ってなかったでしょう」と敦夫さんが言うと、「このとき変わってなければ、一緒に行こうと考えなかったでしょう」と文子さん。「男の人が方向性を示さないと家族というものはおかしくなります。ここまでやって来られたのは奥さんが忍耐強かったから。メインアイランドに自分の場所を見つけ、ようやく自分が自分になった気がします」

心に生まれた初めての安らぎ

 あと1、2年後にはバンクーバーでの生活にピリオドを打ち、メインアイランドに完全に移り住む敦夫さんと文子さん。長年親しんで来たバンクーバーを離れ、メインアイランドに住もうと思ったいきさつとは?

 「昔、バンクーバーはとってものどかな街でした。治安もよく、隣近所のつき合いも自然にできた。70年代はスコティッシュのパン屋があり、ロブソンにもジャーマンの店があった。そんなバンクーバーの街もここ30年で激しく変わった。人も建物もどんどん増え、ここで暮らすのが少しずつ億劫になって来たんです。でも世の中の流れとして、それは避けられないこと。じゃあ、どこかでスローな生活がしたいと選んだのがメインアイランドでした」

 ナショナルパークのレンジャーをしている娘さんとガルフ諸島を見て回ろうとして、最初に行ったメインアイランドのこの土地をいっぺんで気に入ってしまった。家の前の持ち主は80歳を過ぎた身体の不自由なイギリス人夫婦。庭はジャングルと化しており、見るなり後ずさりした文子さん。その日は結局中には一歩も入らないほどひどかった。ところがなんと敦夫さんは、その日のうちにこの家を買う決心をしてしまう。自分の生まれ育った故郷、鹿児島の田舎に近いものを感じ、ここで農業をやろうと思いついたとき、心の中に安らぎが生まれたのだ。屋根もキッチンもバスルームも手を加え、庭も自分たちで作り直した。

 「今までは忙しさの連続だったから、人生を静かに振り返りましょう、なんて最初はスローライフのつもりだったのに、この人、昼寝なんてしたことがないんです」という文子さんに、「畑作りがとにかく楽しくて没頭して時間を忘れてしまう。あら、もうウィークエンドが終わったという感じ」と敦夫さん。

畑づくりから学んだこと

 畑づくりをするようになっていろんなことが見えるようになってきたと敦夫さんは語る。「植物は時間があってはじめて育つ。ワンシーズンから1年のスパンで見なければならない。いくらあせっても時期が来ないと大きくならない」

 最初の年はほうれん草もほとんど芽が出ず、ニンジンやダイコンも肥やしをやってすぐ種を蒔いても育たなかった。その中で学んだのは土作りの大切さ。骨や内臓など魚のカス、鶏糞、油カス、海草などを土と混ぜる。窒素が多すぎると葉だけが大きくなり、実は小さい。雨が続くと石灰を混ぜ、中和させる。そんな試行錯誤を繰り返す中、大切なのはバランスであることを土作りが教えてくれた。魚カスや鶏糞を使うリサイクルからもむだなものはないと学んだ。

 今畑で育てているのは、ダイコン、ゴボウ、ニンジン、ビーツ、ジャガイモ、ビーン、ピー、ニンニク、レタス、キャベツ、ルバーブ、ズッキーニ、カブ、ピーマン、シシトウ、ナス、カボチャ、ブロッコリー、カリフラワー、スイートコーン、シソ、キュウリ、ラッキョウ、スイカ、ほうれん草、枝豆、水菜、小松菜、野沢菜、高菜、葱、山芋・・・と野菜だけでもざっと30種類を超える。失敗を重ねつつ、本から自分で勉強した。

 「幼い頃、田舎で食べていた本当の味を自分で作りたいんです。野菜作りは虫はいるし、手も汚れるけど、作業自体がピースフル。自分が手をかけたものが形となって味となって現れ、喜んでもらえる。思いをこめればちゃんと応えてくれる。今応えてくれなくても、小さな種が次の年の春に大きなキャベツになる。だからこそ今を大切にしたいと思える。自分の畑で採れたものをすぐに食べる喜びは何ものにも代え難いですね」

 化学肥料や農薬を使わない有機野菜は虫も付く。土が付き、虫が食った野菜をきれいじゃないから買わない、ととかく私たちは敬遠しがちだ。

 「林檎も落っこちる間際のものを食べるとなんとも甘い。自然の恵みの糖分が人間の細胞を活性化させるんです。自然の中でできた栄養分ですね。スーパーで並んでいるものは甘みが出るまでに採ってしまう。この年になれば健康ということを一番に考えるようになった。もっとみなさんに野菜を食べて健康になってほしいですね。小さな庭でも大丈夫。水菜やレタスから挑戦してみてはいかがでしょうか」

この人生自体を共有していきたい

 畑に負けず、なんともすばらしいのが庭。薔薇、あじさい、百合、睡蓮などさまざまな花が咲き誇るみごとなイングリッシュガーデンは、いつまでもいたくなる心地よい空間だ。花づくりを担当する文子さんは「最初は何が植わっているのかもわからなかった。把握できるまで3年かかりました」と言う。敦夫さんが畑、庭は文子さんと分担している。毎週木曜になると「あぁ、帰れる」と思う敦夫さんと文子さん。二人にとって、メインアイランドはすでに帰る場所となっている。雨の日も冬の寒い日も、日本にいるとき以外は毎週欠かさず、ここで過ごす。「冬は冬でやることがあるんです。草木の剪定に畑の土の掘り起こし、グリーンハウスを作ったり」

 メインアイランドの住人は約1000人。リタイヤ組でナチュラル志向の人が多い。両隣の人たちともすぐに友達になり、交流を深めている。

 日本を離れて37年、今ようやく自分の良さが見えて来た。生まれた鹿児島の田舎がいかにすばらしいかということも畑作りを通して再発見できた。農耕民族として原点にもどった思いだと言う敦夫さん。

 「前はふわふわと生きていた。今は地について生きるといった感じです。コンプレックスもうぬぼれもなく、生活できればいい、そう思っています。金儲けに走るのでなく、この人生自体を人々とシェアできたらいいなと思います」 まっすぐなまなざしでそう語る敦夫さんの隣で文子さんがおだやかに微笑む。


(取材 西澤律子)