SPECIAL 2007

2007年7月19日 第29号 掲載


国境を越えた友情
54年の文通相手との念願の初対面を実現
−鈴木幸子さん−


長男がいろいろと気遣って準備してくれたと語る鈴木幸子さん


初めて顔を合わせた幸子さんとドリスさん


旅に同行し、案内と通訳を勤めた村松牧師(中央)、姉の久江さん(写真右)

 2007年7月3日、ハリファックスの空港でペンパルのドリスさんと娘のリンダさんが幸子さん一行を出迎えた。幸子さんの「死ぬまでにどうしても一度、ドリスさんに会ってみたい」という長年の夢がついにかなったのだ。

 最初にノバ・スコシア州ケントビルのドリス・パスレさん(当時14歳)から静岡県浜松市の鈴木幸子さん(当時16歳)に手紙が届いたのは1954年のこと。当時は国際文通のブーム期。仲介になったのは国際ペンフレンド協会だった。

 「文通すると英語が上達するからと、中学の先生から勧められましてね。中学3年のときから年に2、3回、手紙を出すようになりました」。英和と和英の辞書を引き引き、学校で習った構文を使って英文を綴った。それから今までの54年、結婚、出産、子育て、仕事、日常のさまざまな喜びや苦労を二人は手紙で分かち合ってきた。顔こそ合わせたことはないものの、まるで幼なじみのような関係を続けてきたのだ。

 幸子さんの「ドリスさんに一目会いたい」との思いが生まれたのは必然だったが、海外旅行の経験のない幸子さんにとって、勝手のわからぬ土地へ個人で出て行くことだけでも至難の技だった。その高いハードルを越える手伝いをして、ドリスさんに引き合わせてくれたのは、当地の村松勝三(むらまつかつみ)牧師だった。

 記者はケントビルから帰ったばかりの幸子さんと村松牧師に話を伺った。

ドリスさんに会いに行こうと思ったきっかけは?
幸子さん:主人の退職後に夫婦でカナダに行こうと考えていましたが、主人が肝臓ガンで他界し、その機会を失ってしまいました。私はこれまで飛行機に乗ったことも、海外に行ったこともありません。しかし、54年の付き合いになる友人(海江田久代さん・愛知県豊橋在住)の弟である村松勝三牧師がバンクーバーに住んでいるとあって、村松牧師が日本の礼拝に参加された折に、「私をカナダに連れて行ってください」と相談しました。

村松牧師:その話を聞いたときは、文通相手はこの辺りの人だろうと思っていたら、よりによってノバ・スコシアで、それもハリファックスの空港からまだ200キロも先の町だと知って、これは無理だと思いました。

 でも幸子さんが「死んでも行く」と言うじゃないですか。それならばとお手伝いすることにしました。

ドリスさんと会われていかがでしたか?

幸子さん:初めてなのに、初対面の感じがしませんでしたし、家族全員が温かく迎えてくれました。

 お互いずっと家族の写真を送り続けて、いろんな出来事も伝えあったおかげですね。娘のリンダさんは小さいときから私の贈る日本のチョコレートを楽しみにしていたそうです。リンダさんはドリスさん以上に興奮して、私達が空港に着く前から涙ぐんで待っていてくださいました。会ってみてわかったのは、ドリスさんの背丈や手の大きさが私とまるで同じだったことです。不思議でしたね。ドリスさん以外の家族はみんな長身なんですよ。

村松牧師:
「サチコが来ているから今日のお母さん(ドリスさん)は日頃の何倍も元気だ」と息子さんたちが言っていましたね。家族の人たちは、幸子さんと対面できたことや50年以上も文通が続いてきたことを、「incredable!incredable! (信じられない)」と何度も言っていました。地元紙『The Chronicle Herald』 の記者が取材に来ていて「どうしてこんなに文通が続いたんだ」と聞いてこられた際、私は「二人ともまめな人だから」と言いたかったのですが、どうも英語でしっくりする言葉が出てこない。いろいろ言ってみたなかで、私が 「industrious (勤勉)」と言ったときに、記者とドリスさんが、「そうですね!」と何度もうなずいていたのが印象的でした。

幸子さん:
文通し始めの頃、ドリスさんに「以前にペンパルだったオーストラリアの人は長続きしなかった。あなたはそんなことのないように」と釘を刺されましてね。それで日本人は駄目な人間と言われちゃいかんと思いました。私という人間でも、外国に対しては日本の代表の一人で、国際親善の架け橋となるんだとこれまで思ってきました。彼女は友情に厚い人ですし、人種や民族の違いの隔たりを感じさせない人で、私が「自分の書く英語が間違っているかも知れない」と書いたときには、「私はあなたの英語がよく理解できるから大丈夫」と返信してくれてほっとしました。

 彼女が辛い時期に、2年ほど手紙が来なかったですが、それでも自分からは止めちゃいけないと思っていましたね。私は書くのに10日もかかりますから、子育ての忙しい時期など本当に大変でした。それでも続けたおかげで英語が維持できて、今は中学生の孫たちに英語を教えているんですよ。

ドリスさんの居住地・ケントビルはどんなところですか?

村松牧師:ケントビルはフランスからの移民(アカーディアン)がカナダで初めて定住した場所だそうです。一度、イギリス軍に追放されて、アメリカのミズリー州に逃げたのですが、またケントビルに戻ってきた人たちのなかにドリスさんの親族もいらしたといいます。そうしたアカーディアンの歴史を地元の資料館で展示していましたね。


ケントビルを見渡す高台で
















こちらはドリスさんからの手紙ですね。
幸子さん:はい、ドリスさんから最初にもらった手紙です。字がきれいでしょう?彼女が仕事を探し歩いたとき、字のきれいさを買われて銀行に職を得たというのは納得できます。彼女は家族のことでいろんな苦労をしていますが、わたしと境遇が似ていて、共感し合えたことも文通が継続できた理由だと思います。


1954年9月23日と書かれたドリスさんからの最初の手紙
















 彼女は、私から送った写真やカードをすべてきれいにアルバムに整理されていました。今回訪問にあたって、何をプレゼントしようかと考えていたら、息子が「お母さんは書道の先生なんだから、書を贈ったらいい」と言うので、扇子に「友情感謝」の文字を書いてドリスさんに、そして親戚の方たちには聖書の言葉を書いて贈りました。

村松牧師:
せっかく海外へ来るのに、たったの十日しかカナダに滞在しないというのも、書道の生徒さんが38人もいるからだそうです。

幸子さん:
今年の五月末に肺炎と気管支炎で8日間入院しまして、そんな後の海外行きでしたから、書道の生徒の親御さんたちにとても驚かれました。私は手術に縁のある人生で、8回も受けていますが、それでも元気なのは医学のおかげ。そして書の生徒には小学1年生から77才までの人たちがいますが、みんなが新しい情報を私にもってきてくれるおかげで元気なのだと思います。

ドリスさんとの別れ際にどんな話をされましたか?

幸子さん:「手が動き、頭が冴えている限りは手紙を書きますね」と私が言いましたら、彼女は「フォーエバー」と言ってくれました。

村松牧師:すべてが質素でしたが、ドリスさんたちはとても心のこもったおもてなしをしてくださいましたね。

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 旅の疲れも見せず、元気に報告をしてくれた幸子さんと村松牧師。一緒に旅をした村松牧師の姉、久代さんも「(この旅は)良かった以上に良かった」と形容しがたい喜びを語ってくれた。幸子さんとドリスさんの54年の月日を重ねた国際交流は、今後ますます強い絆となって続いていきそうだ。


(取材 平野香利)