SPECIAL 2007
2007年2月1日 第5号 掲載
![]() 権並恒治さん。UBCの研究室にて |
![]() 書評や論文など、今でも多くの書物と関わっている |
ブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)のアジア図書館日本司書職を、心臓バイパス手術のため早期退職して4年半。最近では健康も回復し、また元気に活動を始めた権並恒治さん。司書時代の知識とネットワークを生かしながら、研究活動を楽しんでいる。そんな権並さんの現在の活動や読書の楽しみ方、また今気になる作家など書物に長年たずさわってきたおもしろい話を聞いてみた。
UBC司書としての33年間
UBCアジア図書館の日本司書として1969年から2002年まで33年間、日本語蔵書の拡充や、日本学研究支援、日系資料の保存などに多大な貢献をし続けてきた。
「現役でやっているとき図書館というのは、人間の知的活動の成果たる書物を集め、蔵書として構築し、必要なときに必要な人に必要な書物を提供する目的機能を有し、生涯学習機関としても広く社会へ貢献するものであるとの思いでした。『知』の収集、保存、提供という情報サービスが私に課せられた大きな仕事の役割であったと思っております」と振り返る。
UBCの内外を問わず「生き字引」として多くの研究者や図書館利用者から頼りにされ、日本学や日系史の発展を陰で支えてきた大黒柱としての働きは、今なお多くの人からその存在が必要とされていることでも想像に難くない。(司書時代の詳しい活動は、当紙2002年8月
日発行第 号 ― ページを参照)。
自由研究にいそしむ日々
そのような多忙な司書の職務から退き、健康も回復した現在、「UBC日本研究センターの研究員になってからは、現役の司書時代のように毎朝出勤しなくてもよいので、大学へは好きなときに出てきて自由行動を楽しんでいます。上記センターのレクチャー・シリーズやアジア学科の講義を聴講したり、書評や論文の執筆等をしたり」と自由研究にいそしんでいる。
最近発表したものは、書評「ジャン・F・ハウズ著『近代日本の預言者 内村鑑三(1861〜1930)』2006年6月」、Book-Review「"A
Woman with Demons: A Life of Kamiya Mieko(1914〜1979)" by Yuzo Ota、2006年7月」、論文「『日加の繋がりについて―滋賀県立大学近江商人研究会カナダ調査報告・補遺―』2005年
月」、「『ある図書館情報学研究者の軌跡 藤川正信先生への追憶 』2006年2月」、「『ブリティッシュ・コロンビア大学図書館日本語蔵書回顧概観 (1959〜2002)』
2007年刊行予定」など。
論文・書評の概要
インタビュー中これまでに発表した論文や書評にまつわる興味深い話をたくさん聞いた。その内容をここに少しだけ紹介する。
バンクーバーと滋賀県の関係について
戦前のバンクーバーへの移民の中で最も多いのが滋賀県出身者であり、彼らの日系社会への功績は計り知れない。多くの人が商業にたずさわり、今でもその名残は当時日本人街として栄えたパウエル・ストリートに残っている。
戦前から戦後にかけて日本からの絹布輸入商店シルコ・ライナーを経営して大成功を収めた同県彦根出身の北川源蔵は日系人で初めてカナダ勲章を受賞した人物として歴史に名を残す。これは近江商人の精神がバンクーバーでも根付き繁栄したことを証明しているのではないかと推測する。またカナダ野球の殿堂入りを果たした戦前の日系野球チーム「朝日」を創設したのも彦根出身の宮崎伊八であった。今でも滋賀県とバンクーバーの繋がりは深く、その研究もなされている。
権並さん自身が滋賀県彦根市出身であり、その知識の広さからこのテーマでの話は尽きることがなかった。
ハーバート・ノーマンにまつわる話について
日本とカナダに関係の深い人物としてハーバート・ノーマンというカナダの外交官がいる。彼は日本研究家でもあり、戦後の初代在日カナダ大使館の公使でもあった。その外交手腕は50年前のスエズ紛争解決の立て役者となる活躍でカナダ政府も認めるところであった。しかし米国の赤狩りの煽りで1957年に悲劇的な自死を遂げている。そしてその真相は今なお不明であるという。彼について研究している学者は多く、UBC日本文庫が所蔵しているノーマン蔵書が縁で知り合った研究者たちとの交流話もおもしろかった。
その一人が、ノンフィクション作家の工藤美代子で、『悲劇の外交官 ハーバート・ノーマンの生涯』を著している。1970〜80年代にはバンクーバーに滞在、日系カナダ人に関する作品も多く書いている。その一つにバンクーバーに在住していた田村俊子(大正から昭和にかけての女流作家)と鈴木悦(ジャーナリスト・大陸日報の主筆)の世紀の恋と騒がれた出来事をまとめた『晩香波の愛』がある。
ここまででもかなりバンクーバーに関係のある多くの著名人と書物の話が出てきて興味深いが、話はここからさらにいろいろな方向に進んでいく。これらの内容の一部は上記した論文などに掲載されている。
日本文学について
ここからは権並さんの日本文学についての見識を紹介しよう。
―リタイア後の生活はどうですか?
「毎日こういうことをやっているんですよ。日本研究センターの講演を聴いたり、学術的な交流をしたり、雑誌に書かせてもらったり、地元紙にインタビューを受けたりね」
―引退してからも、資料探しや保存などをお手伝いしていると聞きましたが?
「もちろん、それは今でもやっていますよ。 最近では、東京大学博士課程の濱田康史氏のUBCに於けるノーマン研究への資料提供と助言とか、日系二世で元バンクーバー日本語学校維持会の水田治司氏が自家出版された"The
Japanese Connection in Steveston, British Columbia" のUBC中央図書館特殊資料室保存の日系史料への寄贈手続きの仲介役とか、いろいろありますね」
―今興味を持っていることは?
「司書として働いていたときは、日本書籍の収集、保存、蔵書構成の拡充などで多忙を極めていたので、せっかく本を集めてもゆっくり読む時間がなかった。仕事として本を読むということはしていたけれども、その本を十分に味わって読むということをしていなかったので、ようやくそれができるようになりました。家屋の手入れなど雑用も多いけど、ずいぶんと自由時間ができましたので、今の楽しみは好きな本をゆっくり読むということですかね。自室には沢山の本が積んであるんですよ。だからなるべく本屋には入らないようにしています。入ったら袋いっぱいの本を両手にぶら下げて出てくるということがわかってますからね。そうして帰ったら家内に叱られるんですよ(笑)。部屋の床がぬけるかもと。そこで、そう〜っと買った本のビニール・バッグを窓の下に隠しておいて、あとで窓から吊上げるとか、苦労しています(笑)」
―特に好きな分野は?
「好きなのは文学ですね。言葉の力、文学の力といいますかね。人間が生きていくうえでの困難を乗り越えるものは何かというと、いろいろあって人により異なると思いますが、私の場合は文学だと思いますね。乗り切っていく時の力を文学からもらうというか。人間にはいろんな欲があるじゃないですか。食欲、性欲、物欲、そういうときにいろんな悩みを持つわけですよ。それを癒してくれるものは言葉の力じゃないかと思いますね」
―好きな作家は?
「日本の作家、明治以降で好きな作家は谷崎潤一郎です。文章の美しさ、作品構成の確かさ、いずれも超一流で文句の付けようがないです。それともう一人、永井荷風ですね。荷風の作品は日本の伝統的情緒を良く描き切っていますね。戦前の日本人が持っていた感覚で詳述しています。個人的な好みで一番を決めるとすれば荷風ですかね。ただ、外国でも通じるのは谷崎でしょう。荷風の作品は日本調が出すぎて、翻訳では十分にその良さが伝わらない点がありますからね」
―今はまっているのは?
「村上春樹ですね。現代の日本の作家ではトップだと思いますよ。これはね、最初はなんだ最近の作家はと思って偏見があって読まなかったんですよ。読んで批判するならまだしもね。それで、ある日試しに『海辺のカフカ』を読んでみたんです。英語版ですけど。ちょっと本屋で手にとってパラパラとどのように書いてあるのかなとめくってみたんです。そうしたらそこに座り込んでたんですよ。気がついたら数時間くらい読んでるんです。この作家はすごいと思って、早速その本を買って帰り、それから村上春樹に取り付かれちゃってます。気がついたのは、今までの純文学と大衆小説の区分が彼の作品によって除去されたってことですかね。ある小説を手術台にのせて腑分けしてみると、文体、構造、物語性、世界観、時代性などいろいろな要素が取り出せるが、上記の二つの文学ではそれらが明確に相違していた。従来、純文学は論理と倫理に富み、読むには読者の忍耐を要し、大衆小説は読者の精神をほぐすような娯楽性に富んだものだったのが、村上作品はその両方の資質から成り立ち、二つの文学のバリアをなくしてみせた。しかも
カ国語以上に翻訳されて、今や日本文学を超えて世界文学になっているでしょ。世界各国で読まれて、歓迎されているという。どこの国の人も好きだという。しかも若い人ばかりではなくシニアも。それだけ作品テーマが普遍的なんでしょうね」
―この作品はぜひ読んでほしいというのはありますか?
「『ねじまき鳥クロニクル』。大冊ながら読み出したら止められない。英訳者のハーバード大学日本文学教授のJay Rubin氏曰く『村上春樹は三島由紀夫を超えた』と。その言葉を借りて、私は『村上は谷崎を超えた』と言いたい。村上春樹は昨年カフカ文学賞を授与されたが、将来いつの日か彼はノーベル文学賞を受賞するに違いないと、私には思われてしかたがないのです」
豊富な経験と人脈、そして書物に関する知識から湧き出てくる話は尽きることがなく、現在いろいろな思いでバンクーバーに滞在している日本人にとっても興味深い話ばかりだった。しかし、紙面の関係上かなりの部分を割愛した。興味がある人は是非権並さんの論文・書評などを読むことをお勧めする。その博識の一部に触れることができるだろう。
(取材 三島直美)