SPECIAL 2006

2006年10月26日 第44号 掲載


水安丸航海100周年記念祭
及川甚三郎の精神を、未来へとつなげて


特別展示・会場の様子

スピーチをする大塚総領事


及甚の言葉を伝える今北さん


特製弁当には島の生活をしのぶ料理も

協力者への感謝状贈呈式

宮城県からやってきたお神楽

 10月12日〜14日にかけて、日系コミュニティで行われた水安丸航海100周年記念祭。13日には記念板の除幕式と、カナダ日系博物館の「及川甚三郎特別展示開会式」が、また14日には、ナショナル日系博物館・ヘリテージセンターで、100周年記念晩餐会が行われた。各イベントには、水安丸ゆかりの人々、日系の歴史に関心を持つ人々が多く集まり、100年という時を経てなお生き続ける、“及甚”のインパクトの強さがうかがえた。

先駆者達の足跡を知る「及川甚三郎特別展示開会式」
 「カナダに日本人の理想郷を創りあげたい」と、宮城県出身の及川甚三郎が、郷里の農民たち 名を引き連れて帆船「水安丸」で太平洋を渡り、カナダに密航してから今年で100年が経つ。

 カナダ日系博物館では、10月13日から、及川甚三郎と水安丸の人々の軌跡をたどる「及川甚三郎特別展示」が始まった。多くの写真や遺品の数々によって、及甚のストーリーやドン島、ライオン島の暮らしを紹介する試みで、12月まで開催される。

 エントランスに置かれた及川夫妻の衣装やトランク、緊張した面持ちの島の女性達の写真、古めかしい例文の日英会話集・・・。今回の展示資料は、及川甚三郎の娘・及川しまさん、およびその娘・洋子さんが大切に保管していた及川甚三郎の遺品や、ほかの子孫からの資料・遺品で構成されている。初日には多くの人が集まり、日系コミュニティに大きな影響を与えた先駆者達の歴史に、熱心に見入っていた。

 当日は、及川甚三郎の曾孫にあたる今北玲子さんとその家族、大塚聖一在バンクーバー日本国総領事を迎えて、オープニングセレモニーが行われた。

 最初に挨拶に立ったナショナル日系博物館・ヘリテージセンターのフレッド矢田理事長は、「展示を通して、私たち日系カナダ人のことを理解していただける、そして自らの祖先について考える機会を得ました」と述べた。大塚総領事は、「及川甚三郎をはじめとする宮城県の人々の試みは、日本と日本人の国際化の第一歩を示すものであると、私は感銘を覚えます。水安丸の精神が、日系コミュニティのみなさまに世代を超えて語り継がれ、日本とカナダの友好関係に寄与することを願っています」と話した。

 今北玲子さんは、曾祖母やえさん(及川甚三郎の妻)と祖母しまさんの思い出を、時折涙に声を詰まらせながら語った。「祖母はやえについて、『いつ起きて、いつ寝るのかわからないほど忙しかった』と言っていました。やえは、1917年に日本に帰りましたが、ずっとカナダに戻りたいと言っていたそうです」

 玲子さんが10歳の時に、やえさんは亡くなったが、その面影を今でも覚えていると言う。「背が高くてスタイルが良く、後ろから見るとカナダ人のようでした。朝起きて着物を着て、髪を結って・・・。裁縫上手で凛とした人でした」

 やえさんの娘は、ライオン島で生まれたことから、しまと名付けられた。「私は祖母から、寝物語に、及甚についていろんなことを聞きました。勉強が嫌いだったこと、商売上手だったこと・・・。そして祖母は、及甚のことを決して人に自慢するなと言いました。その祖母は、やがて、『コットン・ツリーをもう一度を見たい』と夢見るように言って、亡くなりました」

 今北さんは今回、ナショナル日系博物館・ヘリテージセンターのスタッフをはじめとする、カナダに暮らす日本人の温かさにひかれて、カナダに来たと言う。そんな今北さんは、及甚の言葉を紹介してくれた。「『俺は儲け主義の男ではない。命がけでカナダに渡ったのは、それが糸口となって、みんなが儲かればいい。誰が儲かってもいい・・・』。そんな無償の心は、私たち子孫の支えになっています」

 日系コミュニティに多大な影響を与えた及甚が、100年後の今、新たに伝えた『ことば』。参加者はこのメッセージをかみしめながら、今北さんに暖かい拍手を贈った。

水安丸の歴史をしのぶ夕「100周年記念晩餐会」
 14日には、100周年記念祭のフィナーレを飾る晩餐会が、ナショナル日系博物館・ヘリテージセンターで行われた。

 冒頭、ナショナル日系博物館・ヘリテージセンターの理事で、水安丸100周年実行委員会のスタン府川委員長が、参加者の紹介を行った。「日本から来られた及川さん、カナダから来られた佐藤さん・・・」。府川会長のアナウンスで、次々に立ちあがって挨拶するのは、博物館で紹介されている人物の血を引く人々。日本やカナダ、アメリカから、ドン島・ライオン島ゆかりの人々が一堂に集まったのだ。ほかにも日系コミュニティから多くの人々が集い、約400名が参加。さらに今北玲子さん一家、藤田日出男主席領事、国会議員のピーター・ジュリアン氏、布施孝尚登米市市長などをゲストに迎え、盛大なセレモニーとなった。

 この日のディナーは、イズミヤ特製のお弁当。乾杯のにごり酒や筋子(すずこ)、鮭が、及川島の暮らしを彷彿とさせる。ほかに数の子昆布、鰻のだし巻き、かにの酢の物、野菜の煮しめ、赤飯など、祝いの席にふさわしい日本料理の数々が並んだ。デザートは、水安丸を描いた大きな特製ケーキ。またバー・コーナーでは、宮城友の会からのプレゼントであるワインやビール、ソフトドリンクなどが振る舞われた。

 ゲストの挨拶では、藤田主席領事が、弊紙8月24日号掲載の亀卦川みよ子さんのインタビュー記事に触れ、「亀卦川さんが(インタビューで)『こんな時間が止まったような平安は、この島以外にはない』と言っておられた。その言葉が非常に嬉しく、そして感慨を覚えました」と述べた。また布施市長は、「100年先に、私たちの子孫が、今日のこの集まりがあったことを知り、そしてまた私たち自身が、100年先の子孫の誇りになれるよう、日加の交流発展への尽力をお願いいたします」と語った。

 舞台では、宮城県に伝わるにぎやかなお神楽が行われた。カラフルな衣装と独特の節回しに出席者の目は引きつけられる。メンバーの一人、千葉千恵子さんは「神楽を舞ったメンバーの中にも、水安丸にゆかりのある者が何名かいます。100周年に呼んでいただいて名誉ですね」と語った。

 カナダ全土からも、水安丸乗客の血を受け継ぐ人々が来ていた。その一人である後藤浩二さんにお話を伺った。浩二さんは、一行で最年少だった後藤金平さんの息子で、1923年パウエルストリート生まれ、現在はトロント在住。「今日の晩餐会は良かったね。僕も写真を(展示用に)持ってきました。今日のこと(展示やビデオなど)は何でも知っていますよ。でも、親は昔のことを話さなかった。1世と2世が話すことはあまりなかったね。野球のことなんかは話しても、政治のことになると話せなかったんです。親のことを知ったのは、新田次郎の小説の英訳を読んでから」。流ちょうな日本語でそう語った後、浩二さんは、「金平は、カナダに来たことをregret(後悔)していないよ」と付け加えた。

 100周年記念祭のすべて行事を終えた府川委員長は「みなさんに喜んでいただけて嬉しかったです。記念祭の準備を進めるなかで知ったのは、及甚は大きな夢を持った実業家だったわけですが、(密航を決意したときは)かなりの年齢だったんですね。普通の人じゃないと思いました」と語った。「日系カナダ人はマイノリティで、カナダの学校で習うのは白人の歴史です。しかし、日系人にも決意を持ち、夢を持った人がいたのだということを、特に若い世代の日系人に知ってもらいたい。そしてプライドを持ってほしいと思います」

(取材 宗圓由佳)

 

 


 

水安丸の歴史を後世に
記念板除幕式行われる

 10月13日午後1時から水安丸航海100周年記念祭の一環として、記念板の除幕式が移住者の故郷ライオン島、ドン島(それぞれ日系コミュニティから通称「佐藤島」「及川島」とも呼ばれている)の対岸で行われた。式典にはカナダのこの地にやってきてライオン島、ドン島を先導して開拓した及川甚三郎・佐藤惣右衛門の子孫のほか、移住者の子孫を中心として集った「宮城県友の会」、現地の日系人の家族だけでなく、記念祭に参加するために宮城県登米市より訪れた学生や市民、90人あまり、総勢200人を超える人々が参加した。当日は天気に恵まれ、岸から両島を臨みその美しさに参加者の多くが胸を打たれた。

 式典で、日本からやって来た及甚の曾孫にあたる今北玲子さんは今回の記念板に三つの願いを託していると言った。ひとつはこの記念板がカナダと日本の架け橋となるように、二つ目としてこの美しいフレーザー川が今もこれからも私達に微笑んでくれますように、最後に両島にある曾祖父、及川甚三郎やほかの移住者達の魂が風となって未来の私達に知恵と勇気を与えてくれますようにと。今北さんをはじめ参加者は100年前に太平洋を渡り新世界にこれほどまで大きなコミュニティを創り上げた及甚達の偉業を心から称えた。

 最後の「及川島」日系住民となった亀卦川みよ子さんにより除幕された記念板には水安丸で日本からやってきた移住者の当時の写真と全員の名前が刻まれている。式典後には記念板に自分の(曾)祖父母の名前を見つけ、感極まり涙する人などが多く見られた。また参加者の一部は式典後、昔移住者が愛したフレーザー川を2時間かけてガイド付きでクルージングした。

 今回の記念板は日本人移住が100年を超える長い間、リッチモンドそしてカナダに貢献したことを認め、リッチモンド市の好意により作成されたものであり、日系コミュニティにとって大変意義のあるものである。「日本人の理想郷」はこの記念板と共にここカナダの地で新たな歴史を刻んでいく。

(取材 村岡清佳)


この記念板がカナダと日本の新たな架け橋と なる

移住者の故郷「ライオン島ー佐藤島」(右)「ドン島 ー及川島」(左)を望む記念板