SPECIAL 2007
2007年3月8日 第10号 掲載
![]() カナダ開教区本部にて 不二川往来さん |
北米で100以上、カナダ全土で16の寺院を持つ浄土真宗本願寺派。カナダの仏教会を統括する任に当たっているのが不二川往来(ふじかわ・おうらい)さんである。1968年に渡加以来、カナダ各地での開教使(※プロフィール欄参照)を務め、2003年までの8年間はバンクーバー仏教会で教えを広めてきた。大らかで気さくな人柄から、「オーライ先生」と呼ばれ親しまれている不二川さんに、私たちの日常に仏教の教えはどのように生かせるのか、そんな探求心を持って話を伺った。
仏教というと、穏やかな心を持つための教えという印象を受けますが、不二川さんご自身は、感情が高ぶったときにどのように対処されているのですか?
気分転換に風呂に入ったり、ゴルフをしたりと、時間をおけば解決していきます。
念仏を唱えたり、瞑想したりということではないのですね。
宗教もいいですけど、宗教に凝ってしまうのもよろしくないですね。「自分の宗教が一番」と思うところから、宗教戦争になってしまうわけですから。
浄土真宗の教え自体、ああしろこうしろというものではありません。よく政治的な事柄への意見を求められますが、例えば中絶の問題など、ある宗教では「絶対に認めない」といった姿勢を持っていますが、浄土真宗では「あなたが考えなさい」と言います。側の人が決めることではない。物事の善悪は道徳の問題で、選択するのは自分、そのうえで責任を持っていきなさいということです。
ある宗教では、酒ばかりか「コカコーラを飲んではいけない」といった規則までありますが、そうなると一人一人は自分の頭で考えなくてもいい。仏教は規則がなく、ある意味自由ですが、「念仏ができるような生活をしなさい」と言います。酒を飲んで念仏ができるなら酒を飲んだらいい、結婚してできるなら結婚したらいい、百姓しながらできるなら百姓をと。
柔軟な教えなのですね。宗教間の違いといえば、勧誘活動にも違いがあるように思いますが、その点はいかがですか?
ドアをたたいて勧誘する宗教に対して、こちらは「来るまで待とう」という宗風があります。人が増えたら良いというものではない、そういった宗風です。
不二川さんご自身はもともとお寺の家のお生まれですが、まっすぐその世界で生きていこうと思われたのですか?
私は三男で、長男が跡を継ぐことが決まっていましたが、私が高校生の頃など、よく法要の手伝いをさせられてお経を読んでいました。大学を出るまではそれが嫌だったのですが、大変元気だった父が1日のうちに他界してしまいました。そのとき「自分には一日一日しかないんだ。今日の一日しかないのかも知れない」と無常を痛感しました。同時に、自分は人生を無駄にしているんじゃないかと思い、仏教大学に入り直したのです。父の歩いた道を歩けば親の元に行けるという思いもありました。
そこから開教使へはどのようにつながっていったのですか?
大学には米国から日系三世の人が10名ほど留学生として来ていましてね。大変愉快な人たちで、私も英語が好きだったので一緒に遊んでいました。その彼らが仏教を一生懸命勉強している姿に、「どうして?」という疑問がわきました。彼らはカリフォルニアに帰って開教使の任に着くために日本で学んでいたのです。私も彼らの仲間にと、アメリカを目指したところ、定員の関係でカナダに来ることになりました。
モントリオールやハミルトン、マニトバなど、いくつもの土地を開教使として経験されていかがでしたか?
環境は厳しいものでしたが、これも慣れの問題ですね。家の中は暖かいですし。ただ説教するとなると、英語で準備するために2週間は前から始めないといけない。原稿を書いても、人に伝えるには棒読みではいけないからと何度も口に出して練習しました。本番では質問も出てきますから大変でした。
話は変わりますが、本願寺で出されているカレンダーは人々に環境浄化を促すような内容ですね。
環境問題といえば、「もったいない」という言葉は仏教用語です。それに関してこんな笑い話があります。日系三世のお坊さんが、やはり日系三世の家庭に出かけて、亡くなったおばあさんのためにお経を上げて、そのお宅でご飯をごちそうになったときのことです。食事が終わり、食べ残した物をテーブルから冷蔵庫へ運ぶときに、普段は英語ばかりを話すお孫さんたちが「もったいない、もったいない」と言っていたそうです。仏教的な日本語を話すのでお坊さんが感心して、お孫さんたちに伝えたところ、「死んだおばあちゃんが冷蔵庫に物をしまうときに『もったいない、もったいない』と言っていたので、冷蔵庫に入れることを日本語でそう言うのだと思った」と言ったそうです。
最近日本では、この「もったいない」という言葉に外国の人が感動を受けて、またリバイバルのように流行っているそうですね。ところでこの「もったいない」の「もったい(勿体)」は、物の価値を意味します。ご飯は食べることで体の滋養とするために作りますが、捨ててしまっては、その物の価値がなくなってしまう。だからもったいないと言うんですね。
もったいないということは、人の生き方についても言えるでしょう。犬猫ではなく、せっかく人間に生まれてきたのだから、食べて寝てではもったいない。仏教では、本当に生きるとはどういうことかを教えています。また、それだけでなく、死についても教えています。生き方だけなら政治や教育でも語れますが、宗教は死後の疑問についても答えるものでないといけません。
死後のことは死んでみないとわからないわけですが、不二川さんは「死後は極楽浄土へ行く」という仏教での説明に対して、どうやって確信を得ることができたのですか?
死後のあり方は生きている間に確信が持てないといけません。私の場合は、仏教大学時代に立派な先生との出会いがありましたし、親の影響もありました。人は、人生のなかに一人や二人、「その人の言葉ならば間違いない」と思える人物と出会うものです。浄土真宗を開いた親鸞は、法然との出会いで迷いが払拭されました。
私自身は人間は死んだら自然に帰っていくと思います。リサイクルと同じです。シカゴの哲学者が言っていますが、例えばノースバンクーバーの山に雨が降り、その水が溝から流れていつかは太平洋に流れ出て、南太平洋の水となり、熱で蒸発し、雲となり、それがまた冷たい空気に触れて雨となって落ちてくる。人間もそれと同じで、死んだらまた自然へ、一如へと帰っていく。そして違った形となって地球の一部となる。浄土に行って仏となってまた帰ってくるといってもいい。自分は亡くなった人の命を生きていますし、亡くなった父や先祖も今一緒に生きている。リンゴを食べれば、リンゴが父かもしれない。みんなの命をいただきながら生きているのだと。そう考えると、今の世界が浄土かもしれないと思えてきます。
親鸞の話が出ましたが、2012年は親鸞の750回忌だそうですね。
はい。そのために2011年の4月ごろからお勤めがあります。この750回忌の活動のなかで、世界に「安穏(あんのん)」を広げていこうとしています。「世の中、安穏なれ」というこの言葉ですが、「安らか」は心のなか、精神的なもので、「穏やか」は世間的なものです。今は過剰な情報のなか、各種の社会的問題を抱えて世界は混乱していますし、生きていても仕方ないと思えるほどに個人も混乱していますから、みんなが安穏を求めているといえます。こうしたなかで、一つの目標を持っていかなくちゃいけない、そう思います。
〈取材を終えて〉
終始穏やかで自然体、そして時折お国言葉の出る不二川さんの語りは温かく、記者が次々に疑問を投げかけるも、すべてすっと受け入れて答えてくださった。人の命を水になぞらえたお話を伺いながら、水のような生き方をされている不二川さん自身の姿が重なった。
(取材 平野香利)
| <本願寺発行の日めくりカレンダーにあるひと言より> ・ 何にでも命があるよ 大切に ・ 捨てればゴミ 分ければ資源によみがえる ・ 美しい地球守るのは一人ひとりの心がまえ ・ 次の世代につたえよう 念仏の声と美しい地球 ・ 一寸待って これは本当にごみかしら ・ 知らぬ間にゴミの値段払ってる 過剰包装断ろう |
| 不二川往来さん 広島県出身。浄土真宗本願寺派の開教使として、1968年よりアルバータ州の各地、オカナガン、トロント、バンクーバーの仏教会に勤めた後、2003年よりカナダ開教区本部での任に当たる。毎月2回、本部のオフィスにて読経の練習を通じた和やかな集いの場を持っている。 カナダ開教区本部:Tel:604-272-3330 ※開教使とは、浄土真宗本願寺派(西本願寺)から辞令を受け、アメリカ・ハワイ・南米・カナダに数百以上あり百年以上の歴史を持つ、本願寺派海外寺院に派遣される僧侶を指す。 |
![]() 力みのない不二川さんの語りは、安穏の証と思える |